データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] シン首相主催晩餐会における海部内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1990年4月29日
[出典] 海部演説集,218−221頁.
[備考] 
[全文]

 シン首相閣下並びにご列席の皆さま

 本夕は、私ども一行のため、日曜にもかかわらず、このように盛大な晩餐会をご開催いただき、心から感謝致しております。本日午前、当地に到着以来、貴国の皆さまから私ども一行に示されたご厚遇とご配慮に対しまして厚くお礼申し上げます。

 首相閣下

 私は、このたび初めてシン首相閣下とお目にかかる光栄に浴することになりました。そこで、前もって閣下のご略歴に目を通しましたところ、不思議なことに気付いたのであります。まず、閣下と私はいずれも、同じ一九三一年の生まれだということであります。もっともどちらが年上であるかは、厳重なる外交的秘密でありますが、二人は、長ずるに及んで、いずれも政治の道を志し、同じ一九七六年に、閣下は商業担当大臣に、私は文部大臣にと、初めて大臣職に就きました。さらに、昨年八月、私は、総理大臣になりましたが、その四か月後の十二月、シン閣下は栄誉あるインド国首相の座に就かれました。これは、正に奇しき縁と申すことができましょう。このようなご縁で結ばれていたからこそ、本日、閣下にお目にかかった時、私が、まるで古くからの友人に再会したように感じたのも決して偶然ではないと思うのであります。

 首相閣下

 私が初めてインドを訪れたのは、二十一年前の一九六九年、列国議会同盟の会議が当地ニュー・デリーで開かれた時のことであります。私は、まだ小学生時代にマハトマ・ガンジーについて教えられたことがあり、そのとき、これほど高い理想を実践する人物を生んだインドという国に対して、敬意と同時に、強いロマンチシズムのようなものを感じたことがあります。私が初めてインドの大地を踏んだとき、インドは、私の抱いていた気持ちに十分にこたえてくれました。インドの大きさ、逞しさ、そしてその寛大さ、やさしさは、私をすっかり魅了しました。インドは、八億の人口とさまざまな文化、宗教、言語を包み込み、「多様性の中の統一と発展」を目指す世界最大の民主主義国であるといわれますが、多くの困難を乗り越えてこれが実現されつつあるのは、優れた指導者の存在と並んで、この比類ない伝統的な奥深さがインドに秘められているためであると思われてなりません。

 他方、我が日本もまた、伝統的な力の上に民主主義を築いてきた国であります。議会制度の歴史はたしかにまだ百年しかありません。しかし、それに先立つ長い期間に、日本人は民主主義の土台となるものを培ってきました。民主主義は、歴史の中で日本人の心の奥深くに刻み込まれてきた精神の基盤なしに花咲いたものではありません。このように、インドと日本は、固有の伝統と近代民主主義を融合させることにつとめてきたアジアの二つの国であり、そのことを誇りとしている点でもまったく共通しています。そして、インドは、故ネルー首相が非同盟中立という独自路線を打ちだされ、戦後国際社会において、その指導力を発揮してきました。また、日本もいまや、大きな影響力と責任を有する国家となり、世界の平和と繁栄に、より積極的に貢献しようとしています。アジアの東と西にあるとはいえ、いやむしろそうであるからこそ、この二つの国は、流動する国際情勢下に、両国民の幸せはもとより、アジアと世界のため、一層その協力を強めなければならないのではないでしょうか。

 首相閣下

 私は、日本とインドの協力の基礎は、なによりも友情であると確信しております。

 私たち日本人は、第二次大戦後、敗戦国となった我が国に、貴国インドが温かい手を差しのべてくれたことを記憶しています。他方、日本はインドを経済協力の最初の供与対象国とし、その後の関係増進に伴って、その最大の援助国となりました。しかし、このような現状に甘んじていてはなりません。両国を取りまく環境も国民の意識も変わってきています。両国、並びに両国民間の友情を維持し、これをさらに発展させるには、時代の変化を考慮に入れた、双方のたゆまぬ努力が必要です。

 ラビンドラナート・タゴールは、日本のよき理解者でした。彼が、岡倉天心や横山大観など当時の日本のすぐれた思想家や芸術家と心の交流を持ち、友情を交換したことはよく知られています。

 タゴールは、岡倉天心が東洋の心を西洋に伝えるために書いた「茶の本」を読み、「茶道の礼式を見たとき、私は日本人にとって茶道は国民的修道であることをはっきりと感じた。茶道の中に、日本人が追求している理想を容易に認識することができる」と「日本旅行者」(JAPAN YATRI)の中に書いております。

 また、彼は、「天地は花なり。神仏は花なり。人の心は花の精なり」という日本の古い詩の中に、インドにも相通ずるものを見てとり、次のように述べています。

 「私はこの詩の中に、日本とインドとの出会いを感ずる。日本は、天と地を花として描くが、インドは、『天と地、神と仏、これら二つの花は一つの茎の上に咲く』と言う。美しきものの美しさは、人の心から出るのである。」

 私は日本に対する深い理解と愛情から出たタゴールの言葉の美しさに打たれます。これは、日印の文化の最も深いところに触れた芸術家であって始めて可能となったものでしょう。タゴールの偉大さは芸術作品に現れているだけではありません。彼は深い洞察力をもってその後の日本の行方も見定め、これを案じて日本へのメッセージを送っています。その後の経過は、タゴールの洞察がいかに正しかったかを示しています。

 真の友情は、苦しい時に助け合うとともに、信ずることを告げ合って、なお崩れないものでなければならないと思います。

 二十世紀を締めくくる最後の十年が始まったいま、日本とインドがこのようにして新しい友情を育みつつ、共に語り、共に働いていこうではありませんか。

 首相閣下並びにご列席の皆さま

 それでは、ここに皆さまとともに杯を上げ、シン首相閣下ご夫妻のご健康とご多幸、インド国民の皆さまの一層の発展と繁栄、そして日本・インド両国の友情のために、乾杯したいと存じます。