データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日伯財界共催歓迎午餐会における田中内閣総理大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 1974年9月20日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,513ー515頁.
[備考] 
[全文]

 ナテル州知事殿、ブラジル工業連盟副総裁殿

 ブラジル日本商工会議所会頭殿、御列席の皆様

 本日、ブラジル経済の中心であるサンパウロにおいて、ブラジル経済界を代表される皆様とお話しする機会を得ましたことは誠に喜びにたえません。

 貴国を訪れることは私の多年の念願でありました。私は、夢多き青年のころ、貴国が広大な国にあらゆる地域からの移住者を包含し、多数の異なった民族の融合体としての新世界建設という壮大な実験に挑戦していることを知って、かかる実験に参加したいという情熱にかられたのであります。それだけに今回名実共に大発展を遂げつつある貴国の姿に接することができた感激は格別であります。特に、当地サンパウロは過去六十余年にわたり日本よりの移住者を、又近年においては日本よりの企業を受け入れて、われわれ日本人にとって最も親しまれている都会であります。私はこの機会に、ナテル知事はじめ、サンパウロを代表される皆様方が日本国民に示されている伝統的な友情に対し深く感謝申し上げたいと思います。

 日伯両国の経済関係は、とりわけブラジルのめざましい経済発展により、拡大緊密化の一路を辿っております。本年三月末、わが国のブラジルへの民間投資は十億ドルを超え、わが国よりの海外投資先として、ブラジルは米国、英国に次いで三番目に重要な地位を占めております。貿易も一九七三年には年率六五パーセントの伸長を示し、遂に十億ドルを突破したのであります。ブラジル・コーヒーもいまや日本の若い世代にとり生活必需品となっております。東京には実に六千軒にも達するコーヒー・ショップがあり、その名も「サンパウロ」「パウリスタ」「サントス」などとブラジル語が使われております。十六世紀には日本人古来の飲物である「茶」がポルトガル語でも「シャ」として取り入れられたのと対照的に、日本はブラジル・コーヒーの逆上陸を受けているのであります。ブラジルの鉄鉱石は日本の製鉄業に不可欠となっており、こうした一次産品のみならず、貴国の工業化に伴う工業製品の対日輸出が年とともに飛躍的に増加する趨勢にあります。

 私は共に一億以上の人口を有し、世界に特筆できる経済発展力を有する日伯両国が、今後とも創造的経済補完関係に立って協力していくことにより、両国経済関係には無限の発展が約束されているものと信じます。

 今後われわれの関心は、日伯のバイラテラルな経済関係にとどまらず、広く世界経済への貢献に向けられるべきであると思います。世界は国際通貨、インフレーション、資源・エネルギー、食糧、環境開発といった解決を迫られる多くの困難な問題に直面しております。

 私は、ガイゼル大統領との会談で、日伯両国が相協力してこれら共通の諸問題解決に貢献し、世界経済の繁栄と発展に寄与することについて貴重な意見の交換を行いました。先月は日伯財界代表の間で初の民間経済合同委員会がブラジルで開催されております。このような官民の協議や交流の機会を積み重ねていくことが両国の今後の協力のために極めて有意義であり、必要であります。私はかかる観点にたって、さらに両国間の意志の疎通を計り、相互理解のより一層の増進にも資するため、日本政府の名においてサンパウロ大学日本文化研究所設立のための基金の一部を贈呈する所存であります。

 終わりにあたり、日伯経済交流の直接の担い手である皆様方が、今後ともその英知と努力を結集されて、真に偉大なブラジルの国造りと皆様の御繁栄を心より念願して、御挨拶といたします。

 御静聴ありがとうございました。