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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日米安保改定交渉に関するソ連覚書(ソ連外務大臣より門脇駐ソ大使に手交された一九五八年十二月二日付覚書訳文)

[場所] 
[年月日] 1958年12月2日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),895−897頁.外務省情報文化局「外務省発表集」第8号,62−8頁.
[備考] 
[全文]

 本年十月四日東京において一九五一年九月米国及び日本間に調印されたいわゆる安保条約ーアメリカ合衆国はこの条約に基いて日本領土の実質的占領を継続しているーの改訂に関する日米交渉が開始された。

 安保条約は日本国民の意思に反し,また,その民族的利益に背いて締結されたものである。そのことは,日本政府がこの条約に基いて合衆国にたいし日本の領土上及ぴその付近に米国の陸上,航空及び海軍兵力を保持しこれ等の兵力を米国の裁量に従つて使用するの権利を付与した一事によつてもすでに明瞭である。

 その結果,米国は現在日本領土上に多数の軍事基地を保有している。米国から数千キロを隔て原子兵器及びロケット兵器を装備するこれ等の軍事基地は米国の安全とは何ら無関係であるが故に侵略的目的の使命を有するものである。経験の示すところによれば日本の領土は朝鮮における米国武装兵力の侵略当時跳躍台となつている。合衆国の対中華人民共和国侵略行動の実施に当つてはアメリカの武装兵力が日本領域から台湾島及び台湾海峡水域に投入されているのである。

 これはいずれも日本領土上に存する合衆国の軍事基地がアジアの平和を愛する諸国民に脅威を与え,ソヴィエト連邦及び中華人民共和国を含む日本の極東における隣接諸国を直接目標とするものであることを物語つている。

 日本国民が前記条約の存在する全期間を通じて日本領土上のアメリカ軍事基地の徹去のみならず,日本国民の民族的感情を侵辱し,その意思を無視して日本国民を原子戦争に引き込む惧ある条約自体の廃棄を目指して熱心に闘つている点はよく知られているところである。

 ソヴィエト国民はすべての平和愛好国民とともに,外国の占領から自らを解放し平和の途により,また,その隣人を第一とする他の諸国との親善提携の途によつて日本の発展を確保せんとする日本国民の努力を理解し支持するものである。

 日本とソヴィエト連邦中華人民共和国及び米国を含む他の諸国との友好関係の発展は今日欠除している極東諸国家間における必要なる信頼を確立するに役立つであろう。その故にこそ日本及びアメリカ合衆国の関係が益々米国の指導下に侵略的軍事ブロックの性格を帯びつつある事実はソヴィエト国民を悩まさずに措かないのである。

 日本及び合衆国筋の報道によつて判断するにアメリカ政府は,合衆国が将来もその武装兵力を日本国内に維持しうる権利を保持し,日本の武装兵力をその領域外において,すなわち他の国家に向つて行使する機会を得るが如き条約を日本との間に締結せんと懸命である。しかしそれが日本の憲法に明らかに抵触するため憲法の破壊が行われようとし,また日本が永久に戦争を拒否し,国際紛争調整の手段としての兵力使用の脅威を拒否することを宜言する憲法第九条の改正がなされようとしている。

 これらはすべて合衆国の現在の外交政策の責任者であるところのアメリカの人士及び日本におけるその同調者達が日本をして帝国主義的志向と報復主義の危険な過程へと押しすすめていることを示している。

 合衆国と日本との間の軍事条約締結に関する交渉について当事国間の権利及び義務の平等をうたう偽りの宣伝が随伴していても実情は枉げられない。これら宣伝の使命は実は偽りの権利の平等及び義務の平等を引用し,それによつて現実に,前述の危険な計画と日本領土における米国軍事基地を確保し,日本の武装兵力を日本国民の民族的利益と相容れない侵略計画の実現のために使用することを予定する押しつけの義務が日本民族にとつて片務的である性格を陰蔽せんとするにある。

 日本には一九五〇年二月十四日のソヴィエト連邦,中華人民共和国間の友好,同盟,相互援助条約が日本を脅かすかの如く述べて日本領土における米国軍事基地の存在を擁護せんと試みる分子が存在する。ソヴィエト政府は右条約は明らかに両国に対する侵略の場合に対する防禦的性格の手段を予想するものであり,如何なる程度にもせよ日本または何れかの他の国家に向けられたものに非ざる点につき注意を喚起するを必要なりと考える。若し日本がソヴィエト連邦及び中華人民共和国に対し友好的,平和的政策をとるにおいては中・ソ条約を危惧するいわれは全くない。ソヴィエト連邦及び中華人民共和国は常にすべての国との平和共存の政策を推進しており,日本を含む如何なる国に対しても何等侵略的意図を有するものでない。

