データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ホーク豪州首相主催昼食会における竹下内閣総理大臣の挨拶

[場所] キャンベラ
[年月日] 1988年7月4日
[出典] 竹下演説集,191−195頁.
[備考] 
[全文]

 ホーク首相閣下、令夫人、シンクレア国民党党首閣下並びにご列席の皆様

 私が、ホーク首相閣下に初めてお目にかかったのは、昨年十二月、私の総理就任直後、閣下がソ連公式訪問の帰途、日本に立ち寄られた時のことであります。私はその折、閣下に対し高校生になる孫娘が貴国の家庭でホームステイさせていただいたことをお話い{前1文字ママ}たしましたが、その子が帰国しての感想で「オージーは動物や植物をこよなく愛し、いつくしむ、心の暖かい人達ばかりだった。また、是非行きたい」と語っていたのが、私にとりまして大変さわやかな印象を残しております。

 私のオーストラリア訪問は、今回が初めてであります。しかし、初めてという気がいたしません。それは、カンガルーやコアラのイメージばかりでなく、私自身、長い間、日本ヨット協会の会長を務めましたので、アメリカズ・カップの時、いつもオーストラリア・チームの活躍に注目していたからであります。

 そして、この四日間の滞在で、私は、オーストラリアの人々の暖かい心に直接触れることができました。

 ここキャンベラは、人工と自然が見事に調和した世界で最も美しい首都であります。今そのキャンベラの中心に、ひときわ荘重かつ端正な姿を見せる新しい国会議事堂の中で、オーストラリアを代表される皆様を前に、挨拶する機会を得ましたことは、誠に光栄であり、深く感謝申し上げる次第であります。

 首相閣下

 貴国が建国二百年の記念すべき年を迎えられたことに対し、日本の政府と国民を代表して心からお祝いを申し上げたいと存じます。

 この素晴らしい年に、しかも白瀬中尉の快挙から、ちょうど七十七年目に当たり、ラッキーセブンが重なる年に貴国を訪問できましたことは、私にとって本当に喜ばしいことであります。

 我が国の有名な探検家であった白瀬中尉が一九一一年、南極探検に挑戦する途中、オーストラリアに立ち寄り、貴国のディビット卿から南極に関する有益な情報を得て、見事その探検に成功したことは、日本人にとって今日もなお日豪両国の友好関係を象徴する話として語り継がれております。

 オーストラリアが建国されて以来二百年にわたる発展の歴史は、世界中のあらゆる社会から次々と移住してきた開拓者たちの闘いの歴史でもありました。それぞれ多様な社会的背景を持つ開拓者たちをこの長い歴史の中で、一つに結びつけ、オーストラリアの輝かしい今日を築き上げたのは、まさに自由と民主主義の揺るぎない理念であり、自らの幸福と繁栄を自らの手でつかみとろうとする不屈の意思でありました。

 そして、このようなオーストラリアの理念と意思はまた、我が国が追求する価値観や今日の日本を支えている活力の源泉と同じものであります。

 日豪両国の対称的な地理的、歴史的条件を考える時、これは実に驚くべきことと申せましょう。しかし、私は、それこそが日本とオーストラリアの友情の基礎であり、両国のメイトシップのよって立つところであると信じて疑いません。

 首相閣下

 私は、総理就任以来、我が国は平和を目指し、世界の発展を願って国際協力を積極的に推進すべきであるとの考えから、「世界に貢献する日本」の建設を我が内閣の最大の目標としてかかげてまいりました。

 これまで、ロンドン、ニューヨーク、トロントなどで明らかにしてきたとおり、平和のための協力、国際文化交流の強化、我が国の政府開発援助の拡充を三つの柱とする「国際協力構想」に基づき、アジア・太平洋地域の平和と発展のためにも一層の努力を傾けていく方針であります。

 このような我が国の施策を効果的に実現するためには、一貫してアジア・太平洋地域の発展のため力を尽くしてこられたオーストラリアとの間で、これまで以上に緊密な連絡と協力関係を確立することが重要であります。

 今日の日豪関係は、モノの交流のみならず投資や技術移転、あるいは、我が国から年間二十一万人以上にのぼる観光客が貴国を訪れている事実に示されるような人の交流に至るまで、実に幅広く急速な伸展を示しつつあります。しかし、両国がアジア・太平洋地域で果たさなければならない役割を考える時、私達は、決して現状に甘んじるべきではないと思います。

 そのためには、草の根レベルまでも含めた両国関係の幅広い交流を一層活発にすることが必要であります。このような交流を通じて日本とオーストラリアは、お互いのすぐれたところを吸収しあっていくこともできると存じます。

 とりわけ、私たち日本人は、物心両面でバランスのとれた真に豊かな生活を築いてこられた貴国民に学ぶ点が少なくありません。なぜなら、緑や自然との調和の中で、文化やスポーツに親しみ、快適な生活を確保して国民福祉の向上を図るという人間性尊重のライフ・スタイルは、今後、我が国民が進むべき方向を示しているからであります。

 このようにして、日豪両国民が真の相互理解と信頼関係を深め、人とモノと文化を通じた新しい時代を築き上げてこそ、私達は共通の「ふるさと」である太平洋地域のために真の貢献を果たすことができると信じます。

 私は、オーストラリア建国二百年の記念すべき年に当たり、新たな多角的日豪関係の構築を決意すると共に、二百年祭のテーマである「リビングトゥゲザー」の精神をいかして、世界と太平洋地域のためにも力を尽くしたいと願うものであります。

 先ほどの首脳会談において、この私の考えを申し上げましたところ、ホーク首相閣下から基本的なご賛同を得た上、きわめて有意義なご意見を賜り、まことに力強いものを感じた次第でございます。

 「アジア・太平洋時代」という言葉が口にされはじめてから、すでに久しくなりました。私の東京の事務所には、日本では未だ珍しい南極を上にしたオーストラリア土産{みやげとルビ}の世界地図がかかっております。これを見ると、大洋州が太平洋をはさんでアジアの国々としっかり結びついていることが改めて実感できます。

 この地域の南北に位置した日豪両国が共通の価値観に結ばれ、互いに協力してきたからこそ、今日では、「アジア・太平洋時代」という言葉も、単なるキャッチ・フレーズではなく、現実的な意味を持つまでに前進してきたのだと思います。

 日豪両国はもとより関係諸国が力を合せることによって、この多様で広大な地域の未来は確かなものになると、私は確信いたしております。

 首相閣下

 ご列席の皆様

 私と家内にとって、年来の強い希望であった豪州への素晴らしい旅は、まもなく終わろうといたしております。私たちは、この度の短いしかし有意義な四日間の中で、オーストラリアの皆様からいただいた暖かい歓迎を一生忘れることはないでしょう。

 私にとってただ一つの心残りは、このところ急速にゴルフの腕を磨いておられるホーク首相と一緒にプレーする時間がなかったことであります。これは、次回の楽しみにとっておくことにいたします。

 日豪両国の歴史において、まさに新しい百年が始まろうとする今、私は両国関係の明るい未来を確信し、ホーク首相、令夫人並びにご列席の皆様のご健勝とご発展をお祈りして、ここに杯を上げたいと思います。

 乾杯!