データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 平成十年年頭記者会見(橋本龍太郎)

[場所] 
[年月日] 1998年1月1日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),745−760頁.
[備考] 
[全文]

○総理 明けましておめでとうございます。

 二十一世紀まであと三年となりました。ちょうど今から三十五年前に、私が初めて衆議院に当選した昭和三十八年、振り返ってみますと、翌年東京オリンピックを控えて、本当に社会全体に躍動感があふれていました。所得倍増計画というものの先にある日本。その豊かな日本を夢見ながら一人一人が希望を持って学び、そして額に汗して働いていた、改めてそう思います。同時にこの年は、我が国の法律制度の中で初めて「老人」という言葉が使われた年でもありました。百歳以上のお年寄りの人口調査を初めて国が実施した年でもあります。それ以来私は、経済の豊かさの実現、そして、高齢化社会への対応ということを自分のライフワークのようにしながら、今日まで取り組んできました。本日は、新しい年の門出に当たって、私がどのような社会をつくりたいと考えているか、そのために当面の対策と「六つの改革を」をどう進めていこうとしているのか、率直に申し上げてまいりたいと思います。

 六つの改革は、それぞれその分野において具体的に既に進んでいます。昨年秋の国会では、お年寄りの介護の負担を社会全体で支えるための介護保険、また財政構造改革のための特別措置法が成立をしました。また、危機管理をはじめ行政の機動力を高めるために内閣機能を強化し、効率的な行政を実現するために中央省庁を再編するという方向づけが出来ました。経済構造改革や金融システム改革に関しては、大胆な規制の撤廃を始めとする具体的な行動計画が既に出来ております。また、教育改革についても、中高一貫教育、あるいは週五日制の導入などの取組みを既に始めました。

 同時に、昨年秋以来の金融機関の相次ぐ破綻によりまして、我が国の金融の機能に対する内外の信頼が低下しました。金融システムの破綻は、国民生活に混乱を生じますし、産業活動を著しく停滞もさせます。日本発の金融恐慌は、また経済恐慌は絶対に起こさない。経済の動脈である金融システムを何としても安定させ、景気を回復軌道に乗せ、先行きに対する自信を取り戻す。私はこれを自分の強い決意として冒頭に申し上げたいと思います。

 そして、皆さんにも本当に自信を持っていただきたいんですけれども、我が国は千二百兆円の個人金融資産、差引き八千億ドルの対外資産、そして二千億ドルを超える世界一の外貨準備を持っています。全く心配はありません。金融の根本は信頼なんです。そして、預金者を保護するために、金融システムの安定を図るために、破綻金融機関の処理、そして、きちんとした銀行の自己資本の充実に十兆円の国債と二十兆円の政府保証、合わせて三十兆円の資金を活用出来るようにいたします。貸し渋り対策としては、政府系金融機関に二十三兆円の資金を用意するほか、早期是正措置の運用を弾力化します。これにより、健全な経営を行っておられる企業に必要なお金が流れるようにします。景気回復のためには、大規模な規制緩和を始めとする緊急経済対策を実施します。更に、税制面においては、二兆円の特別減税を実施するとともに、法人課税の税率引下げ、有価証券取引税を半減、地価税の課税停止などを含む幅広い措置を取ることとしております。国民の皆様には、どうぞ安心をしていただくとともに、これらの対策へのご理解とご協力を心からお願い申し上げます。

 私は、日本経済に未来がないかのような悲観論には決してくみしません。我が国ほど、高い教育水準と高い勤労モラルを持っている国はありません。かつて、我が国が貿易と投資を自由化し、国際競争の荒波に船出したとき、その過程で石炭、あるいはアルミ精錬などの事業が衰退をしました。しかし、国民が一丸となって果たしてこられた努力の中から、自動車、電子・電気、機械などの新しい産業が力をつけて、国際競争を勝ち抜いて来ました。私たちの先輩には、本田宗一郎さんや井深さんのような、多くの偉大な業を自ら起こされた方々があります。今ハイテク産業のコメと言われる半導体の原形、シリコンダイオードは東北大学で開発されました。花形医薬品のインターフェロンは、戦後間もない昭和二十四年に東大伝染病研究所で発見をされました。しかし、それを我々は企業化し損なったわけです。なぜなんでしょう。

