データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ドー・ムオイ・ヴィエトナム共産党書記長歓迎晩餐会における村山内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1995年4月18日
[出典] 村山演説集,181−183頁.
[備考] 
[全文]

ドー・ムオイ書記長閣下、並びに御列席の皆様

 この度ヴィエトナム社会主義共和国よりドー・ムオイ共産党書記長閣下とその御一行をわが国にお迎えすることができましたことは、私ども日本国民にとりましてこの上ない喜びであります。我が国がヴィエトナムから最高指導者をお迎えするのは初めてであり、日本とヴィエトナムとの間の数百年にわたる交流の中でも特筆すべき意義を持つものであります。

 ヴィエトナムと日本は長い歴史で結ばれた友邦であります。貴国中部の町ホイアンに多くの日本の貿易商人が渡り日本人町が作られたのは、十六世紀の昔に遡ります。また両国には、箸を使いコメを主食とする等生活習慣や伝統、文化の面で多くの共通点があります。私が昨年八月に貴国を訪れた際、初めての訪問にもかかわらず、郷愁にも似た懐かしさと心の通いあいを強く感じたのも、こうした背景によるものでしょう。昨年の訪問は、貴書記長はじめヴィエトナムの方々から頂戴した、心暖まる歓待に対する感謝の気持ちと共に、私の胸に深く刻まれております。

書記長閣下

 貴国では、万物の有為転変を描いた「キム・バン・キュー」という古典が、今日迄読み継がれてきていると伺っております。森羅万象は留まることなく、生々流転の言葉の通り、我が国も、戦後の復興から経済成長の波を経て、過般至った安定の時もまた束の間に、転じて今や二十一世紀を目前にした転換期に臨んで、様々な課題に直面しております。そして貴国もまた、長らく戦禍にあり苦難の道程を辿って来られました。しかし、今日、貴国は、貴書記長の御指導によるドイモイ政策の下、国家の発展に邁進しておられます。こうして閣下と再びお会いしますと、昨年の夏にハノイで私がこの目で見たヴィエトナムの人々の生き生きとした表情や、街中にあふれる活気が、私の心にまざまざと甦って参ります。私は、こうした感懐を抱きつつ、貴国の方々が一丸となって国造りに励まれている姿に対して、深甚なる敬意を表しますとともに、我が国が過去半世紀の間に蓄積した経験を踏まえ、貴国の経済発展の実現のために、可能な限りの積極的な協力を行っていく方針であることをお伝えしたいと思います。

 私は、貴国と我が国の友好関係を今後一層発展させるためには、両国国民の間の幅広い交流を更に深め且つ拡げてゆくことが肝要であると信じます。喜ばしいことに、最近、日越両国民の間で、民間経済界や科学者、芸術家など文化・知的分野の様々な交流が活発化しております。ヴィエトナムの方々はとりわけ教育熱心であり、またその人口の四十%が二十歳末満と伺っておりますが、私は、両国の有為な青年の交流を進め、以って「新世紀に向かう日越関係」を築きたいと考えているところです。貴国の故ホーチミン主席は「十年の利のためには木を植えよ、百年の益の為には人を育てよ」と達言されたと伺っておりますが、私もまた、未来を担う若者の育成こそ、国の発展の糧であると確信するものであります。

書記長閣下

 現在の国際社会を展望しますと、何よりも特徴的なことはアジア・太平洋地域の目覚ましい発展と相互依存関係の深まりであります。その中で、貴国は本年七月にはアセアンに加入することとなる運びであると承知しております。貴国と日本はこの発展するアジアの中で共に手を携えて地域の平和と安定に貢献できるものと確信します。

 冷戦後の世界は、明るい希望への路が拓けております。しかし、同時に、これ迄表面化して来なかった民族対立等が激化している地域があることも事実です。私たちは新世紀に向かう世界を真に平和で繁栄したものとしていくため、努力を惜しむべきではありません。かかる努力の中で私たちに課せられた課題は、民族、文化等の違いは違いとして寛容に受け止め合いながら、共に手を携えて希望への路を前進して行くことではないでしょうか。

 まさに未来への希望を選択する岐路に立っている今こそ、私たち人類は、その英知を結集し、次の世代の人々のために、輝かしい未来を選択しなければならないと考えるものであり、この意味でも日越両国の果たすべき役割には、極めて大きいものがあると思います。

御列席の皆様

 ここに、ドー・ムオイ書記長閣下の御健康並びにヴィエトナム社会主義共和国の更なる繁栄と発展を祈念し、また、我が国とヴィエトナム社会王義共和国との末永き友好を願って杯を挙げたいと思います。

 乾杯