データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 外人記者クラブにおける大来佐武郎外相スピーチ

[場所] 
[年月日] 1980年1月23日
[出典] 日本外交主要文書・年表(3),1128ー1130頁.外務省情報文化局「外務省公表集」,昭和55年,13−16頁.
[備考] 
[全文]

 今回、この由緒ある外国人記者クラブの午餐会に招かれたことを光栄に存じます。

私がエコノミストとして、また一個人として、これまでにお目にかかった人々を何人かお見受けいたし、この会合をアット・ホームなものと感じております。また私は一九七四年のはじめ石油危機の直後に、この席でお話をしたことを記憶しております。

 本日は一九八〇年代の日本外交についての外務大臣としての私の考えの一端を申し述べたいと思います。

 本年をもって一九八〇年代はその幕をあけましたが、昨年末から本年にかけてのイランにおける米大使館員人質事件、アフガニスタンに対するソ連の軍事介入といった出来事は、多難な八〇年代を象徴しているかの如くであります。

 また、奇しくもこれらの出来事は八〇年代におけるわが国外交の重要性と困難性を示していると思われます。

 振り返ってみれば、戦後わが国は極めて恵まれた国際環境下の下にあったといえましょう。政治面では、日米安保体制の下で、わが国の安全が直接脅かされるような事態を経験することもなく、経済面では、国際貿易及び金融の自由、多角、無差別の取引を原則とするいわゆるブレトン・ウッズ体制がわが国に極めて有利に働きました。言い換えれば、国民の生活と安全を守るわが国外交のいわば大きな外枠が安全的なかたちで与えられていたわけであり、そのような条件の下で、わが国は経済復興と発展に努力を集中することができたわけであります。

 戦後の日本外交は時として内外より受け身の外交であるとの批判を受けたこともありましたが、今述べたような国際環境の下では、受け身と見える外交がむしろがわ国の国益に最も適していたのではないかと思います。

 今や諸条件が変化いたしました。わが国はもはやわが国の安全と繁栄を保証するような国際環境の存在を当然視することはできなくなったのであります。

 一方で、各国の利害関係が一層複雑化したため、自らが直接の当事国でない国際的なできごとについても、その影響を受けるような事態が増加しつつあります。他方、わが国は経済力の飛躍的発展により近年国際的比重が著しく高まり、世界がわが国に対しより大きな国際的役割を果たすことを期待するとともに、わが国の動向が国際関係に実質的影響を与えるところにまで至っております。

 換言すれば、わが国はもはや国際関係を従来のようにわが国にとっての与件と考えることはできず、わが国が有力な一員として作り上げていくべきものにかわってきたのであります。

 これを日米関係を一例として見れば、日米関係がわが国外交の基軸であり、わが国の安全保障が究極的に米国に依存していることには何ら変わりありません。しかし、より広い観点から見るならば、米国が政治的、経済的に圧倒的な力を持っていた頃と異なり、わが国はも早従来の日米関係をそのまま当然視し続けることはできません。今や日米関係はわが国がより積極的に協力し、貢献することによって維持、強化すべきものになっているのであります。

 かくして、わが国にとり、も早いわゆる受け身の外交の時代は去り、世界的視野に立った積極外交を進めなければならなくなっております。その意味で今日本外交は重要な転機を迎えつつあるといっても過言ではないと思われます。

 八〇年代の日本外交はいかなる指針に基づいて進められるべきでありましょうか。

 第一は、平和に徹するわが国の立場を再確認し、わが外交の原点とすることであります。資源に乏しく最小限の国防力の保有にとどまっているわが国は、国際紛争や緊張が生ずれば極めて好ましからざる影響をうけます。わが国はいかなる国にもまして世界の平和と安定を必要としているのであります。

 わが国としては、自らおかれたこのような立場を十分踏まえつつ積極外交を推進していくことが肝要であります。

 第二は、世界の平和と安定のために日本自身何が貢献できるかとの発想から国際情勢に対処することであります。これは平和と安定が自国だけの価値ではなく国際社会全体の価値であるとの観点に立つものでありますが、これからの日本はこのような自覚をますます強く持つ必要があると考えられます。

 日本と世界の安全はますます不可分に結びついており、世界の平和と安全なしにわが国の安全はありえません。今後日本は積極的に世界の平和と安定のため、貢献するよう心掛けなければなりません。

 第三には、日本の経済力と技術力を世界の発展、特に貧しい国々の経済的発展のために建設的に役立てることであります。最近南北問題の解決のために幾つかの動きが見られましたが、全体としてなお開発途上国は経済建設の面で幾多の障害を抱えております。わが国は従来も、これら諸国に対し積極的な協力を行ってまいりましたが、今後はかかる努力を一層強化し、開発途上国における国造りの基盤となる人造り、食糧生産、石油代替燃料の開発、交通通信のインフラ・ストラクチャー整備などの面における援助を通じての建設的な役割りを果たすべきであります。

 第四は、今日の世界においては好むと好まざるとに拘らず、政治と経済が不可分であるとの認識を強めることであります。二次にわたる石油危機は、石油が中東の政治情勢といかに密接に結びついているかを如実に示しました。戦後わが国がいわゆる経済外交を追求しえたのは、前述のとおり、わが国外交の大枠が安定し、また日本の経済が外の世界に及ぼす影響も限られていたからであります。しかし、今や状況は異っております。世界は、資源、食糧、南北問題などをめぐってますます経済と政治の係わり合いを強め、また、わが国も経済力、技術力の向上に伴って建設的な政治役割を果たすことが要請されているのであります。

 かくして、現在日本の外交は重要な進展をとげつつあります。それは一言でいえば、わが国が国際的に政治的自覚を高め、その自覚に基づく行動をとる段階に入りつつあるということであります。ある外国人はかつて日本を経済的には巨人だが政治的には小人である、と称しました。これからの日本は国際的にこの政治と経済のギャップを次第に縮めていくべき立場にあります。また日本の影響力についての内外のパーセプション・ギャップをせばめていくことが必要になっています。国際政治の中で大人になることは決してたやすいことではありません。激動する国際情勢にもまれることも覚悟しなければなりません。しかし、日本が平和に徹し建設的役割を自らの使命として、世界的視野の上に立って政治的責任に対する自覚を高めることは、わが国のために望ましいのみならず、世界のためにも貢献する所以と確信しております。

 私はこのような考えに立って八〇年代のわが国外交を推進していきたいと考えます。