データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ジュネーブ軍縮会議における安倍外務大臣の演説

[場所] ジュネーブ
[年月日] 1984年6月12日
[出典] 外交青書29号,417ー422頁.
[備考] 
[全文]

議長

本日,この軍縮会議に出席する機会を得ましたことは,私の大きな喜びとするところであります。

 私は,日本国政府を代表して,閣下が6月の議長の重職に就かれたことに祝意を表したいと思います。この軍縮会議が,閣下の卓越した識見と豊富な経験に基づく公正な指導の下に,実り多き成果を挙げることを期待するものであります。

 また,私は,この機会に閣下の前任者で4月の議長を勤められたスリ・ランカ代表に対しても,その貴重な貢献に対し謝意を表明したいと思います。

議長

 世界の諸国民にとって,平和と軍縮の問題が今ほど重要である時は,かつてなかったといって過言ではありません。

 近年の国際情勢の厳しさは,人々の心に暗雲の如く重苦しくのしかかっております。また,その煽りを受けて,いくつかの重要な2国間の軍縮交渉も,そして唯一の多国間軍縮交渉機関たるこの軍縮会議も,現在は端的に言って,世界の人々の期待に充分応える進展をみせていないのが実態であります。

 私は,我が国の外務大臣に就任して以来,アジアの一員,ひいては全地域の人類共同体の一員として,世界の平和を希求するわが国の立場から,諸外国を精力的に歴訪し,米ソを含む数多くの指導者たちとの間で,人類が今後歩むべき道について話し合う機会を持ってまいりました。これらの対話を通じて私が得た率直な印象は,世界の至る所に挫折感と焦燥感がみなぎっており,世界中の心からなる関心と深刻な憂慮がこの問題に向けられているということ,特に軍備競争の激化とその無制限な継続に対して,平和と安全の保障が強く求められているということであります。

 私は,我が国がこの軍縮会議に加盟して15周年にあたる今日,このような世界の大多数の人々の持っている不安感をふまえて,平和と軍縮の問題に関する私自身の考えを明らかにし,また,これまで核不拡散条約(NPT)をはじめとする幾つかの輝かしい成果を挙げた軍縮会議が今こそ具体的行動を起こし,世界の軍縮の推進や挺子となるべき時機が到来していることを訴えるために,我が国の外務大臣としては初めてこの軍縮会議場に足を運ぶこととしたのであります。

議長

 現在の国際情勢の厳しさは何に由来するのでしょうか。

 言うまでもなく,東西関係,就中米ソ関係が,双方の間の拭い難い不信感の為に,そして,それぞれが自らの安全の確保の途を軍備の拡大に求め,それがまた新たな不信感を生み出すという悪循環の中で,近来になく冷え切ったものとなっていることがその根本的原因であります。

 勿論私は,現在の米ソ関係は,かつての所謂ベルリン危機やキューバ危機の時ほど危機的状況にあるわけではないと信じたいと思います。しかしながら私は,現在の東西関係の緊張は,人類全体の生存にとって従来にない格別深刻な意味合いを有するものであると思います。

 今や人類は,宇宙を自由に遊泳しうる程高度に発達した科学技術を擁するに至りながら,寧ろその故に,近代兵器体系の量の増大と驚くべき質の向上を阻止し得ておりません。その結果,この地球上には究極兵器といわれる核兵器や,その他数々の恐るべき近代兵器が,人類を幾度も破滅させうるまでに大量に蓄積されるに至っています。

 かかる現状において,東西関係の緊張がこのまま継続し,意図的にしろ,偶発的にしろ,ひとたび核戦争が勃発することとなれば,僅か十数分間でたちまちの内に,想像を絶する破壊がこの地球にもたらされ,人類全体が敗者となって滅亡の危機に瀕することは,世界の全ての識者が指摘しているところであります。

 我々が,人類として,このような事態にいかに賢明に対処するか,より具体的にいえば,人類が自らの文明によって造り出した恐怖の道具を,それに操られて滅亡し果てるのではなく,いかに管理し,削減するのか,そしてどのようにして平和を維持し,我々の子孫に地球の平和と繁栄を伝えていくのかということは、我々が直面している最も重大な問題だといわなければなりません。

