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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ペルティーニ・イタリア共和国大統領歓迎午餐会における鈴木内閣総理大臣の挨拶

[場所] 首相官邸
[年月日] 1982年3月11日
[出典] 鈴木内閣総理大臣演説集,265−266頁.
[備考] 
[全文]

 ペルティーニ大統領閣下、コロンボ大臣閣下、御列席の皆様

 本日ここにイタリア共和国大統領閣下及び外務大臣閣下の御一行をお迎えできますことは、私にとってこの上もない欣びであり、かつ光栄であります。日本政府及び国民を代表して、心から歓迎の意を表明いたします。

 私は昨年六月、伝統的な日伊友好関係を更に増進すべく、貴国を訪問する機会を得、その折に貴国の政府及び国民の皆様から心暖まるおもてなしを受けました。ここに更めて衷心より御礼を申し上げます。

 大統領閣下

 閣下はお若い頃より民主主義と社会正義の確立のために、身命を賭して力を尽くしてこられたと伺っております。そして貴国議会での就任演説で、「イタリアは世界における平和の使者であらねばならない」と力説されたとも伺っております。私は、閣下のこの御決意とそれに裏付けられた世界平和招来への御努力に、心からの賛同の念と敬意を表するものであります。何故ならば、我が国もまた戦争の惨禍を身をもって体験し、まさにそれ故に、我が国民は、平和な国際社会の建設に寄与することを自らに課された最大の使命と考えているからなのであります。

 私はまた、閣下の平和への熱情が人間そのものへの深い愛情に根ざしていることを承知しております。昨年私がローマに滞在しております間に、貴国で幼い子供が井戸に落ちるという不幸な事件が起こりました。その際貴大統領が夜を徹して救出作業を見守っておられる姿を貴国のテレビで拝見した時の感銘は、今なお私の脳裡に鮮やかなものがあります。

 しかし、日伊両国を結びつけているのはこの崇高な共通の課題だけではありません。我が国の存在を欧州に紹介したのが貴国出身の偉大な旅行家マルコ・ポーロであったことは我が国では、広く知られているところであります。我が国とイタリアとの間には四百年にわたる豊かな交流の歴史があります。特に十九世紀中葉、我が国が二百数十年に亘る鎖国の夢から醒め、近代国家の建設へと歩み始めた際に、貴国から多数の学者、芸術家、技術者が招聘され多大の貢献をしたことは、われわれの記憶に尚鮮やかなものがあります。一例を挙げますと、大統領閣下の御郷里であるリグリア出身のエドアルド・キョソーネは、我が国に造幣印刷技術を伝えるとともに、我が国の伝統美術をこよなく愛し、かつ海外に紹介したのでした。もっとも私どもは今日、キョソーネの伝えた印刷技術を維持発展させるだけではなく、その技術を用いて印刷された紙幣の価値をも維持する責任を負っていることは確かであります。

 大統領閣下

 このような絆で結ばれた両国の協力関係は、現下の厳しい国際情勢の下で一層緊密なものとならなければなりません。閣下が今回、イタリア国の元首として初めて訪日されたことは、それ自体、両国の友好関係の歴史にとり画期的なことであります。と同時にこの御訪日が、自由と民主主義という共通の価値観の上に築き上げられた日伊両国の協力関係を、時代の要請に応えてより強固なものとするための重要な契機となることを信じて疑いません。

 ここに皆様とともに杯を上げ、ペルティーニ大統領閣下の御健康とイタリア共和国国民の御繁栄及び日伊友好関係の一層の発展を祈念いたしたいと存じます。