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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ハヴェル・チェコスロヴァキア大統領歓迎晩餐会における宮澤内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1992年4月24日
[出典] 宮沢内閣総理大臣演説集,150−152頁.
[備考] 
[全文]

 ハヴェル大統領閣下,令夫人,並びに,御列席の皆様

 本日ここに大統領閣下とそのご一行をお迎えし,歓迎の宴を催す機会を得ましたことは,私の大きな喜びとするところであります。

 大統領閣下

 私は,冒頭に一通の外務省の公電をご紹介したいと思います。一九六八年八月二十一日の未明,突如襲来したワルシャワ条約軍の戦車にプラハの町は席捲されました。二十二日十三時四十三分にプラハで発電されたこの電報は,在プラハ日本国大使館のある若い書記官の報告を伝えるものです。

 この書記官は,侵略者に抵抗する学生達のリーダーに対し,「私は少しでも多くのことを正しく知り,少しでも多くの人々に語り伝えよう。私はこの諸君の悲しみを死んでも忘れない。」と約束したと報告しています。彼の見たプラハはどうだったのでしょう。「静かな美しいプラハの市街は一夜にして,硝煙と戦車の走る轟音と学生のシュプレヒコールに包まれてしまった。いつも微笑みを忘れなかったドゥプチェックは何処へ行ったのか。チェッコ・スロヴァキアは自らの統制力を失った。変わらないのは,モルダウの静かな流れのみである。」と彼は,東京に報告しています。

 在京のチェッコ・スロヴァキア大使館には激励の手紙や花束が届けられました。貴国の運命に心を痛めた日本人は数知れません。

 プラハの春が崩れ去った後,一九七七年の貴大統領閣下を始めとする「憲章七七」人権擁護の運動も記憶に鮮やかに残ります。モルダウの如く「ビロード革命」まで脈々と流れるチェッコ・スロヴァキアの人々の勇気を私は良く知っております。自由と正義のために敢然と戦うチェッコ・スロヴァキアの人々の勇気は,我々日本人の胸に深く刻み込まれました。

 チェッコ・スロヴァキアは,また,別の意味で日本の人々が特別の親しみを感じる国であります。

 「プラハの春」の四年前,東京オリンピックの舞台で,チャスラフス力さんが見せた闘志を秘めた華麗な演技は,今日でも忘れられません。さらに,日本の国技の相撲,その相撲に対し,貴国は外国政府として初めて優勝賜杯を提供されました。美しいカット・グラスは,日本の伝統を愛する優しい貴国の人々の心情と,貴国の技術の水準の高さを,日本人に強く印象付けました。音楽の世界でも,スメタナやドヴォルジャークの音楽は,日本人にとって特別の懐かしさを感じさせる世界です。

 このような出会いを通じ,私ども日本人は,貴国の人々の勇気のみでなく,その優美な精神にも感動してまいりました。

 大統領閣下

 私どもは,閣下の下で新生なったチェッコ・スロヴァキアの改革が実を結び,人々が真にその人間的発展を実現されんことを願っております。私どもとしても,貴国の人々の努力をできる限り支援していく所存であります。

 

 大統領閣下

 二十世紀の最後の十年に至って,世界は激動を経験しております。

 東欧・ソ連における共産王表の瓦解,東西対立の終焉は,ながらく世界政治の前提と考えられてきた秩序を突き崩しました。しかし,世界は,「歴史の終焉」どころか,民族的・文化的な対立,環境や貧困の問題など,様々の挑戦に見舞われております。この混沌を前にして,我々は,自由と民主主表に立脚した新たな世界にふさわしい新たな世界秩序を構築するべく努力せねばなりません。私は,新たな秩序の構築は,閣下が今年二月ダヴォスの演説で指摘されたように,文明史的な課題であろうと考えております。

 このような文明史的転換期において欧州の新しい流れの先駆者の一人である貴大統領が東洋の国々を訪問されることは,非常に意義深いことです。欧州と東洋とはそれぞれ独自の伝統と文化を有します。しかし,今や,同じ地球社会の一員として,手を携えてこの新たな課題に向かって進む必要があります。貴国と我が国はこの課題に向かって相協力し少なからぬ貢献を為しえましょう。

 大統領閣下ご夫妻は明日京都・奈良に向かわれます。チェッコ・スロヴァキアも欧州に於いて最も古い伝統を誇っておられる国の一つですが,この機会に日本の誇る伝統と東洋の文化を楽しまれることを祈念致します。

 それでは,御列席の皆様,ハヴェル大統領閣下と令夫人のご健康,ご一行の皆様とチェッコ・スロヴァキアの一層のご発展を祈って,ここに杯を上げたいと存じます。

 乾杯。