イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究

日本学術振興会科学研究費 基盤研究(A)
研究代表者:長澤榮治

2019年5月の活動報告

(5/10)映画会シンポジウム:アジアを知る『短編映画「シリア三部作」から考えるシリアの今―アンマール・アル=ベイク監督を迎えて/Symposium: Knowing Asia: Considering Syria through “Syrian Trilogy” of Short Films: With Filmmaker Ammar Al-Beik』

日時:2019年5月10日(金)18:30-21:00

場所:東京大学東洋文化研究所3階大会議室

使用言語:
上映言語:アラビア語、フランス語、イタリア語/字幕:日本語、英語、アラビア語
トーク:アラビア語、日本語(逐次通訳付)

プログラム

  司会:山本薫(慶應義塾大学)
18:30 開会の言葉 開会の言葉 後藤絵美(東京大学)
18:40短編映画『シリア三部作』上映開始

「太陽のインキュベーター(The Sun’s Incubator)」11分、2011年

「シリアの甘い生活(La Dolce Siria)」26分、2014年。


「万華鏡(Kaleidoscope)」20分、2015年。


19:40休憩
19:50 アンマール・アル=ベイク監督×岡崎弘樹(日本学術振興会特別研究員PD)
20:30質疑応答
21:00閉会の言葉 長沢栄治(東京外国語大学)

 

主催
科研費新学術領域研究「グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて」計画研究B01班「規範とアイデンティティ:社会的紐帯とナショナリズムの間」(代表:千葉大学 酒井啓子)
東京大学 日本・アジアに関する教育研究ネットワーク

共催
東京大学 東洋文化研究所
中東映画研究会
科研費基盤研究(A)イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究(代表:東京外国語大学 長沢栄治)

協力
ゲーテ・インスティトゥート東京


開催報告

第一の作品『太陽のインキュベーター』は、監督自身の娘の誕生と乳児期の映像を、エジプトやシリアの民衆運動の映像と重ねながら映し出したものであった。岡崎氏は同作品について、人々の抗議の声を他者のものとしてではなく、自らやその次世代の問題として捉えていることを表現したのかと尋ねた。これに対して監督は、同作品で、シリア革命初期に惨殺された13歳の少年ハムザ・アル=ハティーブの遺体の映像を用いたことに言及し、その映像が遺族によって撮影され、Youtubeにあげられたものであったこと、『太陽のインキュベーター』は、あえてそうせざるを得なかった家族の苦しみや決意に共鳴した作品であったと述べた。生まれたばかりの愛娘と少年ハムザの姿を並べて映すことで、家族としての思いを重ね、受難死を遂げた人々やその周囲の人々の声を、精一杯思い届けようとしたのである。

第二の作品『シリアの甘い生活」は、1960年に発表されたフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』をモチーフにした風刺映画である。映画の中では、断片的に、そして繰り返し、サーカスの映像が映し出されていた。その中には「ライオン(アラビア語で「アサド」、すなわち大統領父子の名前)」が調教師に襲いかかるという衝撃的な場面があった。監督は、子供たちをサーカスに連れていったものの、そこで得られたのは楽しい思い出ではなく、恐怖心と疲弊であったと述べ、シリアの人々が直面してきた政治的・日常的な苦境を揶揄した。

第三の作品『万華鏡』は、フォトジャーナリストのアンマールと愛人のマリーの一夜を描いたものであった。監督によると、この作品を通して問いかけたかったのは、メディアがなぜ民衆の現実に目を向けないのか、という点であったという。アンマールが写した100枚の写真の中から、メディアが欲しがったのはヴェールで顔を覆った女性が爆薬を詰めている場面を映した1枚だけ。なぜイスラーム主義の話にしようとするのか。なぜ、大国の価値観での「人権」だけを語るのか。人は時に「人間」であるために戦うことを迫られる。世界のメディアは、そうした人々の存在や彼らを突き動かす衝動について伝えていない。アル=ベイク監督は、これまで取りこぼされてきた「人間」であるための戦いを、映画を通して表現する中で、自身もまたその戦いに身を投じてきたのだと語った。

質疑応答では、60名以上の来場者とともに、映画の内容だけでなく、監督が東京滞在中に出会った人やモノ、そこから展開した思考の広がりにまで話が及び、大いに盛り上がった。最後に長沢栄治氏が、三本の映画の文脈を同時代の日本の経験へと引き寄せ、シリアの、そしてその他の場所の人々の苦悩や困難を、自らのものとして受け止め考えることが重要であると述べた。

アル=ベイク監督は、自分には映画という手段があり、それをもって人々の経験や苦難を広く伝える責任がある、と繰り返し語っていた。その言葉は、私自身を含め、本企画に関心をもち、この場に居合わせ多くの人々の胸に響いたようであった。

(報告:後藤絵美)