 先日、二十歳の時にベンチャー企業を設立して、今や世界のソフトウェア産業の頂点に立つビル・ゲイツさんとお目にかかりました。こうした方が何でアメリカで生まれるか。それは多くの投資家が、あるいは多くのユーザーが、一人の若者の能力を評価し、仕事を任せ、必要な資金を提供している。個々人の能力が存分に生かされるような、ふところの深い、包容力のある社会だからです。我が国には、情報・通信、金融、あるいは環境、医療・福祉など、成長が期待される産業の分野は数多くあります。豊富な資産・資金、有能な人材、そして新しい時代を切り開いていくだけの技術が、この日本にはあるんです。みんなで力を合わせて、これが生かされるような社会をつくり上げようではありませんか。

 ベルリンの壁がなくなり東西対立が終わって、国際社会は大きく変貌しました。アジア太平洋地域においては、APECという開かれた地域協力の枠組みに、本年からロシアが参加をする。これによって政治経済の両面で関係の一層の強化が進んでいくことになります。世界の大多数の国が民主主義と、そして市場経済に基づく国づくりに懸命に努力をし、成果を上げ始めています。これはまさに冷戦の終焉を契機として、世界の価値観が大きく変化した結果でしよう。

 翻って我が国を見るとき、経済成長を通じた豊かな国民生活という共通の目標があったころに比べて、国のアイデンティティ、共通の価値観を持つことはなかなか難しいのかもしれません。しかし、人、物、資金、情報のすべての面で否応なく国境がなくなっていく世界の潮流の中で、小子高齢化が急速に進み、社会全体の活力をどう高めていくかが、今まで以上に重要になっている今日、ご批判を受けることを承知であえて申し上げるなら、まず第一に個人の能力が存分に発揮をされ、国際的な競争を勝ち抜いているような国、そして、年長者を敬い、家族が本当に食卓を囲んで、親から子へと心の大切さや、あるいは生活の知恵を伝えていくことが出来るような社会。第三に、世界に誇れる豊かな自然、あるいは芸術、工芸といった伝統、文化、これを大切に守り、伸ばしていけるような国、そうした国を目指すことが、日本が世界の国々すべてとともに共存し、共栄していく道ではないでしょうか。

 私は総理大臣を拝命して以来、国民一人一人が将来に夢や希望を抱き、創造性とチャレンジ精神を存分に発揮出来る社会、世界の人々とお互いに理解し合い、助けあえる社会を政権の目標にかざしながら、六つの改革を一体のものとして実行すると、そう申し上げてまいりました。これは、まさに政治家としての私の所信であると同時に、私の描く日本の将来像でもあります。

 昨年の七月、参議院の五十周年記念行事として「こども国会」が開かれました折り、全国から集まった小中学生の代表としての議員の皆さんの、その元気はつらつとした姿と真摯な議論、これを見ながら本当に多摩川で魚つりをしたり、泳ぎに夢中になっていた夏休み、あるいは野球やボーイスカウトに熱中していた自分の子供のころを重ね合わせて、何となくタイム・スリップしたような思いがしました。子供たちは一人一人、掛けがえのない宝物です。夢や希望はそれぞ{ママ}違うでしょうし、得意なものも、好きなものも違うでしょう。その若い人たちが、本当にやりたいこと、喜びを感じられることを見つけられる。将来は何になりたい。そのために何を学びたい。そして政治を目指す、あるいはビジネスを目指す、文化、スポーツを目指す、いろんな方があるでしょうし、ボランティア活動に集中する方もあるかもしれません。自らの責任で進路を選び、夢や目標に向かってひた向きに努力する。そんな姿をお互いに尊重する。こうした若い力がこの国の将来を支えると確信しています。

 若い人々は既成概念や大人の常識を超える斬新な発想、そして行動力を持っています。技術革新にせよ、消費行動を始めとするライフスタイル、十に一つ、あるいは百に一つでもすばらしいものがあれば、それが社会全体を生き生きさせる力になるでしょう。日本人として初の宇宙遊泳をされた土井隆雄さん、子供のころから宇宙に出ることを本当に夢見ておられた。そして、今回の宇宙飛行を終わって、今度は月に行きたいと話しておられます。若い人たちには目標に向かって努力をする勇気を是非持ってもらいたい。常に挑戦を続けていただきたい。心からそう思いますし、それを可能にするために、私も精一杯頑張ります。

