データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ウルグアイ・ラウンド農業交渉に関する記者会見における細川内閣総理大臣の冒頭発言

[場所] 
[年月日] 1993年12月14日
[出典] 細川演説集,186−190頁.日米関係資料集 1945−97,1256−1259頁.
[備考] 
[全文]

 本日、私は、ガット・ウルグアイ・ラウンド農業交渉に関する最終合意案の議長調整案の受け入れを正式に決断し、ただいま閣議で了承を得て、ガット事務局にその旨通告するよう指示いたしました。

 ここで私は、この交渉のこれまでの経緯や決断に至った理由、今後の国内農業施策の基本的方針について御説明をし、農家の方々を始めとする国民の皆様のご理解をいただきたいと存じます。

 ガットのウルグアイ・ラウンドの交渉が始まって七年になりますが、この交渉がまとまるかどうかが、自由貿易体制もしくは世界経済の命運を決する重大な意味をもつと言っても過言ではありません。実に百十六にのぼる多数の国や地域がそれぞれの利害を背負いながら、十五におよぶ幅広い分野で現在の国際貿易を取り巻く様々な問題を解決するために、しのぎを削る厳しい交渉を行ってまいりました。

 十五の交渉分野の一つである農業の分野につきましては、今までガット体制の下で、工業品の分野に比べて、必ずしも十分な貿易ルールが作られておりませんでしたが、ウルグアイ・ラウンドにおいて、初めて本格的な国際ルールが作られようとしております。

 我が国はこの交渉において、食糧の世界最大の輸入国としての立場から、食糧の安全保障や環境保全のために農業が果たしてきた役割を重視すべきこと、また、世界の農業貿易を歪めてきた原因とされる輸出補助金に歯止めをかけること等を訴え、農産物の輸入制限を全て関税に置き換えるという考え方、すなわち包括関税化に対しては、これを回避すべく最大限の努力を行ってきたところです。

 特に、お米につきましては、その歴史がそのまま我が国の歴史でもありましたし、水をいっぱいにたたえた水田と豊かに実った稲穂は、桜の花と同じく古代以来この日本列島の象徴であり、お米は、国土と環境の保全のためにもかけがえのない役割を果たしてまいりました。

 このような我が国の社会や国民の心に特別の位置づけを得ているお米につきましては、三度にわたる国会決議の趣旨を体し、包括関税化の例外扱いとするために懸命の努力を傾けてきたところであります。この交渉において、多くの国民の方々からいただいた御支援は、政府を勇気づけ、国際的に我が国の立場を主張するうえで大きな支えになってまいりました。

 しかしながら、交渉の最終局面を迎えて、世界の大勢は包括関税化をウルグアイ・ラウンドの農業合意の重要な原則として受け入れる方向に固まっております。この中にあって、ガット事務局は、ラウンド全体の成功のため、コメ問題に対する我が国の立場をも考慮してギリギリの調整案を作成し、過日我が国にこれを提示してまいりました。

 この調整案は次のような内容となっております。すなわち、お米については平成七年から六年間にわたり関税化を実施しないことができる。ただし、その代償として段階的に国内消費量の4%〜8%までの最低輸入量、いわゆるミニマム・アクセスを認める。また、このような特例措置を七年目以降も維持するか否かについては、六年目に入ってから再交渉するが、いずれにしてもその際は一定の追加的な代償についても交渉を行う、というものであります。更にお米以外の輸入制限品目については、残念ながら関税化を受け入れることとあいなります。

 この調整案は、我が国の主張が全て受け入れられているものではありませんが、多国間交渉を妥結に導くにあたっての常として、交渉の取りまとめ役であるガット事務局が各国の対立する意見をよく聴いた上で、最大公約数的な最終案としてまとめあげたものであり、これまで我が国が粘り強く主張してきた基本的考え方が相当程度取り入れられております。この提示を受けて、我が国としては、これを受けるか受けないか、厳しい決断を迫られることになったのであります。

