データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ニクソン大統領夫妻主催晩餐会における田中内閣総理大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 1973年7月31日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,189−191頁.
[備考] 
[全文]

 大統領閣下,令夫人

 貴大統領の暖い歓迎と心のこもった御挨拶並びに米国朝野の方より私共に寄せられました御配慮に対し心から感謝の意を表したいと思います。

 また,本夕は,日本に御招きする機会を逸しましたが,世界に平和をもたらし,わが国となじみの多い,故アイゼンハワー大統領の夫人に御目にかかれたことを欣快に存じます。

 日本国民と米国国民が互いに知り合うようになってから大変に長い歳月がたちました。歴史や文化や言葉の相違のため,両国国民の間の相互理解は,残念ながら今なお完全とは言えませんが,一昔前にくらべれば格段の進歩をみせております。

 御存知の通り,日本から最初の使節が米国に参りましたのは,百年以上の昔,ブキャナン十五代大統領の時代でありました。日本刀を腰に差したちょんまげ姿の「サムライ」が米国国民にとって,奇異に映じたでしょうが,それ以上にこの「サムライ」の一行にとって,当時の米国の風物は目をみはらせる物珍しいものであったのであります。

 私が伝え聞いた話ですが,今世紀初めにアメリカを訪れた日本人の商人の一行が東京に帰ってきて,アメリカの風俗習慣について友人に講釈しました。講釈を受けた人は,米国の複雑,先進的な経済の仕組みを容易に理解することができました。しかし,貴国の風俗習慣については全く理解できませんでした。

 この無理解の程度を示すエピソードをひとつ紹介したいと思います。アメリカ帰りのこの日本人は,アメリカ人の生活は儀式ずくめの複雑な仕組みから成り立っており,外国人にとっては,神秘性に富んだものであると友人に説明しました。たとえば,二人のアメリカ人のビジネスマンが出会ったときには,次のような「儀式」が展開されると述べたのです。最初に二人とも大きな声で何事かを叫びあう。それから互いに肩をたたきあい横腹をつつきあう。それからしばらくたってから,別に何の合図もしないで,それぞれポケットに手をつっこんで葉巻をとり出し,互いにすすめ合う。二人とも笑いながら相手のすすめるのを断わるのですが,最後には「目下」の男が葉巻をもらうことになる。そしてこれでアメリカ人の挨拶の「儀式」が終了すると言うのであります。

 今日の日本人は,このような話は昔の笑い話にすぎないと思うでしょう。それだけ両国国民の間の相互理解が進んだのであります。何と言っても,米国の文化は,この百年余りの間,就中,戦後の二十数年間にわが国に大きな影響を与えました。また,わが国の文化も,「ゼン」といった言葉が英語になったことが示すように,米国に浸透しました。そして,日米間の人の往来も年々急増し,昨年,日本に二十八万人の米国人が訪れ,四十二万人の日本人が貴国を訪れました。私は,日本における米国研究が,また,米国における日本研究が,一層促進されることが,こうした相互理解を一層深めるものであると信じています。

 「サムライ」が最初に訪問して以来,百年余を経た現在,私達はアメリカの,そしてアメリカ人の親愛なる友人になりました。私共日本人は,友情という言葉をみだりに使いません。しかし一旦培った友情は最後まで大事にします。日本人にとっては,友人に対する信義こそ最も美しい美徳なのであります。

 大統領閣下,私は,米国の豊かな大地と近代化を遂げた産業や大都市のみが米国の持つ富であるとは思いません。日本の旺盛な生産力のみが日本の富である訳でもありません。豪雪に耐えて行く強い友情の絆こそが,日米両国の共有する真の富であると思います。この友情の輪を広く世界の国々に広げてゆくことによって,全世界が共に繁栄を享受できるよう努力してゆきたいと思うのであります。

 大統領閣下。私は,日本国民を代表して,御夫妻の御健康のために,そして,私達の真の友人であるアメリカ合衆国国民のために乾杯いたしたいと思います。