 同時に、自分が家庭や地域社会の一員であること、助け合いや支え合いがあって初めて、自らの夢も目標もかなえられることを自覚し、弱い立場にある方々への思いやりや、やさしさ、いじめや卑怯な行動に立ち向かう勇気と正義感を持っていただきたい。社会全体を大切にしていただきたい。そのためには、家庭、そして地域社会が、学校と協力して主体性を発揮しなければなりません。難しい問題ですが、皆様とともに考えていきたいと思います。

 次に、働く世代、お父さん、お母さん、そう呼ばれる世代は社会の中核であると同時に、一番大変な世代であるとも言えるでしょう。生活設計、あるいは子供たちの教育、ご両親の介護など、多くの方々が共通の悩みを抱えておられると思います。こうした悩みにこたえていくのがまさに政治の役割であり、中でも働き手としての自分に奉仕する方々の支援、能力や希望に沿った職種、職業に就く選択の幅を広げる制度づくり、また、働くお父さんや、お母さんが安心して仕事と育児を両立出来るような環境づくりに努力してまいります。同時に、団塊の世代が年金受給者となる二十一世紀初頭に向けて、世代間の負担の公平をどう図るのか。公的年金の給付と負担の水準をどの程度にするのかなど、幅広い国民的な議論を通じて結論を得たいと考えていますし、男女が共に参加していける社会をつくり上げるために、男女の固定的な役割分担を前提とした雇用慣行など、社会慣行や個人の価値観といったものまで含めて幅広い議論を行い、対応を考えていきたい。そのためにも皆さんのご協力をお願いしたいと思っています。

 今日、高齢化という言葉がややもすると暗いイメージで語られることがあります。果たして本当にそうなんでしょうか。何歳になっても働けるうちは働きたい。社会のために、地域のために、そして家族のために尽くしたい。これは高齢者の共通の思いだと思います。また、若い世代が高齢者から知恵と経験を学び取ってこそ、社会は発展していくんじゃないでしょうか。働きたいと考えておられる高齢者の雇用を、どう増やしていくのか。お年寄りと若い世帯の交流を始め、地域活動への参加をどう進めていくかなど、本当に真剣に考えていきたいと思います。

 また、高齢期に入っても、自立し、必要があれば家族や近所の方々と支え合うようなことが出来るよう、国民皆保険、皆年金という制度を守りながら、医療、年金、福祉の垣根をいま一度見直し、改革を進めていきたいと考えています。

 新年に当たって私の考え、思いを申し上げます。

 この一年、まず、金融システムの安定と景気回復のために万全を期します。今、日本の金融システムを断固守らなければなりません。政治責任は国民の暮らしの安寧をいかに確保し奉仕するか、それ以外のなにものでもありません。私は、全力を挙げて国民生活を守ります。その上で、中央省庁再編の道筋を定める基本法の成立を始め、六つの改革に全力を挙げて、個人の能力が最大限発揮される社会、お互いの努力を尊重しあえる包容力のある社会をつくり上げていきたいと思います。

 改革には犠牲を伴います。しかし、私たちが目の前の困難を恐れて改革を怠ったら、子や孫の世代は、活力が失われた経済・社会を受け継ぐことになるでしょう。次の世代に豊かな暮らしをしてほしい、心をなごませる分野や芸術により多く接してほしい。この国を、人々が、そして企業が世界中から集まる活力と自信にあふれる国、国際社会の一員として世界から尊敬される国にしたいと、心からそう願っております。

 明るい将来のために、国民の皆様のために全力を尽くす決意です。

 皆様のご支援とご協力を重ねてお願い申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 −それでは、内閣記者会を代表いたしまして、まず幹事社から質問申し上げます。

 まず金融システム安定化と景気対策の点なんですが、たった今、総理も金融システムの安定と景気対策のためには万全を期すというお考えを表明なさいましたが、具体的に今年の景気、経済の先行きをまずどうごらんになるかということと、それから昨年末打ち出されました総額三十兆円の金融システムの安定化策に対して、まだ十分な効果が上がっているとは言えないかと思うんですが、市場や国民の不安を解消して、経済を活性化するためにこれで十分だとお考えなのかどうか。この点をまずお伺いしたいと思います。

