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日本政治・国際関係データベース
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

[文書名] 尖閣列島に関する琉球立法院決議および琉球政府声明

[場所] 
[年月日] 1970年8月31日
[出典] 日本外交主要文書・年表(2),984−987頁.琉球立法院事務局「会議録」.「季刊沖縄」第56号,180−2頁.
[備考] 琉球政府声明は1970年9月17日
[全文]

1.米政府あて決議

尖閣列島の領土権防衛に関する要請決議

 尖閣列島の石油資源が最近とみに世界の注目をあび,県民がその開発に大きな期待をよせているやさき,中華民国政府がアメリカ合衆国のガルフ社に対し,鉱業権を与え,さらに,尖閣列島の領有権までも主張しているとの報道に県民はおどろいている。

 元来,尖閣列島は,八重山石垣市字登野城の行政区域に属しており,戦前,同市在住の古賀商店が伐木事業及び漁業を経営していた島であって,同島の領土権について疑問の余地はない。

 よって,琉球政府立法院は,中華民国の誤った主張に抗議し,その主張を止めさせる措置を早急にとってもらうよう院議をもって要請する。

 右決議する。

  一九七〇年八月三十一日

             琉球政府立法院

 アメリカ合衆国大統領

 アメリカ合衆国国務長官     あて

 琉球列島高等弁務官

2.日本政府あて決議

尖閣列島の領土権防衛に関する要請決議

 琉球政府立法院は,一九七〇年八月三十一日別紙のとおり「尖閣列島の領土権防衛に関する要請決議」を採択した。

 本土政府は,右決議に表明された沖繩県民の要請が実現されるよう,アメリカ合衆国及び中華民国に対し強力に折衝を行なうよう強く要請する。

 右決議する。

  一九七〇年八月三十一日

             琉球政府立法院

  内閣総理大臣

  外務大臣         あて

  総理府総務長官

3.琉球政府声明,尖閣列島の領土権について 1970年9月17日 「季刊沖縄」第56号,180−2頁.

 琉球政府立法院は,尖閣列島が我が国固有の国土であることから,他国のこれが侵犯を容認することは,日本国民である県民として忍びず,ここに「尖閣列島の領土権防衛に関する決議」を行ないました。

 最近,尖閣列島の海中油田が話題を呼び世界の石油業者が同島を注目するようになりましたことは御承知のとおりであります。

 報道によりますと台湾の国民政府がパーシフィックガルフ{ーにママとルビ}社に鉱業権を与え,大陸ダナ条約に基づき,尖閣列島は国民政府の領有であると主張しているとのことであります。このことは明らかに領土権の侵害を意図するものであり,看過できない由々しい問題であると思います。

 琉球列島の範囲に関しては,アメリカ合衆国の統治基本法たる琉球列島の管理に関する行政命令前文は,「合衆国は,対日平和条約の第三条によって領水を含む琉球列島(この命令において,「琉球列島」とは,平和条約の同条による合衆国のすべての権利及び利益を日本国に譲渡した奄美群島を除く北緯二十九度以南の南西諸島を意味する。)」と規定してあります。即ち北緯二十八度東経百二十四度四十分の点を起点として北緯二十四度東経百二十二度北緯二十四度東経百三十三度北緯二十七度東経百三十一度五十分北緯二十七度東経百二十八度十八分北緯二十八度東経百二十八度十八分の点を経て起点に至る(米国民政府布告第二十七号)と規定し,琉球列島米国民政府及び琉球政府の管轄区域を前述の地理的境界内の諸島,小島,環礁及び岩礁並びに領水に指定すると規定されている。

 因みに,尖閣列島は,歴史的には十四世紀の後半ごろにはその存在を知られす{前2文字ママとルビ}なわち,一三七二年から一八六六年の約五百年間,琉球の中山王朝と中国とは朝貢,冊封の関係にあったため,朝貢船,冊封船が中国大陸の福州と那覇との間をしばしば往来し,尖閣列島はこれらの船舶の航路上のほぼ中間に位置していた。

 しかも列島中の魚釣島及びその附近に点在する小島,岩島は,尖岩突起し,航路の目標としては,絶好のものでありました。

 このように中山伝信録,琉球国志録などのような歴代冊封使録,指南広義付図,中山世鑑などに尖閣列島の島々の名があらわれています。

 当時には島々の名称は,釣魚台,黄尾嶼,赤尾嶼といった名称であらわされ,沖縄の先島では,中国名の釣魚台,黄尾嶼をそれぞれユクン,クバシマ,赤尾礁{礁にママとルビ}を久米島に近いところから久米赤島と呼ばれてきました。

 その他久場島を,チャウス島,魚釣島を和平山とも呼んできました。尖閣列島は,種々の歴史上の文献に記され,また,多くのひとびとによってさまざまに呼称されてきたが,同列島は明治二十八年に至るまで,いずれの国家にも属さない領土としていいかえれば国際法上の無主地であったのであります。

 十四世紀以来尖閣列島について言及してきた琉球及び中国側の文献のいずれも尖閣列島が自国の領土であることを表明したものはありません。これらの文献はすべて航路上の目標として,たんに航海日誌や航路図においてかあるいは旅情をたたえる漢詩の中に便宜上に尖閣列島の島嶼の名をあげているにすぎません。本土の文献として林子平の「三国通覧図説」があります。これには,釣魚台,黄尾嶼,赤尾嶼を中国領であるかの如く扱っています。しかし,三国通覧図説の依拠した原典は,中山伝信録であることは林子平によって明らかにされています。

