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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 平成九年年頭記者会見(橋本龍太郎)

[場所] 
[年月日] 1997年1月1日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),726−744頁.
[備考] 
[全文]

○総理 プレスの皆さんのご了解を得ていると思いますので、新春の年頭所感に入ります前に、別な発言をお許しいただきます。

 十二月十八日に発生した在ペルー日本大使館公邸襲撃事件が、いまだ解決していないということは本当に残念でありますし、まだ人質とされておられる多くの方々のご苦労、そして、ご家族のご心配の気持ちを思うと、本当に心が痛みます。この事件の一刻も早い平和的解決のために、更に一層の努力を重ねていきます。そうした決意を今新たにしています。

 同時に、この事件が政府にとって、極めて重要な体験であり、この対応が非常に重要であることは申し上げるまでもありません。しかし、同時にこれが国政の障害となってはならないということもまた事実です。

 そこで、私としては、事件の平和的な解決に向けて、最大限の努力を傾けておられるフジモリ大統領に全幅の信頼を置きながら、一月の私のASEAN訪問については、これを予定どおり実施することといたしました。その間、賛否、それぞれの立場からたくさんの方々が真剣な意見を私のところへ寄せていただいたことに、この場を借りてお礼を申し上げます。

 しかし、よけいなことですが、この間、このペルーの事件を巡る対応については、万全を期す必要がありますし、政府専用機には当然世界中のどこからでもダイレクトに電話がつながりますから、ここは対応が十分ですが、訪問させていただくASEAN諸国では、どの場所にいても、連絡が取れる体制が維持できるかどうか。最後までチェックをしました。

 そして、どこにいても連絡が十分に取れる。また、ペルーの現地とも直接連絡が取れるというだけの体制が整備出来ましたら、こうした外国訪問中の私への連絡体制、及び東京における体制の整備につきましては、既に外務大臣、及び対策本部に指示をいたしまして、また官房長官にも当然ながら内閣の中心で采配を振っていただくことがあります。

 一刻も早くこの事件が平和的に解決すること、そして人質が全面解放される、そうした事態に向けて引き続き全力を傾注していきたいと思います。

 冒頭、この点だけ年頭所感とは別に申し上げておきたいと思っています。

 この点については、いろいろご質問があるかもしれません。これは恐れ入りますが、年頭所感の方とも連動しますので、年頭所感に対してのご質問の中でお答えをしたいと思います。

 新年あけましておめでとうございます。

 昨年十二月十八日に発生した在ペルー日本大使館襲撃という誠に不幸な事件が、二週間経った現在もいまだ解決を見ていない。こうした事態は痛恨の極みです。

 いまだに人質とされておられる多くの方々に対し、そのご苦労を思うとき、また、ご家族のお心に思いを馳せるとき、本当に心が痛みます。事件の一刻も早い平和的な解決のために、さらに一層全力を傾けてまいります。

 我が国政府としては、事件発生当初より、テロに屈することなく、人命尊重を優先し、ペルー政府などと連絡を密に取りながら、この事件の平和的な解決に努力を傾けてきました。

 また、フジモリ大統領も私自身との連絡の中でも、また、国際社会に対して平和的解決に全力を挙げると、そうした立場を再三明らかにしておられます。今後とも、国際社会の支援も得ながら、人質の即時全面解放を求めてまいります。国民の皆様のご支援を引き続き心からお願いを申し上げます。

 この事件に対する対応が、政府にとって極めて重要であることは論を待ちません。しかし、同時に国政の障害となってはならないというということもまた事実であります。こうした観点から、考えに考え抜いた末、かねてから予定をいたしておりました、この七日からの私のASEAN諸国訪問については、これを実施することといたしました。当然のことながら、この間のペルー事件を巡る対応については、万全を期すこととしておりますし、政府専用機で空中にある時間帯をも含めて、私への連絡・通報体制は世界中のどこからでも必ず届く体制になっておりますし、東京における体制も既に整備を終わっております。

 さて、新しい年、平成九年、一九九七年を迎えて、いよいよ二〇〇〇年の扉が開くまでにあとわずか三年を残すのみとなりました。

 私が政権を担いましてからも約一年の月日が流れましたが、今、私は、この国が新しい時代の創造に向けて、変革の胎動期とでも言うべきそんな時期に入っていると確信しています。現在、政治に期待される役割は、この国に芽生えている改革の動き、あるいは国民の皆様の間に高まっている変革への期待・エネルギーをいかに現実のものにしていくかという点にあります。