○総理 昨年の秋以来、金融機関の破綻が相次ぎました。これにはさまざまな各社ごとの要因がありますけれども、これが我が国の金融システムの安定性に対し、一部に不安や動揺を生じさせました。そうした中で、金融システムの安定性強化のために、万全を期していく。そして、国民の安心感とともに、内外のマーケットの信任を得る。これは現在政府に課せられている重要、そして喫緊の課題だということは今おっしゃるとおりです。

 ですから、このためには、金融システムの安定性の確保と並行し、預金者の保護を図ると同時に、景気の回復に向けて目に見える対策を一つずつ講じていくことが一番大切だと思っています。

 先般、自由民主党において、金融システムの安定化策が具体化され、その中から十兆円の国債と二十兆円の政府保証、合わせて三十兆円の資金を活用することが出来るようになりました。今、内閣を挙げてその法制化に早急に取り組んでおりますし、これが法制化され、国会でご論議をいただき、一日も早く現実のものになって役立ってくれること。そのためにも作業を急ぎたいと思います。

 同時にもう一つ、この中から出てきた問題が、いわゆる貸し渋りの問題です。

 本来、貸し渋りというのは、金融システムの安定確保で解決をされるものですが、即効的に、かつ直接にこの問題に対応するために、従来はよく中小企業を対象とした同様の措置を取りましたけれども、今度は中小企業だけではなく、中堅企業も含めて、日本開発銀行、中小企業金融公庫、国民金融公庫などに新しい融資制度を創設して、九年度の保証を含めて十二兆円。更に十年度の融資分を合わせると二十三兆円の資金を用意しました。民間の金融機関で必要な資金を受けられないお仕事をしていらっしゃる方々、この政府系金融機関をフルに活用していただいて、必要な資金を得ていただきたいと思います。

 同時に民間金融機関自体も融資がしゃすくなるように、国内金融機関に対する早期是正措置の運用を弾力化することを決めました。

 こうした金融システムの安定化への万全を期した取組みのほかにも、二兆円規模の特別減税を実施する。また、法人税、金融関係の、また土地関係の各種の減税措置を盛り込んだ平成十年度の税制改正、この思い切った措置すべてが私は相乗効果を持って我が国経済の力強い回復をもたらすものと確信をしております。

 ここで経済見通しの数字を改めて長々述べたりすることは避けたいと思いますが、少なくともこの金融システムの安定のために、そして破綻する金融機関に対応出来るように、すべてのことを考えてこれだけの資金を用意して、それと減税を始めとした各施策が私は相乗効果を発揮すると信じています。

 −続きまして、財政構造改革路線と今の総理からご説明いただきました景気対策などとの、整合性のことなんですが、昨年末二兆円減税を来年度補正予算に盛り込んだことにつきましては、財政構造改革法には抵触いたしませんが、しかしながら、赤字国債依存から出来るだけ早く脱却しようという財政構造改革の基本的な理念といいますか、考え方には逆行するという見方もあるわけです。総理は財政構造改革路線は堅持されるということは、引き続きおっしゃっておられますが、具体的に二〇〇三年度までに赤字国債を発行ゼロにするという自標をどうやって案現なさるお考えなのか、そこをご説明いただきたいと思います。

○総理 このASEANプラス一から帰国して、決断をした二兆円規模の所得税の特別減税、これはいろいろなご批判をいただきました。今、あなたからご指摘があったような議論もありましたし、それから相談なしに決めたという批判がありましたし、金額が少なすぎる、あるいはタイミングが悪い、いろいろなご批判をいただきました。しかし、本当に内外の厳しい経済、金融情勢というものを考えてみた挙げ句、私は思い切った施策が必要だという判断から、これを緊急に実施するという決断をしました。

 その政策運営の基本、これはさまざまな構造改革を進めていくことです。これはちっとも変わっていません。同時に、そのときどきの経済や金融情勢あるいは国際的な状況に応じて、必要な手を打っていくということは、私はもともと当然のことだと思っています。

 そして、今言われたような、こうした措置が財政構造改革に反するというようには私は考えておりません。むしろ、補正予算に二兆円の減税の対応を盛り込む、こうしたことをしましたのは、早急に減税効果を発揮するという観点であります。

