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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 人質解放に際しての橋本内閣総理大臣の記者会見

[場所] 
[年月日] 1997年4月23日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),533−537頁.
[備考] 
[全文]

[橋本総理]

 まだ事態はいろいろ動いていますけれども、先ほどに続いて在ペルー日本大使公邸占拠事件についてのご報告を申し上げます。

 お陰様で日本人の人質の方々にはけが人、と言っても大した重傷はありません。打撲症、あるいはやけど、足首の捻挫、かかとの骨折といった傷が報告されていますが、心配しなければならないようなけがはなく、全員無事で救出をされました。

 ただ、ペルー側ではお一人が、ジュスティーさんと言われる最高裁の判事が亡くなられ、また、ペルー軍特殊部隊の中から二名の戦死者を出したようであります。亡くなられた方には謹んでお悔やみを申し上げますし、特に救出に当たってくだすった部隊の中の死亡者には、心から哀悼の意を表したいと思います。

 池田外務大臣は大体今夜八時には東京、あるいは成田を飛び立って現地へ飛ぶことになります。

 そこで、フジモリ大統領とちょうど八時五十五分から約十五分、二十分近くのお話をいたしました。私の方から申し上げたことは、まず、お礼であり、同時に大統領のご家族、及びアリトミ在日ペルー大使のご家族、こうした方々は無事だったかということで、皆その人たちは無事だった。しかし、最高裁判事一名、特殊部隊の隊員二名が死亡した。そのようなやり取りがございました。

 そして、大統領からは事前連絡をしなかったことに対して、大変微妙なタイミングをつかまえての作戦であるだけに、理解をしてほしいという非常に丁重な話がありました。私も立場がもし違ったら同じことをしたかもしれません、遺憾だということは申し上げた上で、私は理解をいたしますということを申し上げました。

 そして、フジモリ大統領からは、特に日本国民へのメッセージとして、時間がかかったけれども、無事、人質の皆さんを解放することが出来たこと。そして、テロに屈せずこれを完了したこと。ここまで来る間、大変多くの方々が、心配をされたと思うけれども、自分を信じてもらって、また、ペルー政府を信じていただいて、本当にありがとうということでした。

 私の方からは、今日池田大臣を派遣するが、それは一つはあなたに対しお礼を申し上げることであり、同時にこの混乱の終結した段階において、大使館業務を立ち上げなければならない。また、釈放された方々の関係企業、その他のさまざまな問題が起こり得るので、こうした点に対しての対応をすることであり、あなたの邪魔にはならないように派遣をするから是非頼む。同時に、公邸、解放された以上、我々としてもこれは当然、捜査をきちんと行わなければなりません。そうした点についての協力を求めました。

 この点については、大統領の方から、了解してもらえれば、二日間公邸を閉鎖させてほしい。なぜなら、テログループの残した爆弾、あるいは地雷等の除去の問題があり、中に安全に入れる状態を確保するためには、それぐらいの時間がほしいということでありました。

 幸い現地には日本側警察庁の関係者が既に現地におります。その諸君と協議をした上で封鎖をしてもらいたい。でないと後でさまざま、よけいな問題を生ずる可能性がある。

 同時に、池田外務大臣がそちらに赴く際に、警察庁の捜査の専門家たちを同行させるので、ペルー側と協力をして、公邸内の捜査全般に当たらせたい。この点についての協力を求める。この辺は一切合意をいたしております。

 なお、ちょうど今お医者様の交代のチームを送っている最中で、今日の午後には交代のドクターのチームが着くんですけれども、これは内科、あるいは消化器系、放射線系といったところを中心に送っておりましたので、直ちに総合診療、あるいは災害精神医学、精神科といった長期の拘束の後のストレスの問題に対応出来るドクターチームを増派します。ここまで大変協力をいただいた大学の心理学の専門家等もおりまして、そうした方々をチームとして現地に送る予定にしております。

 いろいろこの事件が発生以来、今日までの間に皆さんは情報を必要とする、我々は少しでも安全を考えると情報を秘匿したいということで、時々いらいらさせたことがあると思いますが、この点は改めて事件の解決の今日、おわびをすると同時に、非常に良心的に協力をしていただいた関係者にも改めてお礼を申し上げたいと思います。

 私の方からは今は以上です。

−総理、大統領の方から、なぜこのタイミングで強行突入に踏み切ったのかということについて、もう少し詳しい説明はなかったのでしょうか。

○総理 あったとしても、今の時期では微妙過ぎて申し上げられないと思います。あった、なかったということ自体を私は秘匿させていただきたい。

−総理、かつてトロントの会談では基本的には平和的に事件を解決するということで一致して、しかし、人質の安全に問題があった場合については、その限りではないというような合意がされたと思うんですが、その合意に照らして、今回の事態というのは、総理としては十分納得し得る事態だったのかどうか、その点についてはいかがですか。

○総理 机の上の議論なら幾らでも出来ます。しかし、このチャンスならば救出出来るという判断は、現地の最高責任者にしか出来ません。そして、幸いその判断が、それでも多少の犠牲を出したわけだけれども、成功した。私はそれが約束違反だとかどうかという以前に、むしろ最高指揮官としてのフジモリさんが最善のタイミングをはかり、この挙に出た。そして、結果としては、それでも一人の人質からの死者を出したが、また、突入部隊の中から二人の死亡者を出したが、他の方々を無事に皆救出をした。これがすべての答えじゃないでしょうか。

−最近このペルーの問題については、我々にとっても非常に情報が途絶えて、どうなることか非常に関心を持って見守っていたんですけれども、結果的に強行策で突入したということを、政府としてはシミュレーション、ないし内々の検討で、この時期を想定されていたのかどうか。それについてはいかがですか。

○総理 少なくとも私が東京にいる間、こうした事態が発生した場合、その場合に通告のある場合、とっさの判断でない場合、私が海外に出た後、一番問題なのは実は飛行機に乗っている間に起きることだったんですけれども、どこの国であれ、目的の国へ入ってしまっているときと、上空にいるときと少々問題が違いました。しかし、そういう想定をしていなかったはずはありません。もし、そういう想定を全くせずというんだったら、これはよほど楽観的な方だったんでしょうね。

 しかも、それは正月ASEANに出ていくときの内容と、トロント会議を経て今日の時点で考えることと、当然その差はありました。ですから、東京にいて通告ありの場合、なしの場合。海外に出ていて通告ありの場合、なしの場合、当然ながらそういう問題について、どういう対応がなし得るかを勉強するぐらいのことは、それは政府として当然じゃないでしょうか。

−総理、明日から訪米されるわけですけれども、予定を変更されてフジモリ大統領と会談されることはお考えになっていますか。

○総理 それは他の国に大変失礼でしょう、まず第一に。

 それと同時に、私は、これは他の国に回るついでにペルーに行くという性格のものだとは思いません。だからこそ、外務大臣に緊急に飛んでもらい、やらなければならない対応はしてもらいますけれども、むしろ時間が許すならば、東京を出発して、それは目的地はリマであり、そして、そのリマをたった途中の給油地点は別として、帰国の目的地は東京である。そういう旅行で対応すべき話だと思います。どこかのついでに寄れるというようなものではないと私は思う。