 この新しい年の門出に当たって、私としては、今一度、これまでの我が国の発展の在り方の、その道筋というものを振り返りながら、今後我々がどのような社会をつくり上げていくべきなのか。そのためにこの国の政治、経済、行政をどう変えていかなければならないのか。率直に私自身の考えを申し上げてみたいと思います。

 この新しい年、本年は第二次世界大戦に日本が敗れてから、数えて五十二回目の元旦に当たります。私はその当時小学校の二年生でしたが、そのころの記憶はいまだに鮮明に脳裏に刻み込まれています。

 今や国民の過半数の方々が、昭和二十一年の、あの元旦の焼け野原の日本、本当に絶望に打ちひしがれて、離散している家族の安否を気づかいながら、まさにその日その日の食べ物にも不自由した時代をご存じありません。

 しかし、この時、あのころほど、私たちにとって平和というものの貴さが分かり、その中で一日も早くこの国を立派なものにしたい、今思うと大変月並みな言葉になるかもしれませんけれども、平和で豊かな国をつくりたいという気持ちをみなぎらせていたときはなかったんではないでしょうか。

 その後、私たちは、本当に勤勉な努力を積み重ねてきました。諸外国の温かい支援も受け、この国は、驚くべきスピードで戦後の荒廃から立ち直り、更に欧米へのキャッチアップを目指した高度成長の道を突き進んで行きます。

 初めて我が家ヘテレビが入った。あるいは東京オリンピックの表彰台へ日の丸が立ったときの感激、あるいは電気洗濯機が我が家へ初めて入ったときの母親が、どんなうれしそうな顔をしたか、私たちの世代はそういう思いを忘れることが出来ずにいます。

 私たちは経済の復興と発展というものを第一に、個人個人が我慢をしながら、目標に向かって力を合わせあう、そうした仕組みをつくり上げることによって、高度成長を実現してきました。企業の組織や行動をとっても、官と民の関係にしても、あるいは国と地方の関係についても、お互いの立場、考え方の違いは違いとしながら、大きな目標の実現のために、みんなが力を合わせて問題を解決し、ここまでの経済的な豊かさというものを獲得してきた、そんな道筋でした。

 しかしながら、いつの間にか、私たち自身が先進国の一員に仲間入りをしていた。そして気がついてみると、仰ぎ見る目標を失ってしまった。むしろ台頭してくる発展途上国の追い上げを受ける立場にある。そうした私たちは今や自らが新たな価値をつくり上げていかなければなりません。こうした状況の中で、現在、私たちの社会、私たちがこれまでつくり上げてきたシステムそのものが大きくチャレンジに直面しております。

 日本的な経済システムや官僚制度、これは経済が右肩上がりで、私たちが目指すその目標というものが明らかであるときには、その目標に向かって極めて効率のよい経済発展を実現し、不公平感の少ない社会を建設する大変すぐれた制度でもありました。しかし、国民の価値観が多様化し、目標も単純なものではあり得ない、そうした社会情勢の中にあって、かつて日本の発展を支えてきたさまざまな制度や慣行というものが、逆に停滞の大きな原因になっている。残念ながら否定出来ない事実です。

 本来、国民生活の安全や経済の安定的な発展を実現するために、他の国々の事例なども研究して導入されたはずの規制が、いつの間にか自己目的化し、そして特定の産業や特定の人々の利益を守ることになり、国全体から見ると、世界にも例を見ない高物価、高コスト構造というものをつくり出す最大の原因になっているのではないか。

 かつて民間企業の体力では必ずしも十分なサービスが提供出来なかったという状況の中で、都市や田舎を問わず、一律のサービスを提供するために政府自らが官業として行ってきた事業、これが今日、民間の事業機会を奪う結果になってはいないのか。地方の発展基盤を整備することを目的としていたはずの補助金、それが逆に地方の独自性の芽を摘んでしまう。コスト意識の欠如を招き、結果として地方の中央依存を強めているのではないか。