 同時に編成を終えた平成十年度予算、昨年末大変みんなに苦労をかけましたけれども、法人、金融、土地などの減税などによりまして、大幅な歳入の減収が見込まれるわけでして、公債減額については一兆一千五百億円、特例公債の減額については三千四百億円の減額を達成しました。これは現下の経済情勢、金融情勢というものを考えていただいたときに、財政構造改革法成立後、初めての予算としても、しかるべき減額を達成することが出来たと私は思っています。十年度予算は、財政健全化目標の達成に向けてさらなる一歩を踏み出すということになると考えています。

 いずれにせよ、財政健全化目標というのは容易に達成出来ることではない、今後とも財政構造改革を一生懸命に進めながら、最終的な目標達成に向けて全力を尽くしていきたいと思っています。

 −では、次に外交問題についてお伺いいたしますけれども、総理とエリツィン大統領は十一月の首脳会談で、二○○○年末までに平和条約の締結に向かって、全力を尽くすというふうに公表されました。この大きな努力目標達成のために、総理はどういうふうに具体的に道筋をつけていかれようとお考えなんでしょうか。

 また、一月にはエリツィン大統領の来日も予定されていますが、まず大統領とはどういうふうに話をしていかれようとお考えなんでしょうか。そして、平和条約が締結されましたら歯舞、色丹の二島は返還されると考えてよろしいんでしょうか。

○総理 ロシアとの関係というのは本当に随分長い間、我が国にとって重い課題として動きを見せなかったもので、昨年まずデンバー、そしてクラスノヤルスク、二回エリツィンさんとお話をする機会を得ましたし、特に二度目のクラスノヤルスクの際には、ネクタイなしでという提案をしたとおり、本当に二人がひざを突き合わせて自由な議論をすることが出来、その中で東京宣言に基づいて二〇〇〇年までに平和条約を締結する。そのために全力を尽くすという合意が出来たわけです。

 そして、それと合わせて政治経済ばかりではなく、安全保障等の分野も含めて具体的な成果が均衡の取れた形で達成をされました。この雰囲気を今年どうやって持続していくか。これは今あなたの指摘のとおり大変大事なことなんですが、まず今年、小渕外務大臣に、まだ時期は確定していませんけれども、ロシアを訪問していただかなければなりませんし、そこでまた具体的な話がいろいろ出てくると思いますけれども、四月にはエリツィン大統領を今度はご家族で日本にお招きをしているわけで、どこにしたらいいのか、同じようなネクタイなしの雰囲気の中で十分な議論が出来るいい場所を今、一生懸命に探しています。これはいずれ近いうちに決めなければなりませんし、出来れば小渕さんが行かれるとき、日本側の候補地としてこういうところがあるのだが、どうだということが聞けるぐらいの作業をしたいと思います。

 こうしたことを含めて、本年日露間で予定されているハイレベルの交流も幾つかありますが、その交流を通じてさまざまな分野における対話、協力というものを一層拡大強化していくと同時に、まさに東京宣言に基づいてクラスノヤルスクの合意のように平和条約を締結し、完全な正常化というものを両国の間に実現するために、引き続き全力を尽くします。

 その際大事なことは、我々として北方四島が我が国の領土として確定される。それは当然ながら国境線の確定のない平和条約というものはあり得ませんから、我々は日本の固有の領土である北方四島が、平和条約の締結時においては日本の主権が確認される、そう信じています。また、そういう方向に全力を尽くしていきます。

 −では、次に、日韓関係についてお伺いしたいと思います。先月韓国では次期大統領にキム・デジュン氏が当選されましたけれども、大統領選の翌日に総理は早速電話で会談をされまして、新しい時代を築いていくということでお互いに協力していきましょうというお話をされたということですが、韓国ともやはり難しい領土問題があるように思います。こちらの解決の方はどういうふうに考えておられますでしょうか。

○総理 ちょうど昨年、韓国の大統領選が終わって間もなくのとき、次期大統領としてのキム・デジュンさんと電話でお話をして、そのとき二十一世紀に向けて日韓関係に新しい時代を切り開いていこうという話し合いをしたわけですが、具体的な、例えばいつお目にかかろうというところまでは、その辺まではお話をしていませんでした。

