データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] クリントン・アメリカ合衆国大統領歓迎午餐会における橋本内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1996年4月18日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),457−459頁.
[備考] 
[全文]

クリントン大統領閣下、令夫人、そしてご列席の皆様

我が国は、戦後五十周年を経て、今年、新しい時代への第一歩を踏み出しました。そして、その年に、我が国の最も重要なパートナーである米国のクリントン大統領夫妻をお迎えいたすことになりました。

今日、国会で大統領が行われたスピーチでも触れられましたように、日米両国国民は、この半世紀の歩みの中でたゆまぬ努力を積み重ね、今日の揺るぎのない相互信頼関係を築き上げるに至りました。昨今、日米関係は、世界で最も重要な二国間関係と言われますが、これは決して誇張された表現ではありません。

私は、この場からテレビをご覧になっている国民の皆様にも直接申し上げたいと思います。それは、日米両国は、これからの新しい時代に向けて、お互いの持てる力と英知をこれまで以上に、存分に発揮していくことが求められているということです。平和で豊かな二十一世紀をお互いが築き上げていくその担い手は、日米両国の国民の皆様であります。そして今日の両国国民の間の強い友情と信頼の絆こそが、日米関係の発展と地球社会の繁栄のための原動力にほかなりません。

本日、私はさまざまな分野で日米関係の発展に貢献してこられた方々をこの席にお招きをいたしました。今日の揺るぎのない日米関係は、ご列席の皆様に代表される多くの日米両国国民の皆様によって築かれてきました。

例えば、今日ご列席をいただいております遠藤喜義{きよしとルビ}さんは、先の大戦中、硫黄島{いおうとうとルビ}において米国との激しい戦闘を経

験されたお一人ですが、五十年を経た昨年三月、アメリカの退役軍人の方々とともに硫黄島{いおうとうとルビ}で合同追悼式を催され、日本人とアメリカ人との間の恩讐を越えた友情を確認されました。

この席には、創立以来八十年近くにわたり、日本各地で草の根レベルでの交流に携わってこられた日米協会の方々もたくさんおられます。「フルブライト・プログラム」の同窓生もおられます。戦後まもなく、ちょうど大統領のご出身のアーカンソーゆかりの方ですが、フルブライト上院議員によって始められなこのプログラムの中で、これまで実に六千名を超える日本人が学び、そして今日の日本を支えてこられました。

米国から多くの方々が日本の社会に既にとけ込み、交流と相互理解の種を蒔いてこられたことも日米関係を豊かなものにしています。ご列席のマーシャ・クラッカワーさん、そのテレビ英語講座を通じて、我々の多くが英語とアメリカを学びました。私は英語の点は落第なんですけれども。そして、私もびっくりしましたが、戦後間もなく日本に来られたハロルド・シムズさん、現在八王子市の町内会長さんを務めておられます。外国人として、確か私が知る限り二人目の町内会長さんだと思いますし、大変珍しい存在です。また、皆様もよくご存じの東関{あずまぜきとルビ}親方は、外国人初の関取として大活躍をされた後、日本の国籍をお取りになりました。

本日お集まりの皆様の中には、また二十一世紀を担う日米両国の青年も数多くおられます。米国からの留学生の方々もおられますし、地方で英語の指導にあたっていただいている方もおられます。

日米両国国民は、人類と地球を救うための努力にも、本格的に協力をし始めました。日米両国政府は、三年前から、「コモン・アジェンダ」という名前の下に、地球環境を守り、貧困、テロといった人{ひととルビ}や社会に対する脅威に挑戦するプロジェクトを推進していますが、本日は、この「コモン・アジェンダ」の第一線で活躍をしていただいている方々もたくさんお招きをいたしております。

ご列席の皆さん、

良好な日米関係は両国の国民にとってかけがえのない財産です。日米両国は関係が緊密であるが故に、これからもさまざまな課題に直面することになるでしょう。しかし、これまでと同様に、どのような困難も乗り越えて、歴史に冠たる関係を維持していくために、今後ともに日本とアメリカの人と人とのつながり、人間関係こそが最も大切な力であります。

ペリー提督が来日して以来、日米両国の間にはいつのまにか百四十年余の交流の歴史がきざまれてきました。本日お集まりの皆様とともにこの歴史の重みに改めて思いをいたし、今日の日米友好を祝い、そして新しい時代の日米関係がより一層発展していくことを祈りながら、大統領閣下、そして令夫人、ご列席の皆様の一層のご活躍とご健勝をお祈りし、ここに杯を上げたいと思います。

乾杯。