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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ルシンチ・ヴェネズエラ大統領歓迎午餐会における竹下内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1988年4月7日
[出典] 竹下内閣総理大臣演説集,220ー222頁.
[備考] 
[全文]

 ルシンチ大統領閣下並びにご列席の皆様

 このたびハイメ・ルシンチ・ヴェネズエラ大統領閣下を我が国にお迎えし、ここになごやかな午餐の会を開催できましたことは、私にとって大きな喜びであります。閣下は、ヴェネズエラ共和国から初めて我が国を訪問された大統領であり、また、私が昨年秋の就任以来初めてお迎えする国賓であります。

 日本政府及び国民が挙げて閣下とそのご一行を歓迎申し上げていることを、まず皆様にお伝えいたしたいと存じます。

 私は、大統領閣下とは初めてお目にかかりましたが、あたかも旧友に再会したような温かさを覚えました。

 それは閣下の気さくで大らかなお人柄によることはもちろんですが、同時に、閣下と私が同じ一九二四年の生まれであり、地方議会に籍を置いたのもほぼ同じ頃だという事実にもよるでありましょう。しかし、閣下、どちらが早く生まれたかは、ご列席の皆様に対して、この際内緒にいたしておこうではありませんか。

 ルシンチ大統領閣下

 振り返ってみると、貴国に生まれた中南米の偉大な解放者、シモン・ボリーバルが我が国に紹介されたのは、いまを去る百三十余年の昔、我が国がまだ明治の曙を迎えるかなり以前に発行された「遠西記略」という本の中であります。

 この本の著者は、その中の「各国名将伝」で、ジョージ・ワシントンの次にボリーバルを掲げ、その功業は「千古に朽ちない」と讃えました。これがおそらく貴国と我が国が知り合う最初のきっかけであったと思います。

 両国の間に正式の外交関係が結ばれたのは、一九三八年であります。以後、大戦による中断はありましたが、両国関係は順調に推移し、要人の往来も絶えませんでした。最近も昨年九月、我が国から倉成前外務大臣が貴国を訪問し、貴国からは、同年五月、アスプルア前大蔵大臣が、そして昨年末にはウルタード現大蔵大臣が訪日されました。

 また、石油調査のため日本人が入植した一九二八年以来、貴国に移住する人も次第に増え、年を追って経済面の交流も深まりつつあります。私は、貴国が誇りとするグリ・ダムの建設やアルミニウム産業等の発展に、我が国の技術力が大いに貢献できたことをうれしく存じております。

 我が国は戦後、廃墟の中から立ち上がり、いまや世界貿易の約一割を占める国として、東アジアだけでなく、国際社会に大きな影響力を有する国となりました。

 また、ヴェネズエラは、OPEC創設国の一つとして世界エネルギー政策に重要な地位を占めるとともに、中南米地域の安定にも積極的な努力を払ってこられました。さらに、ルシンチ大統領閣下のご就任以後は、国内の経済発展に努められ、貴国経済の成長は、近年着実かつ顕著なものがあります。

 このような時、閣下が、貴国大統領として初めて訪日されたことは、日本・ヴェネズエラ関係の歴史上まことに画期的なことであり、アジア・ラテンアメリカ関係、ひいては世界の平和と繁栄にとっても大きな意義を有するものと信じます。

 ルシンチ大統領閣下

 私は、まだ貴国を訪問したことはありません。しかし、私は、北に豊穣の海カリブに面し、中央部に雄渾オリノコ川が流れる大平原リヤノス、南に緑深いギアナ高地を擁するヴェネズエラが、変化に富んだこよなく美しい国であり、しかも、豊かな資源と活力に溢れた国民に恵まれていることをよく存じております。

 私は二十一世妃に向けて、貴国の可能性は、まことに大きいものがあると信じ、両国が今後ますます相互に補完しあうパートナーとなるよう両国経済関係の強化・充実につとめていく考えであります。

 大統領閣下並びにご列席の皆様

 日本・ヴェネズエラ両国の外交関係樹立から五十年目に当たる今日、私は今回のルシンチ大統領閣下の記念すべき我が国へのご訪問が両国の政府及び国民にとって、お互いの友好協力関係を次の五十年に向かって出発させる新たな礎となるものと信じ、大統領閣下が年末の教書の中で述べられた言葉を、我々の共通のスローガンといたしたいと思います。

 エル エスフエルソ ダラー フルートス(努力が実りある成果をもたらす)

 それでは、ルシンチ大統領閣下のご壮健を祈念し、また両国国民の幸多かれと願いつつ、杯を上げたいと思います。

 乾杯!