 また、社会資本整備の名の下において行われてきた財政支出というものは、地域経済の中で毎年毎年、当然の支出として行われた結果として、全国各地で利用度の低いむだな施設整備が行われたり、あるいは事業単価が極めて高くついたり、また、各省庁の縦割り予算の中で、連携なしに事業が実施されているという事態を招いています。このような状況の中で、地方の補助金づけの中央依存体質や、国の財政の硬直化が加速的に進展しているのではないだろうか。こうした疑念が次々とわいてきます。

 そして、教育に芽を転じてみましょう。

 現在、この国の優秀な、多くの若者たちは小学校、あるいは幼稚園のころからかもしれません。画一的、競争的な教育を受け、中学・高校・大学と過酷な受験戦争を勝ち抜いて、卒業後は一流企業に就職をすることを目標として走り続けています。私は、人間が目標に向かってひたすら努力することの価値、競争というものの大切さを否定するものでは決してありません。むしろそれぞれの人の自己責任に基づいた競争というもの、これは今後の社会において極めて重要な原理になるでしょう。しかし、一体彼らが何を目標に努力し、競争しているのか。その目標は自分の意思で決めたものなんだろうか。こんなこと一つを取っても、何とも割り切れない思いが私の胸を襲います。

 二十一世紀の前半を支える人材の養成を行うのに、私たちの現在の教育システムというものが、夢や希望や目標を自分で設定出来ない教育。高度成長期にはふさわしかったような制度、いや、もしかすると、そのころでも一人一人の個性や創造性というものを尊重しない知識偏重の詰め込み教育になっていたのではないでしょうか。

 国際関係について見ても、米国を中心とした国際社会がつくり出す平和と安全の枠組みを当然の前提とし、私たちがその中で行動していればよいという時代はもう過ぎました。今や日本自身がつくり出す理念や価値を国際社会に広めていくべき時代に差しかかりつつあるのではないでしょうか。いや、既に入っているのかもしれません。

 我が国は地理的にも歴史的にもアジア太平洋国家です。世界的規模での役割分担を考えるときに、我が国に最も期待されている役割、それはこの地域の政治の安定を確保しながら、経済の持続的な発展に尽力していくことでしょう。

 APECやASEANの枠組みを活用し、経済協力や貿易・投資の自由化の推進に加えて、アジア諸国に先立って我が国が試練に直面し、技術や経験を蓄積した社会保障や環境保全について、こうした分野における技術協力や政治的な対話を積極的に行っていくことが、ますます重要となるのではないでしょうか。

 また、安全保障面では、この地域の平和と繁栄の基盤である日米安全保障体制を維持・強化することが不可欠でありますし、そのためにも、これまで長きにわたって沖縄の方々が背負ってこられた重荷を国民全体で分かち合うという姿勢に立って、沖縄の方々との信頼関係を一層強化していけるよう、引き続き、最大限の努力を払わなければなりません。

 東西冷戦構造という戦後のイデオロギー対立は終わりました。そうして、経済活動の境界線となっていた国境は限りなく消滅しつつあります。こうした状況の中で、気がついてみると、我が国は超高齢社会に突入し、産業の空洞化や未曾有の財政赤字などによって、経済活力が著しく損なわれつつあります。

 また、我が国唯一の資源とも言うべき人材を育む教育の現場でも、先程申し上げたような状況の中で、いじめや青少年非行が増大するなど、懸念すべき状況になっています。

 最近における公務員の相次ぐ綱紀の乱れなどに起因する国民の行政への不信の高まり、そしてそうした行政の腐敗を生んだ政治の指導力の欠如への不信感・失望感、これは日本の社会、システムの危機に輪を掛けるものでありますし、このような事態への最終責任は、国民の代表である私たち政治家が負わなければならないものであることは明らかであります。現状を厳粛に受け止め、今こそ二十一世紀にふさわしい政治、経済、社会、行政のシステムを新たに築かなければならないときがまいっております。

 私が思い描く二十一世紀の日本、その社会、それは国民一人一人が、国や地域社会に誇りを抱きながらも、その所属する社会や組織に埋没するのではなく、自らの将来に自由な夢や目標を抱いて、個人個人の創造性とチャレンジ精神が存分に発揮出来る社会、世界の人々と分かち合える価値をつくり出すことの出来る社会、そんな社会を目指していきます。

 こうした社会を実現するためには、個々の制度の改革だけでは不十分であり、政治、行政、産業が相互に密接に関連し合いながら発展を築き上げてきた、戦後の我が国の経済社会システム全体にわたる大転換を行わなければなりません。