 私は,正にかかる観点を,軍縮の原点とすべきであると考えるのであります。

議長

 この問題を考える時,私は,現存する核兵器の大半を有し,また宇宙兵器その他の非核分野においても最も近代的な兵器体系の能力を有する米ソ両国の,人類に対する特別の責任をまず喚起せざるを得ないのであります。この二つの国が,実効的な検証を伴った具体的な軍縮を率先して進めていくことこそ,現在両国が求められている責務であり,また,人類の希望と期待に応える所以でありましょう。換言すれば,世界の平和はなによりも,この二つの国の指導者の手中にあるということであります。

 右との関連で,いくつかのことを指摘したいと思います。

 第一は,昨年末以来中断したままとなっている中距離核戦力(INF)交渉及び戦略兵器削減交渉(START)という二つの極めて重要な米・ソ間核軍縮交渉であります。これらの交渉は,依然再開へ向けて何等の手がかりも得られないままとなっております。

 数日前に開かれたロンドン・サミットにおいて,我が国を含む西側民主主義諸国は,国際的な問題は,理性に基づく対話と交渉により解決されなければならないとの確信を表明し,このためのあらゆる努力を支援する旨言明するとともに,現在中断されている軍縮交渉が早急に再開されるよう希望致しました。

 私は,今まで機会ある毎に,中距離核戦力(INF)交渉のグローバルな,そしてわが国を含むアジアの安全保障が損われない形での解決を主張して参りました。私は,この機会にあらためてこの点を強調するとともに,ソ連に対し,核大国としての重大な責任を自覚し,速やかに米・ソ間軍縮交渉の席に戻り,その実質的進展をはかるよう強く訴えたいと思います。

 議長

 米・ソ間軍縮交渉の進展は,核不拡散条約(NPT)体制の維持,強化をはかるとの観点からも,極めて重要であることは言うまでもありません。

 我が国を含む非核兵器国が核武装への道を自ら放棄したのは,核兵器の管理に万全を期すと共に,核軍縮を推進するとの核兵器国の意思に信頼を置いたからであります。私は,核兵器国が,核軍縮の実現に向けての効果的な措置につき誠実に交渉を行うことが,来年の第3回核不拡散条約(NPT)再検討会議開催を控えた今日,非核兵器国やNPT非加盟国のNPT体制に対する不信感を取り除く上で,歴史的な意味を持つことになると確信するものであります。

 現在,この条約には120カ国が加盟しておりますが,我々は,今日まで核兵器国の増加を抑えるためにNPT体制の果してきた重要な役割を正しく評価するとともに,更にこの普遍性を高め,これをより一層確固たるものとするためには,各国の積極的な努力が必要であることを最確認しなければならないと確信致します。この意味からも,私は,中・仏の両核兵器国を含む未加盟国が,早期にこの条約に加盟するよう併せ希望するものであります。

議長

 もうひとつの主要な問題は,核実験禁止であります。

 核実験禁止の問題は,核時代の幕開けとともに,長きに亘り人々の素朴な願いとして優先的に取り上げられてきた問題であるにもかかわらず,全面禁止の達成は,現実問題として残念ながら今なお道遠き状態にあります。

 現に我々が承知しているだけでも,この1年間に約50回にのぼる核実験が行われておりますが,我が国としては,あらゆる国のいかなる核実験にも反対するとの立場から,核兵器国がともかくも核実験の自粛を行うよう,この機会にあらためて強く訴えたいと思うのであります。

 また,この軍縮会議での審議は,検証問題をめぐって遺憾ながら膠着状態に陥っておりますが,私は,その打開をはかるために,核兵器国,就中米ソ両国が,より「現実的な」解決をはかるべく努力を傾注すべき時に来ていると信じます。

 そこで,私は次のような提案をしたいと思います。

 即ち,一足跳びの全面禁止の実現が困難であるならば,次善の策として,現在多国間で技術的に検証が可能と考えられる核実験の規模を「敷居」とし,この規模を越える実験を禁止することに先ず合意し,次の段階として検証能力そのものを向上させ「敷居」を下げていくというステップ・バイ・ステップ方式につき,突っ込んだ検討を行うということであります。

 これは,核実験の全面禁止が過去長きに亘って前進していない事実に鑑み,あくまでも全面禁止に至る道を早めることを目標としたものであることは申すまでもありません。従って,この提案は,技術的な検証能力の向上とあわせて,国家間の信頼に基づいた実効的な検証・査察を可能とする方途の探求を伴うものであることも当然です。私は率直に言って,現状の下では,このような方式が我々に残された最も現実的な選択であると考えるものであり,これによって全面禁止の早期実現への道が開かれることを,心より期待するものです。かかる考え方が合意された場合,我が国は,検証能力の向上のため,我が国の持つ高度の地震探知技術を更に一層提供する用意があることをここに明らかに致します。

