イスラーム・ジェンダー学の構築のための
基礎的総合的研究

公開シンポジウム「イスラモフォビアの時代とジェンダー」

現代世界を理解するためにはイスラームとジェンダーをめぐる問題を考えることが不可 欠です。イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究プロジェクトでは、 近年、世界的な問題となっているイスラモフォビアの表象と表現について映像や文学な どを通じて考えます。

プログラム

13:30開会の言葉:長沢栄治(東京大学)
13:35趣旨説明:後藤絵美(東京大学)
13:40第一部 イスラームをめぐる表現と報道(司会:宇野陽子・東京大学)
  • 佐藤 兼永(フォトジャーナリスト)
    「日本のムスリムを取材するという事 -誰の声に耳を傾け、何をどう伝えるのか」
  • 渋谷 哲也(東京国際大学)
    「ドイツ映画とトルコ - 《移民映画》の両義性」
  • 中村 雪子(立教大学ジェンダーフォーラム)
    「イスラームとジェンダーから考えるインド映画」
  • 野中 葉(慶應義塾大学)
    「インドネシアの二つのミスコン開催問題 -ジェンダーとイスラーム性を巡る攻防」
14:40ディスカッション
15:20コーヒーブレイク
15:45第二部 イスラモフォビアとジェンダー(司会:鳥山純子・日本学術振興会特別研究員)
  • 齋藤 剛(神戸大学)
    「現代モロッコにおけるアマズィグ運動とイスラーム ―植民地遺産、世俗化、先住民化」
  • 森 千香子(一橋大学)
    「フランスにおける「ムスリム女性」表象の変容 ―「哀れみの身体」から「狂暴な身体」へ」
コメント:
  • 宇田川 妙子(国立民族学博物館)
  • 林 純子(弁護士)
16:45ディスカッション
17:25閉会の言葉:鷹木恵子(桜美林大学)
17:30閉会

開催報告

 2017年6月24日、東京大学東洋文化研究所大会議室において、イスラーム・ジェンダー学科研公開シンポジウム「イスラモフォビアの時代とジェンダー」が開催された。これは科研二年目の全体集会も兼ねたものであり、当日は12名の登壇者に加えて、70名以上の参加者がえられた。

 宇野陽子氏の司会のもと、最初に科研代表の長沢栄治氏が開会の言葉を述べた。「イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究」と銘打つ本科研プロジェクトでは、「イスラーム」と「ジェンダー」のあいだの中黒(・)に何らかの言葉を入れることで、新しい研究の展望を切りひらいてきたが、今回ここに入るのは「差別」という言葉である。長沢氏は、「差別」をめぐる問題がイスラームに関わるものだけではないことを指摘しつつ「イスラーム」「差別」「ジェンダー」という問題設定を通して、どのような課題が浮かび上がり、また、それらの課題をいかに実践につなげていけるのか、と問題提起した。

 次に後藤絵美がシンポジウムの趣旨説明を行った。悪意や意図がなくとも、ふとした発言が「フォビア」をつくり出すきっかけとなったり、人々の小さな声や行動の一つ一つが、あるいは、報道という大きな声が、社会全体にフォビアを広げていったりする。後藤は、ディズニー映画『ズートピア』の一場面を例に挙げつつ、ある出来事や人々をどう表象し、表現するかは、常に悩ましく難しい問題であることを指摘した。本シンポジウムの趣旨は、第一部「イスラームをめぐる表現と報道」、第二部「イスラモフォビアとジェンダー」を通して、この表象や表現の問題について考えることにあった。

 第一部「イスラームをめぐる表現と報道」では、四つの報告が行われた。

 一つ目の報告はフォトジャーナリストの佐藤兼永氏によるものである。イスラームをめぐる報道の偏りに違和感を覚えた佐藤氏は、ムスリムの日常の姿を伝えるため、2001年以降、日本に暮らすムスリムの取材を始めた。公園で子供たちを遊ばせ、ママ友と談笑するヴェール姿の女性や、背広姿でお中元を手にあいさつ回りをする男性、学校で給食を食べたり、礼拝をしたりする子供たちなどの写真が紹介された。取材や出版に際して、イスラームやムスリムをどう描くのかという問いが常にあったという。佐藤氏は、伝統的解釈に依拠する多数派ムスリムだけでなく、独自のイスラーム解釈をもつ少数派も取り上げ、その考えや生活を表象する中でえられた迷いや葛藤、発見について、ジャーナリストならではの体験を伝えた。