 一方、竹島の問題について、我が国の立場というのは一貫したものです。こうした日本の立場は、韓国側に随時あらゆる場面で申し上げてきていることです。私自身も、現在の金泳三大統領との間で竹島問題についての我が国の立場というものは、何回か話し合いの中に上せてきました。

 ただ、同時にこの問題に関しても、両国の立場の相違というものが、両国民の感情的な対立に発展したり、本来あるべき両国の友好、協力関係というものを損なうことは適切でないと、そうも考えてきました。また、そう申し上げてきました。これは、今後ともに両国間で冷静で粘り強い話し合いを積み重ねていかなければならないことだと思います。

 私自身も何回か金大統領とお目にかかり、その時その時にこの議論をしてきましたけれども、それで全体が壊れないようにということも実は心掛けてきました。恐らく韓国側も同じような思いを持っておられたのではないだろうかと思っています。

 −次に沖縄の問題ですけれども、普天間飛行場の移設を巡って名護市の市民投票の結果と違う形で海上ヘリポート基地の受け入れを表明した比嘉市長が辞任されることになりました。

 それで、この出直し市長選挙が行われることになって、地元の対立は更に深まる様相を示しています。この問題をどのように解決していくかということと、既に海上ヘリ基地の建設計画はSACOの最終報告で十二月中という期限があったんですが、それより遅れています。それで、これが日米関係に与える影響についてお伺いします。

○総理 これは皆さんにも是非思い出していただきたいことですし、同時に報道を通じて国民に改めてご協力をお願いをしたいと思います。

 この問題の一番元は何だ。日米安全保障条約の下で、日本が条約上の義務としてアメリカ側に提供している基地の七五%が沖縄県内に集中しているというところから出ている問題だということです。大田沖縄県知事と私が総理としてお目にかかった最初に、当時懸案として考えられていた他のいわゆる三事案と言われる案件よりも、何より急ぐものとして、住家に密接し、学校等に密接している普天間の基地を動かしてほしいというのが、大変強い知事の意思として述べられ、私自身場所を知っていましたから、その思いをそのままに受け止めて、その後、日米間の議論の中でどうすればそれでは答えが出せるのか。現実的な解決策を模索してきた中から、今回の問題点が出てきたと思います。海上ヘリポートという考え方を出したのは移設可能である、そして自然環境とか、騒音とか、あるいは安全とか、いろいろな要素を考えた挙げ句、現時点では最善の選択肢だと考え、結局可能な海上施設という形でこれを提起したものです。そして、政府としてはこれが地元の皆様から本当により深いご理解をいただきたい、そう願ってまいりましたし、今もその気持ちは全く変わりがありません。

 そうした中で、先日、比嘉市長は国益、県益、市益という言葉を用いられましたけれども、これを熟慮した上で海上ヘリポートを受け入れるという、恐らく大変な悩み抜かれた上での決断だと思いますけれども、その決断を私に示されました。私は本当に深い敬意を表すると同時に、その結論を大変ありがたく高く評価しています。

 しかし、その名護の先人の方の残された言葉の中に、「ふるさとを、和して睦ましめる」、そうした言葉があるにもかかわらず、市長として市民の意見を二分する結果を招いた。自分としてはその責任を取って職を辞するという決断をされました。これを伺ったとき、私は本当に返事が出来ないような思いでした。その市長が辞任をされて、それに伴って行われる市長選、これは地方自治そのものの関心の一つです。もちろん、国政にも大きくかかわる部分も持ちますけれども、本質的にこの地方自治は、私自身がその選挙の結果を見守りたいと思っております。

 しかし、同時にこの海上ヘリポートの建設については県の協力が不可欠であります。知事さんご自身が提起をされた問題に対する出来得る限り、ぎりぎりの選択肢として私どもがご提案をした海上ヘリポートの建設というのは、よく知事にもご理解をいただけるよう、私どもは最大限の努力を続けていきたいと考えております。

 同時にその時、もう一つ付け加えさせていただきたいんですけれども、その時にもう一つ言われたことで、比嘉市長の言葉が耳について離れません。琉歌というのがありますね。沖縄の歌ですが、その琉歌の一つで、その橋を渡るか、渡らないか思い悩んでいるさま、しかし渡らなければならないという大変ご自分の心境を現したような琉歌を紹介されました。