 現在、明治維新期における近代国家の形成、第二次世界大戦に敗れた後の民主国家の建設に次いだ、第三の変革期に差し掛かっている、私はそう思います。

 こうした時期にあっては、部分的な、あるいは対症療法的な手法では決して望むような成果は挙がりません。明治初年と戦後の過去二回の大変革期において、我が国の経済社会全体が抜本的に転換されたように、今回の改革においても、国家全体にわたる大改革が総合的に、かつ、一気呵成に、なされなければ意味がありません。しかも、黒船ではなく、また、占領軍の指導を受けるのではなく、これは我々自身が自分の手でやり遂げなければなりません。

 私は昨年来、行政改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障構造改革、財政構造改革の五つの改革を言ってきましたが、更にこれに教育改革を加えた六つの改革というものを一体的に、かつ時限を区切って、何としても進めていかなければならないと、そう言い続けているのはこうした思いからです。

 しかし、逆にこうしたさまざまな改革、むしろ改革と言うより新しいシステム、新しい社会の創造と申し上げた方がいいかもしれません。こうしたものを行っていくためには、それが何のための改革かという原点に立ち返って、大胆な変革を進めなければなりません。

 私は一連の社会改革のいわば起爆剤として、私自身が会長となる行政改革会議を昨年末発足させて、抜本的な行政改革の検討を開始したところです。私がここで求めているのは、行革のための行革であったり、中央省庁の看板のかけ替えをすることではありません。現在の行政の中で、その在り方の中には行政のみならず、行政と政治、中央と地方、行政と産業、こうした関係が色濃く反映されているわけですし、こうした関係が、いわゆる官主導の主義、官主主義とか官治国家、中央集権と呼ばれるような、この国のこれまでの社会全体を代表している、これを全面的に見直していくことが今後の我が国の創造的な発展のために不可欠だと、そう信じるがゆえに行政改革を最優先の課題としたのです。

 我が国の行政組織というものは、戦後復興期、あるいは成長期にあって、貧富の差など社会的な格差を是正しながら、この国が持つ限られた資源を一定の分野に集中して、効率的な経済発展を実現するという意味においては、極めて効果的な体制でした。しかし、行政が抱える課題が日々複雑多岐になり、かつ、国際的なものになり、また、行政、民間を通じてその先行きを展望することが困難になっている時代において、もう社会は、官と民、そして国と地方との関係において、中央の政府が、民間や地方に対し、一方的に望ましい方向を指し示す、監督していく、そうした体制を求めてはおられないと思います。むしろ、そうした体制こそが、民間の産業活動の伸びやかな発展と地方や個人の自立を阻む阻害要因となり、そして、国際的に見ても異質な存在となっていることは明らかであります二局コスト構造と言われる非効率性、通信やソフトウエア、どういった中身を提供するかといった分野でのダイナミックな動きに対する遅れ、東京金融市場の地位の低下などを克服するために、新たな環境を用意しなければなりません。

 国際的に大競争時代が到来する中にあって、国境を越えた競争の主体は、産業だけではありません。個人や危機の活動を支える政府が、いかに効率的に、住民本意の行政サービスを提供することが出来るか、それがその国の国民の福祉や活力を左右しますし、また産業の生産性や競争力に極めて大きな影響力を及ぼすことになります。時代が求める政府は、市場原理を尊重し、透明なルールの、その下において、国民、住民本位の効率的な行政を実現する政府です。

 私は規制の徹底的な撤廃や緩和、地方や民間への業務と権限の委譲によって、行政を思い切ってスリム化する。こうした努力が何としても必要だと思いますし、その上で、縦割り主義や、いわゆる省利省益といった弊害を排除しながら、中央省庁を時代と国民の要請にこたえるものに再編すると同時に、省庁横断的な課題への弾力的対応の強化と、迅速かつ、大胆な政策判断を行う体制をつくり上げるという官邸の機能強化策を検討し、年内には成案を得るつもりです。

 こうした行政改革を初めとする改革を実行するに際しては、かなりの痛みが生じます。あるいは、負の部分に影響が出てくることもこれは事実です。確かに、これまでの規制の傘の下に保護されていた事業を営む方々にあっては、今後は厳しい競争の荒波にさらされることになりますし、品質、サービス、価格などあらゆる面で努力しなければなりません。反面、消費者にも、商品・サービスを自ら選択する厳しい目が求められますし、例えばどこの電話会社が、どこの金融機関が、ホームヘルパーのどなたが、より低い価格で自分のニーズに合った安全な商品・サービスを提供出来るかを自らの責任で決めなければなりません。これが自己責任です。