議長

 次に私は,化学兵器の禁止についても触れておかないわけに参りません。

 化学兵器は,戦闘員はもとより,一般市民に対しても,広範かつ無差別に多大な被害と影響を及ぼすものであり,現にこの兵器が幾つかの国の兵器体系に組み込まれ,この地球上に大量に貯蔵されていることは,国際社会の平和と安全に対する深刻な脅威となっております。特に本年に入ってから,イラン・イラク紛争において,現実に化学兵器が使用されるという容認し難い事実が発生しました。

 このことは,我々が,現存の膨大な量の化学兵器を早急に削減し廃案するのみならず,その開発や生産をも禁止する世界的かつ包括的な化学兵器禁止条約を早期に実現する必要があることを雄弁に物語るものであります。

 この軍縮会議においては,本年4月,ブッシュ米副大統領が自ら出席し,本件に係る条約案を提出することにより,化学兵器禁止問題に取組む米国の積極的な姿勢を示しましたし,これに先立って本年2月,ソ連が,廃案という限定された範囲ではありますが,化学兵器禁止に関する検証の問題につき前向きの姿勢を示しました。

 私は,米ソ両国によるこのような具体的提案を,評価し歓迎するとともに,我が国としても,今後とも軍縮会議における化学兵器禁止問題の審議及び交渉に積極的に参画して参る所存であることを,あらためて表明致します。私はこの分野においても,日本の先端技術が何らかの貢献をなしうればと考えています。

議長

 最後に宇宙における軍備競争の防止問題について一言触れたいと思います。

 人類に残された唯一のフロンティアともいえる宇宙は,我々の未来活動の舞台として無限の可能性を秘めており,平和利用のための各種のプロジェクトを推進している我が国としては,宇宙における軍備競争の防止に大きな関心を有しているところであります。私は今後この分野においても,軍縮会議における具体的な検討が進められることを期待するものであり,又,このためにも米・ソ両国の積極的な姿勢が望まれるところであります。

議長

 以上,私は,今日軍縮を推進するために,就中米ソ両国が真剣にかつ率先して取り組んでほしいとの願望を披瀝しました。

 このことは,我が国を含めその他の国々が単に拱手傍観しておればよいということを意味するものではありません。この軍縮会議がその目標として締結しようとしている様々の多国間条約は,ここで御列席の皆様が代表しておられる40カ国の全てにとって受け入れられるものでなくてはならず,従ってその実現の為にはすべての国の協調と積極的努力が必要であります。

 我が国においては,先の大戦においてその国土の大半が灰燼に帰し,数百万の人命を失うという悲惨な経験から「二度と再び戦争の悲惨さを繰り返してはならない」との決意が日本国民の一人一人の心に深く刻み込まれております。日本政府は,かかる国民の平和への決意に立って,近隣諸国に脅威を与えるような軍事大国にならず,また,核を持たず,作らず,持ち込ませず,との所謂非核三原則を堅持しつつ,軍縮の促進に務めることを以て,一貫して我が国外交の基本方針としてまいりました。

 平和の維持は,人類が共有する悲願であり,我々は,国際社会の現実を踏まえつつ,実現可能な具体的軍縮措置を地道に忍耐強く一つ一つ積み上げていくことが肝要でありますが,そのためには結局,二国間,多国間の間断なき対話と接触を通じて,相互理解,相互信頼をはかり合意点を探求していくほかに途はないと考えます。この意味で,私は,この軍縮会議が果たすべき役割と,これに参加している我々一人一人の負う責任が如何に重大であるかを,今更の如く痛感致します。

議長

 この町ジュネーヴは近世以来,人類が戦争と平和の関頭にたった時,国際的理解と協調,諸困難の克服のみちを探るため,幾度となく人々が集い語り合ってきた街であり,その貴い精神は,この街の至る所に消え去ることなく刻みこまれております。今我々は,この街に足跡を残した先人たちの労苦をあらためて想起するとともに,我々が我々自身のみならず子孫の繁栄と幸福に対して負っている重大な責任に,今一度真剣に思いを起こすべきであると思います。

 人類の未来は今日に生きる我々が担っているのであります。決して平坦な道ではありませんが,東洋にいう「點滴石を穿つ」の精神を以て,互いの立場の相異をのり越え,我々の共通の究極的目標である全面完全軍縮の達成へ向けて,更なる努力を共に続けて参ろうではありませんか。

 ありがとうございました。