イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究

日本学術振興会科学研究費 基盤研究(A) 
研究代表者:長澤榮治  

「砂漠の探究者」を探して(アル=ニサーイーヤート勉強会)

研究会名 「砂漠の探究者」を探して(アル=ニサーイーヤート勉強会)
代表者岡真理(京都大学)(事務担当:後藤絵美) bahithat.women100◆gmail.com
◆を半角@に直してご利用ください
研究会の概要今からちょうど100年前に、エジプト社会における女性とジェンダーの問題を、 全身全霊を賭けて考えていたマラク・ヒフニー・ナースィフ(1886-1918、ペンネーム「砂漠の探究者」)。彼女の新聞コラムを集めた『アル=ニサーイーヤート』には、「ヒジャーブ」「一夫多妻」等、当時の「問題」に対する考え方が彼女自身の言葉で綴られていた。本研究会では、このマラクをはじめ、19世紀末から20世紀初頭のフェミニズム黎明期に、中東・イスラーム世界の各地で生きた女性たちの思想に着目し、100年後の現在と過去を自由に往還しながら、この100年という歳月のあいだに、《イスラーム》における女性とジェンダーをめぐって、何がどのように変わり、何が変わらなかったのかを考える。
代表者からのメッセージ出入り自由にしたいと思います。お気軽にご参加ください。
参加条件この時期に興味のある方であれば、言語や対象地域にかかわらず大歓迎です

次回の研究会

次回の開催は5月末~6月上旬を予定しております。詳細が決まり次第このサイトでお知らせいたします。


これまでの活動

第7回

  • 日時: 2018年3月10日(土)13:30-17:30(開場13:00)
  • 場所:東京大学 東洋文化研究所 3階 大会議室

【プログラム+開催報告】

13:30-15:00 読書会
ライラ・アハメド著、林正雄・岡真理他訳『イスラームにおける女性とジェンダー――近代論争の歴史的根源』法政大学出版局, 2000(Leila Ahmed, Women and Gender in Islam: Historical Roots of a Modern Debate, Yale University Press, 1992)。
  • 第3部「新たな言説」
  • 第9章 最初のフェミニスト、第10章 さまざまの声
    1. レジュメ担当:木原悠氏(お茶の水女子大学・院)
      コメント:後藤絵美(東京大学)

本研究会は20世紀初頭に女性やジェンダーを論じた人々に注目し、その著作や活動、生き様を知ることで、当時何が問題となっていたのか、その後100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのかを考えることを目指して開催されるものである。

前半部では、木原氏がライラ・アハメド著『イスラームにおける女性とジェンダー』の第9章「最初のフェミニスト」および第10章「さまざまな声」の内容を要約。エジプト近代史において「最初のフェミニスト」と称され精力的な執筆活動を行ったマラク・ヒフニー・ナースィフをはじめとする、女性の知的向上を目指すための組織設立など1930年代までに行われたさまざまな活動を取り上げた。その中で、中産階級の上および上流階級主導の社会の世俗化および西洋化を支持する方向性(ホダー・シャアラーウィー等)と、土地固有のイスラーム言説の中で女性の主体性を主張する方向性(ザイナブ・ガザーリー等)の2つに分かれたことを確認。ヴェール問題を巡っても、前者は「後進性の象徴」とみなし着用廃止を支持する一方、後者は「イスラーム社会で女性解放について語ること自体誤りだ」という立場を示した。他方ナースィフが、「ヴェールが自由の希求や知識追求の妨害要因とみなす西洋の考え方を鵜呑みにすることは賢明でない」としつつ、「ヴェールの議論よりも女性に教育を与え、女性達自身に国のための良いことを選択するのが重要」とする立場を示した点も確認した。

その上で木原氏は、(1)シャアラーウィーが、ヴェールを「後進性の象徴」とみなす仏人フェミニストのユージェニー・ルブランに影響を受けたが、フェミニズム思想の内部で欧州人とエジプト人の女性の差別化が図られていたのか、また(2)エジプトのフェミニズムが中流の上および上流階級の出身者に主導されたとしたら、それに当てはまらない中流以下や非ムスリムの立場はどのようなものであったのかという疑問点を提示した。