 また、地方分権は、地方公共団体自らのビジョン、企画力、資源配分の能力を試すこととなりますし、隣接する地方公共団体同士が競い合うことにもなるでしょう。

 しかしながら、マイナス面に目を奪われて、改革への努力を怠ったら、将来の我が国には、より厳しい展望のない現実が待ち受けるだけになります。社会に活力を取り戻すためにも、この改革はためらってはなりません。

 今こそ、今年こそ、皆様とともに日本を本当の意味で、平和で、豊かで、個人個人が自由で伸びやかに生きることの出来る、そして、私たちが自分の国としてプライドを保てる、そうした国にしていくために行動を起こすときが来た、私はそう確信しています。

 重ねて国民の皆様のご支援、ご協力を切にお願い申し上げます。

 −それでは最初に、記者会側としまして、幹事社から二問お尋ねします。

 まずペルー事件ですが、対話による解決に言及しておりますが、国民が、政府に期待する話合いによる平和的解決への手ごたえといいますか、その見通し、また、ゲリラ側から日本政府に対する何らかのコンタクトないしは要求はあるのでしょうか。更に、このペルー事件を教訓にしまして、この種の事件に対する政府の危機管理体制の整備についてのお考えをお聞かせください。

○総理 まず第一に、ゲリラあるいはテロリスト、MRTA、どう呼んでも結構ですけれども、彼らから日本政府に対して直接のコンタクトはありません。また、これはあっても我々は受けるつもりはありません。この事件の正面に立って、全責任を負っているのはペルー政府ですし、今、ペルー政府が、フジモリさんを中心に一生懸命努力をしていただいている。そして、既に対話の動きが出てきていることも皆さんがご承知のとおりです。

 我々はペルー政府がこの事件に全力投球が出来るように、それをやりやすい状況をつくるためにペルー政府をサポートしています。そして、その中で、我々が求める人質の即時全面解放というものが一日も早い状況で生まれることに全力を費します。

 それから、この事件全部が終了して、今、人質になっておられる方々が自由の身になられ、改めて大使を始め大使館員に、事件発生前から、その中におけるすべての話を聞いていく中で最終的な結論は出てくるでしょう。

 我々は今、この事件の解決に向けて全力で取り組んでいる最中ですし、既に、この事件を教書にして、さまざまな危機管理体制というものの新たなチェック・ポイントとでも言いますか、こうしたことを学びつつあります。そして、そういった流れの中で、既に平成九年度予算編成に対しては、大使館、大使公邸警備の在り方、あるいは必要な機材、人員、そういったものについては予算化を実行したものも出てきました。今後もこの中から学ぶことは非常に多いだろうと思っています。

 −次に行革についてお伺いします。一年かけてやるわけですけれども、春ごろに中間取りまとめをやるお考えはありますか。

 それと、今年六月、総理は自民党総裁としての任期を迎えるわけですけれども、行革の日程からいって、総理は改選を目指すのではないかと思われますが、どうお考えですか。

○総理 まず第一に行政改革の方からお答えをしますけれども、先程申し上げたように、これは何としても仕上げていかなければなりませんし、これは行政改革会議だけではなくて、既に官民の役割分担の洗い直し、あるいは規制緩和や撤廃といった作業をしていただいている、あるいは地方分権推進ということから、第一弾の意見を出していただいている、そうした審議会があることもご承知のとおりであります。

 それから、当然ながらそうした成果は、この行政改革会議の議論の中に生かしていかなければなりません。そして、特に地方分権については、そもそもの基本論にまで立ち至ったご報告というのは、春を多少過ぎるかもしれません。それだけに、そうしたご報告をいただき、それを行政改革会議で中央省庁の在り方をベースに引いていくからには、余り春に中間報告を出すといったことにこだわりたくはありません。要は一年以内に成案を得るということが一番大事なことであって、私は、その一年ぐらいでまとめ上げた成案を受けて、法律案の形で、平成十年の通常国会に提出して、これをご審議いただきたいと思っています。