 これに対して、いろいろな言い方を今、世間でされていることを知っていますが、私は比嘉市長の切々たる、普天間の基地をなくさなければいけない。県内移設でしか現実に対応がないとすれば、それは名護でお受けする。その代わり、北部を忘れないで、ややもすると北部の振興はいつもなおざりにされる。この言葉が、実は年が明けても耳に付いて離れないんです。

 −参議院選挙について伺いたいんですが、今年の夏に予定されている参議院選挙に向けて、どのような見通しを総理はお持ちで、どうこの選挙に取り組まれるのか。ほかの党との選挙協力ですとか、今後の政局運営で今の自社さ連立の維持、場合によっては解消というような点については、どのような姿勢で臨まれるんでしょうか。

○総理 順番を逆さにして答えることを許していただきたいんですが、予算編成もお陰様で与党三党の協調という中で行うことが出来ました。これは、予算を一緒につくるということは、本当に自民党として協調関係を保っていく、私どもは当然ながら連立を含む友好と信頼関係を保持することに努めています。その連立政権の下での、丁寧な国会運営に心掛けています。

 問題は、政策のそれぞれについて各党各会派と協力をして、そういった意味で国民本位の、政策本位の政治を進めていくということをまず申し上げておきたいと思います。

 その上で今、私は選挙協力が念頭に置かれているという感じは持っていません。この選挙というのはどういう選挙であっても、政党政派としてそれぞれの主張をかざして、国民の信任を得るべく闘うわけですから、私は性格はそういうものだと思います。

 そして今、進めている三つの改革というものを本当に断行していくために、あるいは昨年の秋以来始まっているような金融の破綻といった状況に機動的に、こうした緊急かつ重要な事態に機動的に政策課題に対応していく。そうするときには、安定した政治状況が必要不可欠だということを申し上げるしかありません。そして、その上で何としてもこの夏の一大決戦である第十八回の参議院選挙、自由民主党としては全力を尽くして過半数の議席を獲得しなきゃなりませんし、持てる力を結集して闘ってその目標に到達したいと、今、心からそう願っています。

 そういう意味では、昨年から選挙区選挙において、複数区は複数の候補者という基本原則をもって候補者の選考を進めながら、比例代表選挙においても、我が党が必要とする、また国民にご推薦するにふさわしい多彩な人材の確保に全力を挙げてきました。そしてその結果、現在までに比例代表の公認候補者二十二名、選挙区選挙の公認推薦候補者五十二名を決定していますし、残る候補者についても選考を急いでいます。我々は何としても参議院における過半数を国民から与えていただきたい。そのためには、私自身としても党一丸となって全力を挙げてこの参議院選挙を闘い抜いていく、そういう決心でおります。

 −幹事社からは以上ですので、各社どうぞ。

 −日本発の世界恐慌は起こさないという発言を具体化するために、内閣の一部、あるいは思い切ってこの際、人心一新を図るために内閣を改造してはどうかという声が出始めていますが、この点に関しては総理はどのようにお考えですか。

○総理 これは全然今、考えていません。第一、予算編成が終わって間もなく国会を召集する。この予算編成をする閣僚、そしてその予算を説明し、ご理解をいただく立場に立つ閣僚が違っちゃうと大変苦労が多いですよ。私も覚えがあるけれども。

 −名護の海上ヘリポート建設問題ですが、今のお話の中で総理は市長選挙の結果を見守りたいというふうにおっしゃいましたが、これは例えば今後大田知事の理解が得られたとしても、あくまでも市長選の結果を見て最終的な建設、具体的な実現について、政府として動き出したいということと考えてよろしいでしょうか。

○総理 私は正確な言葉遣いをちょっと今、ぱっととっさには言えませんが、市長選挙というのはあくまでも市民の皆さんが自分の市の行政首長を選ばれる選挙なんです。私は残念ですけれども、名護の市民ではないので、政府は市長選挙の結果は見守る以外にないです。そこで一票を投ずる権利をお持ちなのは名護の皆さんだけなんです。私はそういう意味で申し上げたつもりです。

 −ありがとうございました。これで年頭の記者会見を終わります。

○総理 どうもありがとう。今年もどうぞよろしく。