 ソ連邦政府は,平和維持と日本との善隣関係を増進せしめんとする不断の意志に導かれ,日本における外国基地の存在,原子兵器の国内持込み,及び極東における米国の侵略行為のために日本領土を利用することが日本を戦争の冒険に捲き込む脅威をつくるものであり,その結果に対して日本国民は非常に高い代価を支払うこととなるかも知れないことについて,一度ならず日本政府の注意を喚起した。日本政府は,ソ連政府の申入れに答え,日本の武装兵力に原子兵器を装備していないこと,及び米国から原子兵器を日本に持込むことを承認していないこと,日本の対外政策の基本となるものは平和維持とすべての国との友好関係を強化することである旨を声明した。遺憾ながら,日本政府の政策はこれらの声明と合致しない。そのことは日米軍事同盟により多くの侵略的性質を附与することに向けられている現在の日米交渉が証明して余りあるところである。

 日米軍事条約の締結はーその計画は周知の如く昨日今日に始つたものではないがーただ単に日本における米国の軍事基地の保持のみでなく,帝国主義的政策と東洋民族の解放運動弾圧の機関であるシアトーのような軍事集団に日本を引き込み,それを通じて米国の庇護の下につくられた侵略ブロックの全組織の中へ引き込むこととなるであろう。 

 前記ブロックの指導者の計画実施に参加するために日本国外に自己の軍隊を派遣することを日本が約束することは,極東における平和の利益と全然相反し,更に日本国家の安全のためにも相反することである。この場合には,日本の武装兵力は第一にアジア国民の民族開放運動と戦う目的をもつて,憲兵の役目をさせるために利用されるであろう。これに関連して,アジアの多数の国々に対する過去の日本の帝国主義的進出がこれらの国々の国民の日本に対する憎悪を呼ぴ起しただけであり,日本の国民が,日本軍閥の冒険政策に対して高い代価を支払わねぱならなかつたことを想起することは無駄なことではない。

 ところで,この過去の悲しむべき経験に照して,今また日本国民はこれを欲しているのであろうか。

 この方向に進むことは,日本国民が,かつてなめたよりもはるかにひどく悲惨な新しい不幸に日本国民を陥れるだけであろう。

 新軍事条約の鼓吹者達は,日本とその最も近い隣国一ソ連邦と中華人民共和国との間に善隣関係が設定され,発展することを妨害し,新しい冒険のために日本国民を肉弾と化する目的で,戦争準備に日本を引き入れんと企てている。

 新日米軍事条約の締結は,極東の情勢をより一層複雑化し,この地域における軍事衝突の危険を更に深めるだけであることを理解することは困難でない。このことは,現在原子,水素及びロケット兵器のごとき大量殺りく兵器が存在することと併せ考えるとき特に強調せざるをえない。この種の武器は何れの国にとつても非常に危険なものであるが,比較的小さい領土に密度の大きな人口と物質的及びその他の資源の集中度の大きい国家にとつては,それは特に全く生死の危険となるものである。

 ソ連政府がこのことに日本政府の注意を喚起するゆえんは,ソ連政府が大袈裟にものをいい,あるいは誰かを恐怖せしめんとしているからではない。ソ連政府がこのことを声明することを必要とするのは,真実に自国の国民の幸福を尊重し,平和の運命について真実の配慮を致す国家がその防止に努力しなければならない原爆戦争ーその原爆戦争の脅威を深めるような国際政策上のいかなるステップをとることも大きな危険を伴うものであるということをさらに強調するためである。

 ソ連政府は,日本がかつて押しつけられた奴隷的軍事義務の拒否,沖繩,小笠原を含む日本領土内にある外国軍事基地の撤回,その領土から全外国軍隊の撤収が,全世界の平和の強化のため,また日本国民自身の利益に合致するものであると信ずる。

 日本の安全は,再軍備と戦争を拒否し,中立を守る可能性を日本に与える日本自身の憲法の規定を厳格に遵守することによつて,もつとよく保障せられるであろう。

 日本の自主的な平和愛好の政策のこの道ー中立の道ーこそ国家の真実の独立と真の安全保障の確立をもたらすものである。

 ソ連政府は,日本による中立政策の実施が,極東における平和と安全および周知の広く国際的承認をえた平和共存の五原則に基く国際協力の増進に重要な建設的寄与をなすものであると考える。ソ連邦が日本の中立を尊重する旨の厳粛な誓約をすることはいうを俟たないところである。

 ソ連政府は,日本政府がこの声明の中に述べられた考えに対し最も慎重に対処せらるることを期待するものである。

   一九五八年十二月二日