 それにつけても、やはりこういう仕事をしていくというのは、国民の世論の支えがなければ進みません。それだけに、一方では、規制を緩和・撤廃することによって、中央省庁が持っている権限を放していく。地方分権を進めることによって、権限を手放していく。当然ながらスリムに成り得るわけですから、そうした作業と並行した行政改革、中央省庁の在り方を検討していくということに、是非国民も関心を持ち続けていただきたい、督励をしていただきたいと思います。

 それから、今、私は今回のペルー大使公邸襲撃事件を始め、五つの改革に今日、教育改革を加えて六つを申し上げてきましたし、更に沖縄にかかる問題といったものを考えるとき、こうした重要な政策課題を前にして、一日一日全力を尽くすということで精一杯で、正直、とても秋まで頭を回しているゆとりがありません。これは本当に想定であります。

 −それでは、各社自由に質問してください。

 −ASEAN訪問ですが、もし非常に突発的な事態があった場合には、これまでの日程だと、長い期間だと、これを改めるような事態もあるんでしょうか。

 また議論なさった背景も、もう少し詳しく教えていただければと思います。

○総理 私は、このASEAN訪問については、急遽日程を変更して帰国するような事態が起こることを本当に望んでおりません。むしろ、出発の前にでも、全員の人質が解放されるという事態が来ることを強く期待します。それが望めない限りにおいて、飛行機の中でも、また現地においても、これに対する対応を緩めるつもりはありません。

 ですから、通常の同行、当初はこうした事件がなければ組んでいたであろうチームとは別に、まさに私自身が飛行機の中であれ、それぞれの国を訪問中であれ、常時連絡を受けられる体制は当然のことながら持っていきますし、その意味での専門家も一緒に連れていきます。

 そして、出発までにも出来るだけの努力はしていきますが、いろいろな意見を皆さんがくださいました。そして、大変正直なマスコミの方の中には、この話はどちらにお前が決めても、おれたちは悪口を書くという宣言をされた方があります。すなわち、中止すれぱ中止したと。訪問を実行すれば、こんな大事な事態が一方で進行しているのにと、どっちにしてもほめることはない。そんな表現をされる方もありました。

 最終的に本当に私が行こうと決断をしたのは、フジモリさんが非常に一生懸命に平和的な解決に努力を続けていただいている。当初から信頼してきましたけれども、そのペルー政府に対する信頼を一番はっきり表わす形としては、この外交日程を予定どおり進めていくということが、一番はっきりした意思の表明だと、こう思います。

 それから、エリツィン大統領の提案というものから、G7の点で言うと、ロシアを加え、主要各国が足並みをそろえ、平和的な解決に向けてペルー政府を全面的に支援をしていく、そうした意思表示は既にありました。我々はテロに屈するわけにはいきません。テロと妥協をすることは出来ません。その上で、人質の安全、全面解放に進めていかなければならないわけです。その交渉に当たる窓口は一つでなければなりませんし、ほかから雑音が入って交渉が二度三度にわたるようなことは避けなければいけません。そうした中で、信頼を表明する目に見える形として一番大きなもの、これが最終的に私が判断をしたポイントの一つです。

 同時に、こういう事態が起きたときに、本当に訪問予定をしていたASEANの各国の皆さんから、こういう状況なんだから、もしかしたら予定どおりに出来なくても、我々はそれで日本との関係を左右することはないよ、という伝言もいろいろな形でいただきました。とてもうれしかったです。こういう事件の中で、寄せられるそういう声というのは、国としても本当にありがたいことです。そういう気持ちを表明していただいているからこそ、なおさら、遊びの要素は、例えば、観光を予定してくださっている場合はみんな省かせていただきますけれども、公式な行事として受け入れていただける場所はきちんと実行していく。それだけ寄せてくれた各国の心にこたえたいと、こうした思いも私の中にあります。

 −総理、七日以前に人質事件が解決する感触があるということが、ご判断の根拠ではないんですか。

○総理 残念ながら、それほど私は事態を楽観していません。むしろ、こうした事件の解決のよい例として引かれるのは、コロンビアにおけるドミニカ大使館の襲撃事件、これは幸いに人命を全く損傷することなしに決着をしましたが、これは決着まで六十二日間かかりました。

