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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 湾岸危機に関する資料,記者会見における海部内閣総理大臣発言要旨

[場所] 
[年月日] 1990年8月29日
[出典] 外交青書35号,468−470頁.
[備考] 
[全文]

1.御承知の通り現在中東に於ては,国際社会全体にとって,また,我が国自身にとって,重大な脅威と受けとめなくてはならない事態が発生しております。それは,申すまでもなく,イラクによる不法な侵略によって中東の湾岸地域の平和が崩れ去ったことであります。

2.イラクによるクウェイト侵略とその併合は,国連憲章を真っ向から否定するものであり,さればこそ,国連の安全保障理事会は,これを国際の平和と安全の破壊と認定して,クウェイトからの即時・無条件撤兵に応じないイラクに対して,全国連加盟国の義務として,厳しい経済制裁を実施することを決定したのであります。

3.中東地域と言えば,我が国から遠く離れた地域ではありますが,今回のイラクの侵略は,我が国にとって3つの点で重大な問題であることを,国民の皆様にも理解して頂きたいと思います。

 第1に,我が国としては,国際社会に対するこのような露骨な侵略行為は断固否定しなくてはならないということであります。我が国の国際的対応が,この事態の本質を少しでも見失ったものとなる場合には,我が国が拠って立っております平和国家の理念そのものが,内外から問われることになります。

 第2は,我が国は,この中東湾岸地域に石油エネルギー供給の7割を依存しておるということであります。従って,当然のことながら,この地域の平和と安定が守られることは,我が国自身が自らの取りを傾けなければならない重大な国益であるという事実を,認識する必要があります。

 第3に,世界の石油埋蔵量の実に65パーセントを占めるこの地域の平和の回復は,我が国ばかりでなく,世界経済のこれからの発展と繁栄にとって,死活的に重要な意味を持っております。東西冷戦が終わりを遂げて,今後21世紀に向かって,冷戦時代の発想を乗り越えて新しい国際秩序の構築に,日本も先進民主主義国の一員として,国際的な責任を負って行かなくてはならない立場にはありますので,湾岸地域の平和の再建は,到底他人任せにすることは許されない,自らも積極的に貢献していかなければならない問題なのであります。

4.国連の制裁決議に応じて,アメリカをはじめ,ヨーロッパ,アラブ,アジアの多くの国々が,イラクの手で無残に破壊された湾岸地域の平和の回復のために立ち上がっており,この決議にはソ連も支持を与え,また,国連の加盟国でない永世中立国のスイスも,国連決議に,自発的に,経済制裁には加わっています。正に,平和を守らなければならないという広範な国際的努力が行われているところであります。もし我が国の対応が遅れたり,自分自身の重大な国益がかかっているこの地域の平和のために日本は何もしないという印象が世界に拡がりますと,我が国の将来にとっては極めて大変なことになります。我が国は,国際的に孤立して行かれる国ではありません。私はこういう考え方に立って,予定していた中東訪問も暫時延期して,我が国の平和への貢献策の取りまとめに当って来たところであります。

5.今夜政府が発表しました貢献策は,今後更に肉付けを必要とします。おおよそ次の二つの柱を中心として,それを行います。

 第1は,イラクの一層の侵略を抑止すると共に,経済制裁の実効性を確保するために,湾岸地域とその周辺海域に展開している米,欧,アラブ等のいわゆる多国籍軍に対する,輸送,物資,医療等の面での協力であります。これを実施するに当っては,我が国の憲法上の立場を遵守して行くことは,申すまでもありません。

 第2は,今回の事態によって,大きな困難に直面している周辺諸国に対する経済的支援であります。難民に対する人道的援助もその一環であります。

6.平和を守るためには,不断の努力が求められます。我が国が国際社会の中でより大きな地位を占めるようになればなる程,平和を守るための責任は重くなり,我が国自身,その自覚に立って,より一層の貢献を求められます。今日の中東の事態ばかりではなく,今後そのような我が国の行動が求められることにもなります。これから国際社会の中で,我が国が,平和を守り,これを維持するための国連の活動やこれを支持する加盟国の国際的努力に協力して行く責任を,より適切に果たして行くことが出来るよう,現行の法令・制度を見直して,国際社会への貢献のため,憲法の枠組の中で出来る限りの責任を果たすという観点から,例えば,まだ私案ですけれども,国連平和協力法というような法律の制定も真剣に考えてみる必要があると思います。

7.イラクの隣国併合という未會有の事態は,あくまで国連安全保障理事会の決議の定めるところに従って解決されなければなりません。かかる努力が実を結ぶためには,なお相当期間に亘る忍耐と粘り強い努力が必要であります。政府としては,アラブ諸国をはじめ,各国と協力して,国際社会が受け入れることの出来る,公正な問題の解決を探求する努力を積極的に支援して行きたいと考えます。

 また,イラクに対しては,その行為を厳しく咎める世界の声に率直に耳を傾けることを強く求めますと共に,イラクが国連安保理事会の決議を受け入れる場合には,我が国をはじめ世界の諸国との間での協力関係を,改めて築き直すことも可能であるということを指摘したいと思います。

8.最後に,イラク及びクウェイトに於て極めて困難に状況に置かれ,自由を奪われ,これに耐えて来ておられる在留邦人の皆様とその留守家族の方々のことを想い,私は深く心を痛めております。皆様の御苦労,御心労は察するに余りあるものがございます。

 我が国の同胞が,また多数の国の国民が,国際法にも人道にももとる不当な取り扱いを受けていることは,誠に許し難いことであります。既に国連や赤十字国際委員会も,問題の解決のために動き出しております。政府としましては,これからも在留邦人の方々の安全確保のために出来る限りの努力を続けると共に,国際社会と共に,皆様の安寧と行動の自由が回復されますように,あらゆる努力を尽くして行く決意であります。

 国民の皆様におかれましては,我が国の将来に想いを致され,政府の対応に対する御理解と御協力を,心からお願い申し上げる次第であります。