データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ラーマン・バングラディシュ首相歓迎晩餐会における田中内閣総理大臣スピーチ

[場所] 
[年月日] 1973年10月23日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,326−328頁.
[備考] 
[全文]

ラーマン首相閣下、並びに御列席の皆様

 わが国とバングラデシュとの間に外交関係が樹立されて以来、両国国民の願望でありましたラーマン首相閣下の御来日がこの度実現を見ましたことは誠に喜ばしく、私は日本国政府及び国民を代表して、心から歓迎の意を表する次第であります。

 申すまでもなく、バングラデシュ人民共和国の独立の過程及びその後今日に至る国家建設の過程において、ラーマン首相が示された卓越せる指導力と御功績は、広く世界の知るところであります。私はかねてより、ラーマン首相に深い尊敬の念を抱いて参りましたが、この度貴首相に親しくお会いする機会を得て、更にその念を強めた次第であります。

 わが国とバングラデシュ人民共和国は、昨年二月外交関係を樹立いたしました。したがって両国関係は、国と国とのお付合いとしては、比較的新しい仲といわねばなりません。しかしながら、わが民族とベンガル民族との心と心の触れ合いという点になりますと、実はもっと長い交流の歴史があるのであります。すなわち、わが国の明治時代において、ベンガルの生んだ、偉大な詩人にして思想家であるタゴールに、岡倉天心、大隈重信始め多くのわが国の先覚者達との親交を通じ、わが国思想界、芸術界に大きな影響を与えたのであります。明治時代といえば、わが国の近代化の基礎を形成した重要な時期でありましたが、この時期にわが国の先覚者とペンガルの哲人タゴールとの間に深い心の交流のあったことは極めて意義深いものがあると考えます。バングラデシュの国歌はタゴール自身の作詞、作曲になるということであり、ベンガルの哲人は今なおバングラデシュ国民の心の中に生きているとの感を深くしている次第であります。

 さて、一九七〇年秋以降、バングラデシュが悲劇的な全土にわたる動乱、未曽有の規模の高潮等の大惨事に相次いで見舞われましたことは、われわれの記憶に新しく、その間にバングラデシュ国民が筆舌に尽くしがたい苦難をなめられたことにつき、われわれ日本国民は深い同情の念を有しております。かかる災害の爪痕は、今日なお深く残っているとうかがっておりますが、先日ラーマン首相よりバングラデシュの官民が多くの困難にもめげず、新しい国造りに全力をもって当たられていることを伺い、感銘を新たにした次第であります。

 私どもも不幸な大戦争の後、極めて困窮した状況から復興に取り組んだ経験を有しており、目下のバングラデシュ国民の御奮闘に深い共感を覚えるものであります。私はバングラデシュ国民がラーマン首相の英邁な御指導の下に一致団結して国造りに邁進されれば、将釆必ずや成果をみるものと信じて疑いません。

 わが国は、これまでバングラデシュ国民に対し食糧、衣料等の人道的緊急援助を中心とする協力を行なって参りました。私は、今後ともバングラデシュの国造りに、わが国としてできるかぎり協力するつもりでありますことを、あらためて明らかにしたいと存じます。

 貴首相は、日本での御日程をほぼ終えられ、明朝バングラデシュに向け帰途につかれるわけでありますが、御滞在が有意義、かつ、実り多いものであったことを心から願っております。

 御列席の皆様、ここに盃をあげ、チョードリ大統領閣下及びラーマン首相閣下の御健康、ハングラデシュ国民の幸福と繁栄並びに日本・バングラデシュ両国友好関係の一層の発展を祈念したいと思います。