 かれはこの伝信録中の琉球三六島の図と航海図を合作して,三国通覧図説を作成いたしました。このさい三六島の図に琉球領として記載されていない釣魚台,黄尾嶼などを機械的に中国領として色分しています。しかし伝信録の航海図からはこれらの島々が中国領であることを示すいかなる証拠も見出しえないのであります。……航海図もあくまでも航路の便宜のために作成されたものであり領土を意識して書かれたものではありません。

 明治五年,琉球王国は琉球藩となり,明治七年内務省の直轄となりました。

 明治十二年県政が施行され,明治十四年に刊行,同十六年に改訂された内務省地理

局編纂の大日本府県分割図には,尖閣列島が,島嶼の名称を付さないままあらわれ,尖閣列島は明治十年代の前半までは無人島であったが,十年代の後半十七年頃から古賀辰四郎氏が,魚釣島,久場島などを中心にアホウ鳥の羽毛,綿毛,ベッ甲,貝類などの採取業を始めるようになったのであります。こうした事態の推移に対応するため沖縄県知事は,明治十八年九月二十二日,はじめて内務卿に国標建設を上申するとともに,出雲丸による実地踏査を届け出ています。

 さらに,一八九三年(明治二十六年)十一月,沖縄県知事よりこれまでと同様の理由をもって同県の所轄方と標杭の建設を内務及び外務大臣に上申してきたため,一八九四年(明治二十七年)十二月二十七日内務大臣より閣議提出方について外務大臣に協議したところ,外務大臣も異議がなかった。そこで一八九五年(明治二十八年)一月十四日閣議は正式に,八重山群島の北西にある魚釣島,久場島を同県の所属と認め,沖縄県知事の内申通り同島に所轄標杭を建設せしめることを決定し,その旨を同月二十一日県知事に指令しております。

 さらに,この閣議決定に基づいて,明治二十九年四月一日,勅令十三号を沖縄県に施行されるのを機会に,同列島に対する国内法上の編入措置が行なわれております。沖縄県知事は,勅令十三号の「八重山諸島」に同列島が含まれるものと解釈して,同列島を地方行政区分上,八重山郡に編入させる措置をとったのであります。沖縄県知事によってなされた同列島の八重山郡への編入措置は,たんなる行政区分上の編入にとどまらず,同時にこれによって国内法上の領土編入措置がとられたことになったのであります。

 次に編入された尖閣列島の範囲でありますが,明治二十八年一月の閣議決定は,魚釣島と久場島に言及しただけて,尖閣列島は,この島の外に南小島及び北小島と,沖の北岩,沖の南岩ならびに飛瀬と称する岩礁,それに久米赤島からなっておりますが,閣議決定はこれらの小諸島及び岩島について全くふれていません。しかし,久米赤島を除く他の小諸島及び岩島は,国際法上当然わが国の領有意思が及んでおります。

 久米赤島の場合は,もっとも近い久場島からでも約五十マイル離れていますので,さきに述べた小諸島及び岩島とは別個に領有意思を表明する必要がありました。前述の閣議決定が,魚釣島,久場島にふれながら,なぜ久米赤島に言及しなかったかは,明らかではありませんが明治十八年及び二十三年の沖縄県知事の上申は,魚釣島及び久場島とともにつねに久米赤島にも触れており,また,明治二十八年の閣議において原案のとおり決定をみた閣議提出案には県知事の上申通りに沖縄県の所轄と認むるとして,久米赤島をとくに除外する理由は何も述べていません。

 魚釣島,久場島の編入経緯に関する公文書記録をまとめている日本外交文書においても,久米赤島の編入は,当然に編入されたものとして扱われております。尖閣列島はこのような経緯を辿っております。

 そもそも,尖閣列島は八重山石垣市字大川在住の古賀商店が,自己の所有地として戦争直前まで伐木事業と漁業を営み行政区域も石垣市に属していることは,いささかの疑問の余地もありません。具体的に説明いたしますと,尖閣列島中の南小島の地番は,石垣市字登野城南小島二三九〇番地で地積は三二町七反三畝一歩,所有者は古賀善次,同じく古賀善次所有の字登野城北小島二三九一番地の二六町一反歩同じく字登野城魚釣島二三九二番地の三六七町二反三畝同じく登野城久場島二三九三番地の八八町一反三畝一〇歩それから官有地として字登野城大正島二三九四番地の四町一反七畝四歩以上が公簿に記載されているのであります。

 このように歴然たる事実を無視して国府が尖閣列島の領有を主張することは,沖縄の現在のような地位に乗じて日本の領土権を略主しようとたくらむものであると断ぜざるを得ません。

 残念ながら琉球政府には外交の権限がなくどうしても日本政府並びに米国政府から中華民国と交渉をもってもらう外ありません。よって両政府あての要請決議を行った次第であります。

 わが国の国土を保全する立場から,何卒日本政府におかれても,アメリカ合衆国政府及び中華民国政府と強力な折衝を行なうようお願いいたします。