これに対し、コメンテーターの後藤氏は、まず1826年の男子学生の仏留学から始まるエジプト近代におけるジェンダーの歴史を年表で示した。1900年のカーシム・アミーンの『女性の解放』出版以前にも1890年代にシリア地方キリスト教徒出身者による女性雑誌の刊行が存在したこと、1908年のエジプト大学設立にともなう女学生の教育参加、その後の複数のイデオロギー潮流に分化した問題について指摘。その上でナースィフが、宗教的、民族的にも極端な立場に固執することなく、「自身の観察と経験、そして多種多様な女性たちの経験から判断する」という経験主義的、実践主義的な姿勢を貫いた点で、後世の研究者の研究意欲をかき立てる魅力的な思想家であったと、後藤氏は強調した。

以上の発表を踏まえ、研究会出席者の間で百家争鳴の議論が繰り広げられた。とりわけ、(1)フェミニズムという言葉は英国でも1910年代に使われた始めたが、アラビア語でどのように使われ始めたのかという問題、(2)単線的な進歩主義史観が西洋のフェミニストと西洋化志向のエジプト人エリート女性に共有され、オリエンタリズム的な言説が再生産される一方、イスラーム的な価値体系を内面化している多数の人々が対抗言説を求めるようになるといった問題、それに関連して(3)イスラームを生の規範としている女性に対する押しつけの「解放」が抱えている諸課題、(4)ナースィフが全てのイスラームの枠組みで捉えるのではなく、家父長制をそれ固有の問題として分析しようとした点、(5)当時のフェミニズム思想が、いずれのイデオロギー的潮流にあろうとも、反植民地主義という精神基盤を共有していた点、(6)女性解放論が「良妻賢母論」に還元されてしまったのか否かという問題、(7)家父長制はイスラーム以前に遡るものであるが、クルアーン成立あるいはその後のイスラームの歴史の中で、男尊女卑的な教説や慣習として規範化されていったという問題、(8)『イスラームにおける女性とジェンダー』の作者アハメドが、20世紀以降の言説分析については近代主義的な立場を示すようになった点、それに関連して(9)アハメドが同著で設定した諸論客への理解が、後続の研究に無批判に引き継がれ、諸論客の原著との直接的な対話なしに議論されているといった問題が取り上げられた。

(報告:岡崎弘樹[中部大学])

15:30-17:00 報告
  • 松尾有里子氏(東京大学)「オスマン帝国近代の女性雑誌―投稿欄に見る読者層の変遷―」
    1. コメント:山﨑和美氏(横浜市立大学)

アブデュルハミト2世時代(1876 - 1909)に出版された複数の女性誌の投稿欄を紹介し、その内容から読者層を分析し彼女たちがどのような目的でこの欄を利用していたのかを考えます。

後半部では松尾氏がオスマン帝国近代(アブデュルハミト2世時代、1876-1909)の女性雑誌の投稿欄や読者層に関する分析報告を行った。アブデュルハミト2世期は専制政治時代として知られているが、政治的言論には厳しい検閲が強いられた一方で、新聞・雑誌類の創刊が相次ぎ、言論・出版は活発化した。1859年にイスタンブルで女子中学校が開設された後、1868年には『婦人版進歩』が創刊され、都市部のムスリム女性が匿名で投稿し、家庭教育の重要性を説くと共に、潜在的な女性読者層との交流が観察された。その後、婦人向け雑誌・新聞は、1880年に『家族』、1887年に『花園』、1895年に『婦人専門新聞』と紆余曲折を経ながらも発展し、女性の教育や知識向上に貢献した。特に『婦人専門新聞』は、政府広報や慈善活動に加え、連載小説や詩といった文学、小話やパズルといった娯楽、健康・衛生問題、一般ニュースやファッションにいたるまで幅広い話題を提供。また米国の女子高生の将来進路希望についても紹介し、良妻賢母論ではなく未だ実現されない女子高等教育に必要性をも説いた。その上で、松尾氏は、こうした新聞・雑誌が「編集者、読者の双方が参加する新たな言論と知識・情報の共有の場を提供」し、「女性相互の連帯を促す結節点」となったと強調した。