 この過程において、我が国の選択肢は次の三つでありました。

 第一は、調整案の受け入れを拒否し、別の調整案を出して包括関税化への反対を続ける途、

 第二は、農業合意案の原則に戻り、お米を含め、包括関税化をそのまま受け入れる途、

 第三は、ウルグアイ・ラウンドを成功裡に終結させ、かつ、我が国の立場を可能な限り確保するギリギリの妥協点としての調整案を受け入れる途、

であります。

 先ず第一の途については、現時点で別の修正案を出しても、交渉の現状からみて賛成する国は皆無であり、したがって、この途をとることができないことは明らかであります。

 また、第二の途は、我が国の農業、農村に深刻な影響を与え、その存立を危うくするものであり、到底この途を選択し得るものではありません。

 世界の大勢が調整案受け入れとなっている中、仮に我が国が受諾しなかった場合には、ウルグアイ・ラウンドが崩壊し、そのこと自体で我が国が国際的非難を浴びるだけではなく、各国の保護主義を助長し、我が国経済の存立基盤が危うくなることは必定であります。また、関係国から我が国の農産物の輸入制限についてガットの場や二国間協議においてさらに厳しい条件を受け入れることを強いられることなどが考えられます。

 以上のような考慮すべきいくつかの点を総合的に判断した結果、私は、将来に亘る国益を考えて、私の責任において、先ほど申し上げた第三の途を受け入れることと致しました。

 お米と農村に対して、皆様と同様、深い思い入れを持つ私にとりまして、部分的とは言え、お米の輸入に道を開くことは、このうえなく苦しくつらく、まさに断腸の思いの決断でありました。我が国の年来の主張を百%実現することができず、お米の国内完全自給を貫くことができなかったことに対し、誠に申し訳なく思っております。

 ここで皆様に思い起こしていただきたいのは、我が国が戦後の廃墟の中から奇跡的に国家の再建に成功し、今や世界有数の経済力を有するに至った、めざましい復興の背後に、ガットが目指す自由貿易体制の枠組みがあって、この枠組みから我が国が享受した利益と恩恵には計り知れないものがあったということであります。

 このような我が国は、我が国のために、また世界のために、ウルグアイ・ラウンドを失敗させることが断じて許されない格別の責任を担っているはずであります。七年前ウルグアイ・ラウンドを提唱したのが、他ならぬ我が国であったことも想い起こさなければなりません。失敗の責任の一端を我が国が負わされるような事態を避けなければならないことは、いうまでもありません。今日の世界同時不況の最中にあっては、なおさらウルグアイ・ラウンドの成功が世界経済に明るい展望を切り開く二十世紀に残されたおそらく唯一の決め手であると私は確信をいたしております。交渉に参加した百十六の国々や地域のそれぞれが、みずからの身を削り痛みを分かち合うことによって、世界全体の平和と繁栄に賭けているのはまさにそのためにほかなりません。日本の繁栄も所詮この世界の平和と繁栄の中でしか確保できないものでありましょう。

 今回の決断はまことに苦悩に満ちたギリギリの決断でありましたが、ここに至るまでの交渉の途中経過につきましては、外交交渉であるだけに、その全てを詳らかにすることが出来ず、皆様に大変ご心配をおかけいたしました。この点についても心よりお詫びを申し上げます。

 しかしながら、この決断が世界の将来にとって、また日本の将来にとって決して間違いではなかったと評価していただける日が必ず来ることを私は固く信じております。そのためにも政府はお米の一部輸入や乳製品、でんぷんなどの関税化の事態が、農家の皆様にもたらす影響を最小限に食い止めるとともに、これを機に、日本農業の将来展望を切り拓き、農業維新を実現することができるように、これから全力で国内対策に取り組んでいくことをお約束いたします。そしてこれを機会に、後継者難に苦しむ日本の農業に明るい展望が開けるように政府・与党、農政審議会等で議論を重ね、思い切った農業再生のビジョンづくりに取り組んで参ります。

 すなわち、農家の皆さんが安心して生産にいそしむことができるよう、お米を始めとする農産物の需給や価格の安定、生産基盤の整備、経営面での条件整備などに努め、農業の体質強化を図って参ります。いやしくも農村の荒廃を招くことのないよう、立地条件の厳しい中山間地域などの活性化にも十分配慮致しますとともに、消費者の方々に対しましても、食糧の安定供給を確保できるよう最大限の努力を傾けてまいる決意でございます。

 この苦しみは世界の中で日本が真に開かれた国となるための陣痛の試練であります。その痛みを、今でも厳しい環境にあります農家の方々だけに負わせることなく、我々国民の全てが一人一人理解し分かち合っていきたいと思うのであります。重ねて皆様の深いご理解をお願い申し上げます。