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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 甘粛省省長主催歓迎宴における竹下内閣総理大臣の挨拶

[場所] 敦煌
[年月日] 1988年8月27日
[出典] 竹下内閣総理大臣演説集,199−201頁.
[備考] 
[全文]

 賈志傑甘粛省省長閣下

 並びにご在席の皆様

 今夕はこのように心温まる歓迎宴を開催していただき,またただいまは懇切なる歓迎の辞を賜りまして,有難うございました。省都蘭州から遠く離れたこの敦煌の地で,私共の訪問を迎える準備をしていただきました甘粛省及び敦煌市の皆様のお骨折りに対し厚く御礼申し上げます。また,この機会を借りて最近の豪雨罹災された方々に,心からのお見舞いを申し上げます。

 ご在席の皆様

 敦煌は,井上靖先生の小説や,ここにご在席の平山郁夫画伯の名画で,そして映画や展覧会を通じて,我が国民の関心はきわめて高く,今や夢とロマンのシルクロードに位置するいわば「心のふるさと」とも言うべき親しみを集めております。

 今こうして家内と共に長年の敦煌訪問の夢が叶えられた次第でありますが,このあと鳴沙山,月牙泉を散策し,明日はいよいよ念願の飛天と胡旋舞の壁画をこの目で見ることができると思うと,心の昂りを禁じ得ません。

 本日,私は北京から,空路,黄河に沿ってさかのぼり,更に河西回廊の上を飛び,機上からあの渺望たる華北平野,黄土高原,そしてこの砂漠地帯までをつぶさに見て,中国の広大さはもとより,何千年来ここで発展してきた歴史と文化の重みを改めてかみしめる思いでありました。降り立ってみれば,敦煌は,かつて激しい時代の波に洗われたことが夢だったとしか思えないほど静かな田園都市であります。しかしシルクロード華やかなりし昔,この地は東西の文化交流・交易の要であったことも事実です。それは,素晴らしい人類の文化遺産の宝庫であり,日本文化の源流の一つでもあります。

 私はかねてより,そのような敦煌のために日本としても何かお手伝いできないものかと考えてきましたが,この機会に我が国としても敦煌芸術の保存と西域の研究に協力することをお約束いたします。そうすることが日中両国間の文化交流の促進と相互理解に役立つと考えるからであります。

 シルクロードは今,近代化の如意棒「改革と開放」の力によって蘇生しようとしています。日中双方の努力が実って,今月から「西域の味」ハミ瓜が日本でも食べられるようになりました。この地域と世界との距離は短縮されつつあります。このような新しい環境の中で,この地域の特性を十分にいかしつつ創意工夫を加えて近代化建設に邁進されている皆様のご努力は必ずや実を結び,二十一世紀に向けて大きく発展するものと期待いたします。

 ところで皆さん。シルクロードが,本当に運んでいたのは何なのでしょうか。私はそれは結局,人々の「心」だったのではないかと思います。現代の日本も,昔の敦煌と同じく,世界の東西南北を結ぶ十字路に立っておりますが,私達は新しい時代の国際交流の道をお互いの心と心で築きたいと願ってやまない次第であります。

 それではご在席の皆様

 ここで御主人の盃をお借りいたしまして,

 日中両国の新たなる二千年の友好のために,

 甘粛省と敦煌市の発展のために,

 賈志傑省長閣下,並びにご在席の皆様のご健康をお祈りして,

 乾杯いたしたいと存じます。

 乾杯!