 二つ目はドイツ映画研究者の渋谷哲也氏による報告である。渋谷氏は、ドイツにおいて「よそ者」としてのイスラーム(主にトルコ人ムスリム)が文化圏に入ってきた流れを、20世紀ドイツ映画史と絡めて紹介した。1950年代の経済復興期に増加した外国人労働者は、1960年代になって社会現象として認識され、1970年代には社会問題化した。当初「ゲストワーカー」であった移民が次第に定着し、家族を呼び寄せるようになると、1980年代からは移民の生活やアイデンティティが映画の中で表象されるようになった。1990年代以降には、トルコ移民2世の監督が現れ、社会の深刻な問題を娯楽映画やジャンル映画の形で表現し、ドイツの映像文化を新たに作り上げていった。渋谷氏は多くの映画を実例としてあげつつ、「移民」という言葉の定義の歴史性や揺らぎ、それが持つ問題点を指摘した。

 三つ目の報告では、「開発とジェンダー」研究を専門とする中村雪子氏が、インド映画(主にヒンディー娯楽大作)におけるムスリムとジェンダー/セクシュアリティの表象をめぐる研究動向を示した。インドにおいてムスリムは、最大の宗教的マイノリティであり、多数派ヒンドゥーにはしばしば脅威とみなされてきた。ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭、隣国パキスタンとの関係、イスラームをめぐるグローバルな状況が、1990年代末~2000年代以降の映画の中では、必ずしも明確な敵視や対立ではなく、二項対立的な「良い/悪い」(対インド国家)、そしてジェンダー化されたムスリム像として表れてきた。また近年は、抑圧と従属、「良き女性」の従来のイメージに抗する一見「新しい」ムスリム女性像も見られる。中村氏は、その身体表象について、ヒンドゥー至上主義言説強化、ヒンドゥー国家体制強化(対パキスタン)の動きが読み取れること、ムスリムに対する暴力の正当化につながっている点で、従来のムスリム女性表象と通底するとする研究を紹介した。

 最後の報告は、現代インドネシア研究を専門とする野中葉氏によるものである。野中氏は2010年代のインドネシアで見られた二つのミスコン開催問題を紹介した。世界的なミスコンであるミス・ワールドの2013年開催地にインドネシアが選ばれると、各種イスラーム組織や団体、公的機関から反対表明や抗議行動が起こった。一方、インドネシアでは2011年以来、「ムスリマ・ビューティー」というミスコンが毎年開催されている。これは「イスラームの美しさ」や「女性の真の価値」を基準にするものであったが、その賛否について意見が分かれていた。野中氏はこれら二つの事例を通して、「イスラーム」性の追求が過熱する現代インドネシアにおいて、それ以外の、非「イスラーム」的なものの拒絶が顕著となっていること、「イスラーム」的なものが決して一枚岩ではないことを論じた。

 休憩を挟んで第一部に関する質疑応答が行われた。

 その後、鳥山純子氏の司会により、第二部「イスラモフォビアとジェンダー」が始まった。

 第二部最初の報告者は、都市社会学者の森千香子氏であった(予定されていた齋藤剛氏は体調不良により欠席)。1990年代末から2000年代半ばにかけてパリ郊外の移民集住地域を調査した森氏は、ムスリムに対する差別が次第に強まっていたことを感じたという。報告では、「スカーフ論争」(公立学校でのヘッドスカーフ着用の是非に関する論争)を手がかりに、ムスリム女性の身体表象の変化を論じた。1950年代の移民第一世代である女性たちは、ヴェールに覆われた「見えない身体」の持ち主とみなされた。定住化が進むと、ジェンダー化された慣習の被害者、すなわち「哀れな身体」の持ち主となった。さらに、移民第二世代がフランス市民としての同等の権利を要求するようになると、「凶暴な身体」という表象があらわれた。スカーフ論争はこの流れに位置づけられるもので、ホームグロウン世代のムスリム女性へのバッシングであるという。森氏は、いずれの表象もレイシズムのあらわれであると述べるとともに、「凶暴な身体」への変化は、ムスリムと非ムスリムの格差の減少を示していると指摘した。

 続いて二名のコメンテーターが登壇した。

 一人目はジェンダー・セクシュアリティ研究を専門とする宇田川妙子氏である。宇田川氏は自身の調査地イタリアで、近年、移民に対する呼び名がそれぞれの出身地名から「ムスリム」という総称に変化しつつある状況に触れつつ、差別の前提に名づけや差異化の問題があることを指摘した。多数派が、ある人々を一定の言葉で呼ぶ。すると、そこに差異が生まれ、「多数派」と「少数派」の権力関係が生まれる。そうした状況を避けつつ、現代の複雑な状況を記述し、考察する方法はあるのか。宇田川氏は、差異化の際、しばしば女性が集団のシンボルとなり、少数派に位置づけられることを指摘するとともに、可視化しつつある多様な主体や立場を丁寧に解きほぐし、整理すること、そして全体の構造を明らかにすることが、研究者の役割であると提言した。

