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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ビルマのマウン・マウン・カ首相主催の晩餐会における福田内閣総理大臣のスピーチ

[場所] ラングーン
[年月日] 1977年8月11日
[出典] 福田内閣総理大臣演説集,107−109頁.
[備考] 
[全文]

 マウン・マウン・カ首相閣下、並びにご列席の皆様

 本夕は、私どものために、このような盛大な晩さん会を催していただき、また暖かい歓迎のお言葉を賜わり、厚くお礼申し上げます。

 昨日、ラングーンに到着して以来、緑濃い森の間に金色燦然たるパゴダが見え隠れする美しい街の佇いを見て、「東洋の公園都市」と称されるのも宜なるかな、という感を深めております。このような美しい風物の中でこそ、世界に名高いお国の皆様特有の、豊かな人情、万物に惻隠の情を寄せるという優しい心づかいが育まれるのでありましょう。

 私はかねてより、心の豊かさということこそ今や脱工業社会の入口に立ったわれわれ日本人に最も求められるものではないかと思っております。その意味で物質的な豊かさもさることながら精神的な豊かさをこそ重んずるというお国のありようについては私は強く心をひかれるものがあります。

 同じアジア人の中でも、とりわけ、われわれ日本人とビルマの皆様は、人情や物の考え方等において似かよった面を多く有しているような気がいたします。両国民はまた容貌の面でも瓜二つとよく言われますが、私はこの度、ラングーンに参りましてこの説の真なることを、この眼をもって確認いたしました。私ども一行も、ビルマ服を着用すれば、誰しもがビルマ人と信じて疑わないでありましょう。ここにも、わが国民がお国の皆様に親近感を抱く理由が存するのであります。両国民のかかる相似性は、互にアジアにおいて最良のパートナーとなる基盤を形造っていると言えましょう。

 日緬間の交流は、十九世紀の終わりに、ビルマ南東部のマーグイ地区に日本人が渡来し、真珠貝採取に従事したころから本格化しましたが、その後、両国関係は、様々の分野において、幅広い進展を見せております。ネ・ウィン大統領閣下は、元首として過去四回にわたり、わが国を訪問されました。また、私は、お国を訪問した戦後第五番目の日本の総理であります。このほかスポーツの分野においては、プロ・ゴルファーのミヤ・エイ氏が、度々わが国のゴルフ・トーナメントに参加して、優秀な成績を挙げております。また、一昨年には、お国の舞踊団が東京において公演し、長く人々の語り草となりました。

 更にまた、わが国では現在お国より客員教授として派遣されご活躍中の著名な文学者ウ・ウン教授ご指導のもとに、日本でははじめての日緬辞典の編さんが進められており、近く出版の予定であると聞いております。

 私は、このような文化面での両国間の交流も今後大切にしたいと思います。

 ビルマの皆様は、独自の社会建設を目指し、孜々として努力しておられますが、この努力は、必ずや輝かしい成功を収めるものと信じて疑いません。近年、日本とビルマとの間の経済協力関係は、とみに発展しており、わが国にとり、ビルマは、経済協力の分野における最重点国の一つとなりつつあります。昨年十一月、対ビルマ援助国協議グループ第一回会議が東京で開催されるなど、わが国が、お国の皆様の手による独自の社会建設の努力に、応分の寄与をなしつつあることを嬉しく思っております。

 このように、両国関係が、各方面において順調に進展し、現在、両国間には何ら大きな解決さるべき懸案問題も存在しません。誠に喜ばしいことであります。私は、経済、文化等の広い分野での交流を通じ、お国とわが国との友好・協力関係が一層増進されることを念願してやみません。

 この度の訪問において大統領閣下、貴首相閣下をはじめ、お国の指導者の方々と忌憚のない意見の交換が出来ました。このような個人的接触を通じて、日・緬両国関係が一層強化されたものと確信しております。

 このご挨拶を終えるに当たり、私はご列席の皆様とともに杯を挙げ、貴首相閣下のご健康、お国の繁栄、そして、日・緬両国の友好のために乾杯いたしたいと存じます。

 乾杯!