データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所
機密文書研究会 東京大学・法学部・北岡伸一研究室

[文書名] 條約第6條の実施に関する交換公文作成の経緯

[場所] 
[年月日] 1960年1月6日
[出典] 外務省,いわゆる「密約」問題に関する調査結果報告対象文書(1.1960年1月の安保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連),文書1-4
[備考] いわゆる「密約」問題に関する調査報告の際に公開された文書。公開されたものは手書きによる文書。原文には文章を記述した日付の記載はない。漢字、送りがなの用法、誤記と思われるものも含めてできるだけ忠実にテキスト化した。欄外の書き込みの記録は本文前に記載しオリジナルの記載箇所を<>内に記した。
[全文]

<1ページ目 欄外上>

別添3 極秘{前2文字囲み線あり}

條約第6條の実施に関する交換公文作成の経緯

1.33年9月藤山・ダレス会談に至る経緯

安保條約の改定に際して、基本的問題として米国の日本防衛義務の條約上の確保の他に、従前、国内で問題となった核兵器持込問題、米軍の作戦的出動の問題を如何に手当するかが問題であった。かゝる立場から、5月24日は「大臣より米大使に懇談すべき当面の安全保障問題について」が取り纏められ、7月18日の藤山大臣、マッカーサー大使間の会談で、日本側よりその趣旨が明らかにされた。

2.33年10月4日より11月26日に至る経緯

10月4日、総理、外相、在京米大使間の会談が行われ、その際米側より新條約案の他に、所謂フォーミュラ案が提示越された。

フォーミュラ案は、日本側が重視している核兵器持込問題及び日本の米軍施設区域の作戦使用問題についてこれを協議事項とするものであるが、米側はこの種の問題は行政府の専管事項であるから政府間の交換公文とする要ありとしてその骨子を提案越したものである。

米側のフォーミュラ案に対して、わが方は、「協議」を「事前協議」に改めると共に「その時の状況に照らし」を削除した他、若干の修文を行ない、議定書の形に整へた案を作成した。同案は、11月26日藤山大臣よりマ大使に手交された。

3.33年末より34年3月20日に至る経緯

3月20日の外相、マ大使会談において、日本側より、條約案、行政協定に関する諸文書を米側に手交したが、同時に、フォーミュラに関する議定書案(33年11月26日案と大差なし)をも提示した。その際マ大使は、形式を交換公文等議定書に代る方法を予め研究して欲しいとし、大臣は了承された。

4.34年3月下旬より5月初旬に至る経緯

3月28日の大臣・大使間の会議において、マ大使は、(1)米軍のdeployment例えば第7艦隊の出入に関する現行の手続に変更なきこと、{前43文字下線あり}(2)装備は核兵器のみを指すこと、(3)撤退は事前協議の対象とならないこと、(4)基地使用の事前協議は日本の基地から行なわれる日本外へのmilitary combat operationに限ること、の4点につき確認を求め、大臣はこれを了承された。又、マ大使は、議定書形式は、議会承認の対象となるので、難色ありとし、交換公文形式を主張した。

尚、マ大使は、上記の点の確認を4月8日の会議において、トーキング・ペーパーとして提{前14文字下線あり}示越した。

5.34年5月中旬より6月下旬に至る経緯

5月11日の大臣・大使会談において、米側は、「その時の状況に照らし」を加え、撤退は事前協議外であることを明らかにすることを本文中に補うことを申し越した。マ大使によれば、後者の点は上院の特に強調するところで、NATOその他でも明らかに留保している趣である。尚、トーキング・ペーパー中の第3点は、本文に移されているが、他の3点は秘密交換公文とせよとワシントンより訓令が来ている旨マ大使は説明した。

「その時の状況に照し{前2文字ママ}」は、米側の説明では、協議の際の諾否はその時の状況に応じてするとの趣旨であるとの事であったが、他面、事前協議を行なうこと自体がその時の状況に懸るかの懸念を生ずることは明らかで、日本側としてはこれに応じ難かった。米側は6月18日ワシントンより回訓が来たが、依然、その存置が要請されているとした。しかし、6月20日、米側は、この点を削ることに同意する訓令が接到したことを明らかにし、結局in the light of以下は落されることとなった。

撤退を事前協議の対象外とする点は、米国として、一定の軍隊を日本に凍結することは約諾し得ずとするもので、軍の流動性を留保したいとの基本的立場から来るもので、実態は撤退より移動の問題と思はれる。わが方としてこの事に依存はなかったが、公表の交換公文に撤退の自由を謳うことは対国内的に好ましくないので、前記トーキング・ペーパーの他の3点と共に不公表交換公文に一括して載せることとされた。

戦闘作戦行動について、「直接仕掛ける」と云う表現に関して種々検討の結果6月12日、initiateの語を用いることとされた。

フォーミュラ案の形式の問題については、沖縄等の問題に関し、「討議の記録」という形の文書を残すことを検討していたのを利用し、6月10日の次官・大使間会談において、本件を「討議の記録」とすることを次官より提案された。マ大使はこれを了承した。

この「討議の記録」は、新條約署名の日より前の日付とすることとし、35年1月6日付をもって藤山大臣、マ大使間でイニシャルされた。{前61文字下線あり}

尚、34年5月14日の次官・大使間会談において、秘密了解は、内容は、国会等ではその侭発表して差支えないが、その文書のみが秘密である旨了解されている。