 そして、そういう過去の例を見ると、比較的短期に解決をしたケースというのは、ほとんどのケースで、人質、テロリスト双方を含め、場合によっては政府側を含め、多数の犠牲者を出した結果になっています。ですから、むしろ時間がかかる、それは平和的な解決を求めて双方が努力している、そのあかしだと私は取っていますし、それは本当に七日の朝までに解決をしてくれたら私は本当に幸せですけれども、残念ながらそれほど簡単に解決をしない、現在ではそういう情報は持っていません。

 −総理、先程テロに屈するわけにはいかないとおっしゃいましたけれども、テロの特殊部隊を持っておりますアメリカとかドイツ、イギリス、韓国などでは、人質を早期に解放されている現実があります。これを踏まえまして、日本でも、自衛隊にテロ特殊部隊をつくるべきだという意見もございますが、それについてはいかがでしょうか。

○総理 私は今そのご質問に対してはお答えをすべきではないと思います、どこの国の人質がどういう順番で解放された、その順番を皆さんと議論することは余りいいことではありません。そして、同時に、例えば、今までハイジャック犯が発生したとき等、警察の特殊部隊が国内においては対応してくれていました。それを海外に伸ばすことがそれほど簡単なことかどうか。これはむしろ現実問題として考えていただいた方がいいと思います。

 例えば、地理不案内な他国の特殊部隊が、地理不案内な場所に誘導されて、しかも共通の言葉を持っていない可能性の多い場所で、武力を行使して、人質の安全というのは確保出来るでしょうか。勇ましい議論というのはいろいろな角度で出来ます。

 しかし、例えば、そうしたことを想定したとき、それぞれの国が主権を持って事件に対応しようとしている。仮に日本がそういったものを現在持っていたとして、果たしてそれが活用出来るでしょうか。

 景気のいい話はいろいろな話があります。私は今、むしろペルー政府、フジモリ大統領が払っておられるこの努力の妨げになるようなことは全くやりたくないです。

 −総理、先程六つ目の改革として挙げられました教育改革について、具体的にどのような分野から着手されようとされているのかということと、例えば、その教育改革を進めるに当たって、審議会のようなものをおつくりになるようなお考えをお持ちでしょうか。

○総理 むしろこれは逆に初閣議の後、文部大臣にそうした視点から教育についての考え方を求めるつもりですし、また、求めることに私自身として決めていますけれども、特に何から、あるいは審議会を新たにつくってという考え方を持っているわけではありません。

 ただ、もう既に中高一貫教育の問題、あるいは大学の学部制の在り方、飛び級の問題、いろいろな角度で問題が出ています。しかし、そういう制度改革だけでいけるのかなという思いも、もう一つあります。

 例えば、産業界自体が、就職ということを一つとらえてみても、どういう視点から人材を選ぼうとするのか、どんなに教育改革を言ってみても、一定の学校からしか採用しないとか、我が社は、なるべく女子学生の比率は低くしようと考えるとか、産業界がそういう感覚を持ち過ぎていては事態は前進しないでしょう。そして、むしろ私自身が自分の子どものころからを振り返ってみても、自分の子どもたちを見ていて、余りにもゆとりが少ないという思いを非常にたくさんのところで感じます。

 臨教審等でも既にいろいろな提言がされてきました。現在、中央教育審議会で議論していただいていますから、私はむしろこの中教審の議論をより積極化し、幅広く行っていただく、そういう考え方で進んでいきたいと思いますし、文部大臣にはそういう考え方でお願いしたいと思っています。

 −予算案のことなんですけれども、公共事業の問題とか、整備新幹線の着工問題に絡んで、財政再建といっても、そういう面の最終的な取組みが不足しているのではないかという批判の声もあるんですが、その点どういうふうに受けとめておられるんでしょうか。

○総理 今度の予算についてはいろいろな角度からのご議論をいただきました。一方では、これでは不況になってしまうとおっしゃる方々もありますし、一方では、その公共事業に、あなたが言われたような議論をなさる方もあります。私自身から申し上げたいことは、補正予算の効果と併せて九年度予算を見ていただきたいという言葉に尽きるんです。

 確かに、消費税の二%引き上げ、特別減税の廃止というのが来年度、殊に四〜六の景気に影響を与えることは間違いありません。そして、それをほっておけばさまざまな影響を出すこともあり得るわけですす。ですから、むしろ我々はそれが民間事業を中心とした自立的な回復に向かってもらえるよう、補正から工夫を始めました。

