データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ビルマ側主催宴における田中内閣総理大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 1974年11月7日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,569ー571頁.
[備考] 
[全文]

 ウ・セイン・ウィン首相閣下、並びに御列席の皆様

 ただいま貴首相より暖かい歓迎のお言葉をいただき、厚くお礼申し上げます。昨年四月、ウ・ネ・ウィン大統領がわが国を訪問された際、私は大統領と国際情勢及び日緬関係について会談する機会を得ましたが、このたび美しい貴国を訪れ、久濶を叙し、貴首相とも隔意のない意見の交換ができましたことは喜びにたえません。

 貴国は、アジアの米倉として世に聞えておりますが、わが国も古来瑞穂の国とうたわれております。私は、瑞穂の国のなかでも、とりわけ米どころとして名高い越後の生まれでありますだけに、貴国に参ります機上から、イラワジデルタの稲穂の波を目のあたりにしまして、故郷新潟に思いを馳せ、心の安らぎを覚えました。

 今般私が貴国を訪問した目的は、貴国民とわが国民との間に、平和と繁栄を分かち合う良き隣人同志の関係を育成強化しようとのわが国民の熱望を、貴国民にお伝えしたいとの一事に存します。

 日緬両国の関係は、国民各層間の強い友好の群を基礎として、世界に例をみないほどに親密な間柄にあるといっても過言でありません。本夕御出席の皆様の中にも日本事情を知悉され、日本語を良くされる方々が少なくないと承知しております。貴国独立運動の先駆者として、その一身を祖国のために捧げたウ・オッタマ僧正は、日露戦争のときからたびたび来日し、わが国各界の人士と親交を深め、日緬相互理解増進の種を蒔かれました。この種は見事に芽をふき、僧正の死後ラングーンに開設された「オッタマ日本語学校」は、貴国における日本語普及の魁となりました。

 最近も、当地外国語学院において多くのビルマ青年が、決して易しい言葉といえない日本語の学習に励んでおられます。

 ビルマ国民各層にわたり、日本を理解しようとする方々が存在することは、日緬両国の友情の核心をなすものであり、わが国にとって貴重この上ない資産であります。

 同機の事情はわが国においても指摘できます。セバハスチャン・マンリーケという宣教師が著わした「アラカンへの旅」と題する旅行記によりますと、一六三〇年代に、アラカソ王国の首都ミョウハウンでは、「レオン・ドノ」と名乗る侍の率いる日本武士団が、王の親衛隊員として仕えていた由であります。そこまで遡らずとも、わが国官民中、貴国を一度でも訪れたことのある者は例外なく、貴国の魅力の虜となり、貴国を心の故郷としております。

 私は、このように日本人を引きつけて止まないビルマの魅力が、奈辺に存するかをこの目で見きわめたいと念願しておりました。私の短かい見聞に基づいて申し上げますと、貴国の魅力の源は、美しい風土もさることながら、ビルマの人の心の暖かさ、生きとし生けるものに惻隠の情を寄せる優しさに存するのではないかと思います。われわれ日本人は、かかる優しい心根を自ら失いつつあることを自覚しているが故に、ビルマに心の故郷を求めているのではないだろうか、と考えるようになりました。

 首相閣下

 過去十二年にわたり、貴国民は「衣食住の苦悩から解放」され、「物心ともに豊かな生活」を送ることが出来る新社会を、ビルマ独自の方式で建設するための努力を続けて来られました。貴国が、建国以来の崇高な目的実現のため今後とも力強い歩みを続けられることを心から念願し、また、必ずや成功されるものと確信するものであります。

 私は大統領閣下、首相閣下をはじめ貴国の皆様方との忌憚のない意見の交換を通じ、すでに日緬両国間に存在している緊密な友好関係をさらに深めることが出来たものと信じて疑いません。

 この挨拶を終えるに当たり、私は御列席の皆様とともに杯を挙げ、首相閣下の御健康、貴国の繁栄、そして日綱両国の友好のために乾杯したいと存じます。