 次に林純子氏が、自身もムスリムである弁護士の立場からコメントを行った。林氏は、イスラームとムスリムを区別せずに語ろうとする人々が多いことを指摘し、後者(ムスリム)について、互いに共通点をもちつつも文化による思考や行動様式の違いが大きく、一括りにはできないと述べた。また、イスラームをめぐる摩擦は、現在の日本ではそれほど大きくないが、今後もそれを広げないための取り組みが必要であると指摘した。その一環として紹介されたのが、「ムスリムへの差別」についての情報の収集・共有の取り組みである。また、多数派も少数派も、多様性を受け入れ、互いを認め合い、自己の価値観を他者に押しつけないことが重要であると主張した。最後に、研究者の活動が社会の意識改革の起点となるとして、今後への期待が述べられた。

 以上の報告の後、第二部の質疑応答が行われ、最後に鷹木恵子氏が閉会の言葉を述べた。鷹木氏は、始動から一年と二カ月、イスラーム・ジェンダー学科研はさまざまな活動を行い、一定の成果を出してきたが、今回のシンポジウムはとくに意義深いものとなったと述べた。最後に鷹木氏は、イスラームやジェンダーに関心のある者が「差別」と出会った時にどう向き合うのかという問いを投げかけ、その答えの一つとして、初年度の国際シンポジウムで登壇したターリク・ラマダーン氏の言葉を借りつつ、無関心に「抵抗する」ことの重要性を指摘した。そして、今後も問題のある時は集まり、話し合い、解決策を模索することを提言した。

*  *  *

 趣旨説明で紹介した『ズートピア』では主人公が無意識のうちに差別を生み出していく様子が描かれていた。この「無意識」に加えて、鷹木氏が指摘した「無関心」、そしてもう一つ、「忘却」に抵抗することが、イスラモフォビアの時代に生きる私たちにとっての重要な課題ではないだろうか。そうした思いから(大変遅ればせながらも)本報告を執筆した。この小文が抵抗のための一つの声となることを願っている。

 専門分野や方法論の異なる人々が、イスラームとジェンダー、そして「差別」という共通の関心のもとに集まり、情報や意見を交換した今回のシンポジウムの中で、科研として、あるいは現代を生きる者として、向かうべき方向性が見えてきたようにも思われた。一方、現状の問題への解決策も結論もまだまだ得られていないことも明らかになった。今後も、さまざまなレベルでの取り組みが期待されている。

(報告執筆:2017年8月26日 後藤絵美)

託児について

託児所ご利用の方々からのご感想をいただいています。
イスラーム・ジェンダー科研では、シンポジウムや研究会に子連れで参加できるよう、これからもできる限り様々な試みを行ってまいります。

First of all when I came there I was nervous. But then I got used to it. I really had fun there with everyone. I had fun mostly in the games that we played together. I really want to go there again. They were so kind. I had lots of fun there!
(ベイザ・チャーラルさんのご感想)

 

 イスラーム・ジェンダー学科研では、平均して月に2回程度の研究会・シンポジウムが開催されています。さらに、他の研究会や学会大会などと合わせると、ほぼ毎週、興味深い研究発表がどこかで行われています。ところが、子育て中の身にとっては、自身の都合だけではなく子どもの預け先の問題や子どもの予定など幾多の障害をクリアして初めてそれらに参加が叶うのです。今回の公開シンポジウムでは、託児の専門業者の方2名のきめ細かな配慮のもとで子どもを見ていただけたので、安心して皆様の貴重な研究発表に集中することができました。
 シンポジウム開始から4時間以上、あたりもすっかり暗くなった頃、託児の部屋を訪れた私に子どもたちは見向きもせずに、ボードゲームに興じていました。息子を入れて小学生4人、後片付けを促す声に返事はしながらも、なかなか腰を上げず・・・そんな姿を見て、本当に楽しい時間を過ごさせていただいたのだと嬉しく思いました。
 小学生でも高学年になれば、2時間程度の研究会なら会場の片隅で本を読んだりして待っていることも可能ですが、それ以上の長時間になると、やはり別室で専門の方々がついてくださるのは大変助かりました。
 業者の方々にはもちろんのこと、準備に奔走してくださった事務局の皆様にも深く感謝申し上げます。
(小野仁美さんのご感想)