 そして、その補正予算も、お調べをいただけばお分かりのように、ゼロ国債を活用しながら、そういう部分に対しての視点を当て、同時に、一方で防災といったものに着目した事業をくみ上げる、そういう形を取り込む。四〜六の影響を非常に少ないものにしていきたいと思っています。同時に、公共事業を平成九年度予算においても、ある程度のものを計上していくことは事実ですけれども、これ自体、聖域というものは設けませんでしたし、その数字はよく見ていただくと、名目経済成長率三二%より相当低く抑えると言ってきたとおり、事実その数字は一・五%です。これは、九年度の消費者物価上昇率の見通しより低い数字で抑えております。

 それと同時に、むしろそれぞれの事業の重点化を図っていくということも、従来の公共事業とは性格を随分異にしていることも見てください。

 例えば、道路の中でも、広規格幹線道路、港湾についても特定重要港湾、こうしたところに重点的な配分が行われています。同時に、各省の枠を超えた事業の連携というもの、あるいはコスト削減策、こうしたものはありますし、言われながら出来なかった、始めてしまっている事業を中止する、これも事業箇所を絞り込むという観点から、今回始めて既に進めている事業、ダム等で中止したものが出てきたことも、ご理解をいただけることであります。

 同時に、その建設工程を見直して、実は私も初めてああいう形で実態をとらえてみたんですが、事業の計画から仕上がりまでの段階をずっと一連のチャートにして、そのプロセス、プロセスにおける、コストに影響する各省の行政をずっと拾い上げていくと、恐ろしくたくさんのものが高コスト構造というものをつくっていく原因になっていました。

 これは既に建設省あるいは運輸省、農水省といったところには指示を出し、努力を始めてもらっていたんですが、設計から工事の完了まで全工程を洗い出してみますと、規制緩和を含めて、公共工事を取り巻くさまざまな分野を全部拾い上げて改善をしていかないと、本当に効果的なものにならないわけです。そんなことを考えて、暮れの二十七日の閣議で関係閣僚会議をつくって政府全体としてこれを進める、こんな指示も出してきました。ですから、従来のイメージとは少しずつ変えていただきたいと思います。

 それから、新幹線について言えば、いろいろなご議論がありましたけれども、そのプロセスは別として、最終はどういう仕上がりかはご承知のとおりです。我々はこれからも政府与党の中で、採算性、あるいは在来線廃止のその地域に与える影響、地方自治体の考え方、いろいろな要素で問題を詰めていくという考え方を明らかにしております。

 −それでは、時間もオーバーしておりますので、最終の質問をお願いします。

 −安保政策についてお伺いしたいんですが、総理は、五月に重要事態に向けて四項目の検討を命じられました。一方で、秋にはガイドラインの見直しの最終報告を出すという日程も含まれていると思うんですが、今後、どのように政府部内として議論を進めていき、その際、国民的なコンセンサスをどうやって得ていくお考えでしょうか。

○総理 これは正確に申し上げないと、問題が起こるといけないから・・・。昨年五月、私が事務当局に対して指示をしたというのは、我が国の周辺地域における我が国の平和と安全に重要な影響を与えるような事態を中心にして、我が国に対する危機が発生した場合、あるいはその恐れのある場合、それに対して必要な対応策、それを具体的に十分検討、研究するようにという指示を出しました。

 そして、今、内閣安全保障室が事務局になりまして、在外の邦人保護、大量の避難民対策、沿岸重要施設の警備といった問題、あるいは、対米協力措置など各検討項目ごとに作業グループをつくって進めております。これはいつ終わるという中間報告はまだ私は受けていませんが、作業は鋭意進められております。

 こうした作業がある程度、方向あるいは姿を見せてきた時点で、これを国民にお知らせをする、それは皆さんの協力を得なければなりませんけれども、知っていただく。それに対してどういう反応を国民が示されるのか、そういう手順が必ずどこかの時点で必要になるでしょう。ただ、今その時期がいつと申し上げられるところまで、それぞれの項目で煮詰まった、あるいは結論に近づいたという報告はまだ私は受けていません。もうしばらく時間をちょうだいしながら、大事なことですから、ある程度中身がまとまれば、皆さんの協力を得て、国民の皆さんに知っていただく、そしてそれに対するお考えを伺う、そうした必要は当然あるだろうと思います。

 −それでは、ありがとうございました。

○総理 どうもありがとうございます。