データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 故川上隆久・国連東ティモール統合ミッション事務総長副特別代表 追悼メモリアル・セレモニー 岡田外務大臣お別れの言葉

[場所] ディリ(東ティモール)
[年月日] 2010年3月18日
[出典] 外務省
[備考] 日本政府代表者(在東ティモール大使館)代読
[全文]

 私より、日本政府を代表いたしまして、謹んでお別れの言葉を述べさせていただきます。

 3月15日の朝、川上隆久事務総長副特別代表が、ここ東ティモールの御自宅で、帰らぬ人となられたとの訃報に接しました。御家族の皆様のお悲しみはいかばかりかとお察しし、謹んでお悔やみを申し上げます。また、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)、東ティモール政府を始め、当地や国連の多くの方々も、突然の御逝去に大きな衝撃を受けられたものと拝察します。日本政府として、その大きな悲しみと無念な思いを共有しています。

 川上副特別代表は、2007年3月から半年間、国連アフガニスタン支援ミッションの官房長を務められ、2008年9月より、東ティモールにおける治安部門支援と法の支配の確立のために奔走してこられました。川上副特別代表の御尽力の結果、今日までに当国において、4つの県においてUNMITから当国警察への権限の委譲が実現しています。

 川上副特別代表が、初めて国連との関わりを持たれたのは、1987年、国連日本政府代表部に勤務された時のことでした。1991年には国連カンボジア先遣隊の政務官として、また1992年からはカンボジア暫定機構の政務官として、カンボジアの平和の礎を築く国際的な努力に貢献されました。さらに国連本部でも、アジア中東を担当する幹部として、リーダーシップを遺憾なく発揮されました。日本が2005年から2006年にかけて国連安全保障理事会において非常任理事国を務めた際には、東ティモールが大きな試練に直面する中、この国の友人として、国連安全保障理事会における議論を牽引されました。

 これらは川上副特別代表の御功績のほんの一部であり、そのすべては容易に語り尽くせるものではありません。川上副特別代表は、紛れもなく、日本における、また国際社会における平和構築の第一人者でありました。

 川上副特別代表は、その卓越した行動力とともに、大変気さくな、暖かいお人柄の持ち主でもありました。昨年10月に一時帰国された際も、若い担当官にいたるまで、多くの職員に分け隔てなく接し、東ティモールの国作りに向けて、何としてもUNMITが成功裏にその任務を終えることができるよう熱く語っておられました。多くの者にとって、今でもそのお姿が目に焼きついており、亡くなられたことを信じることができないでいます。

 東ティモールの平和構築、平和の定着のために、また更には国連と日本が協働していくために、その優れた手腕を一層発揮していただきたいと考えていましただけに、川上副特別代表の志半ばでの急逝は、UNMITにとりましても、また日本にとりましても、代わりを得ることのできない、誠に大きな損失であります。日本政府としましては、川上副特別代表の御遺志をしっかりと受け継ぎ、国際社会の平和と安定のために、一層努力していく決意を新たにいたします。

 ここに、御生前の御功績をたたえ、深く感謝の意を表しますとともに、御遺徳を偲び、心から御冥福をお祈り申し上げます。

※日本政府代表者(在東ティモール大使館)が代読しました。