これに対し、コメンテーターの山崎氏は、イランでは19世紀前半にごく少数の女性による執筆活動が始まったが、エリート層主導の女性団体設立や女性誌の発行は1900年代後半になってやっと活発化したと指摘。さらに1920年代にレザー・シャー体制がトルコのアタトゥルク改革を模倣し、教育・司法分野などの領域で世俗化を図ったが、シーア派ウラマー勢力の強固な反対により、世俗化は徹底されなかった。カージャール朝の置かれた地政学的な状況や、オスマン帝国やエジプトと比べて停滞気味であった経済発展、政府の権威や統率力の低さといった複数の要因により、イランの女性解放運動はトルコのそれに比べて40年ほど遅れていた点を、山崎氏は強調した。

これを受け、研究会参加者の間では、特にオスマン・トルコやエジプト、イランの女性解放運動が西洋との垂直的な関係性の中で活発化した一方、同じイスラーム諸国間の地域的、水平的な連帯として盛り上がることはなかった点について考察された。少なくとも立憲主義や議会主義といった男性主導による政治改革論や政治ジャーナリズムにおいてはトルコとエジプト、イランの間での「時差」は10年程度で小さかったにもかかわらず、何故女性解放運動の場合は、これら地域間で時差が開いたのか。これについては今後も議論の焦点とすることが確認された。

包括的な展望を示している『イスラームにおける女性とジェンダー』を題材に、各専門家による自由闊達な議論が行われ、刺激的な一日であった。とはいえ、今回登場したアラブの初期フェミニストについて、彼女ら自身の言葉がさほど引用されることはなかったようにも思えた。今後は原著との格闘の中で、和解と矛盾に満ちた彼女らの生々しい思考の軌跡を明らかにし、研究を蓄積していく必要性も感じた。

(報告:岡崎弘樹[中部大学])

17:00-17:30
  • 今後の活動内容と出版物について

本研究会は以下との共催によって開催されました。

  • 科研基盤C「近代イランにおける女性教育の推進:イスラームと西洋近代の相克」(代表:山﨑和美)
  • 科研基盤C「オスマン帝国近世~近代における社会変容とイスラム知識人(ウラマー)名望家層の成立」(代表:松尾有里子)

第6回

  • 日時: 2017年12月3日(日) 13:00 - 17:00 (開場12:30)
  • 場所:東京大学 東洋文化研究所 3階 大会議室

【プログラム/開催報告】

 
13:00-14:30 読書会
ライラ・アハメド著、林正雄・岡真理他訳『イスラームにおける女性とジェンダー――近代論争の歴史的根源』法政大学出版局, 2000(Leila Ahmed, Women and Gender in Islam: Historical Roots of a Modern Debate, Yale University Press, 1992)。
  • 第3部「新たな言説」
  • 第7章 社会的変化と知的変化、第8章 ヴェールに関する言説
    1. レジュメ担当:賀川恵理香氏(京都大学・院)
      コメント:飯塚正人氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

 本研究会は20世紀初頭に女性やジェンダーを論じた人々に注目し、その著作や活動、生き様を知ることで、当時何が問題となっていたのか、その後100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのかを考えることを目指して開催されるものである。前回に引き続き、前半には、ライラ・アハメド著『イスラームにおける女性とジェンダー』(2000年出版の邦訳版)の読書会を行なった。

 今回の題材は第3部「新たな言説」第7章社会変化と知的変化および第8章ヴェールに関する言説である。レジュメ作成を賀川(本文執筆者)が担当し、コメントを飯塚氏よりいただいた。

 第7章においては、19世紀全体で中東社会に起こった諸々の変化がエジプトの女性にどのような変化を与えたか、そしてその過程でエジプトの女性に関してどのような新しい言説が生まれたかが述べられており、続く第8章では、1899年にカーシム・アミーンによって著された『女性の解放』を題材に、当時のエジプト社会において階級摩擦や文化摩擦とともにジェンダーをコード化する言説が生み出されていった過程が描かれている。ここでアハメドは、ヨーロッパの植民地支配を正当化するために生み出された植民地主義的言説こそが、アミーンの本の底流を形成していたものであるとして、本著を痛烈に批判している。コメントにおいて賀川は、第7章、第8章において「本質的」という語が繰り返し用いられていることに着目し、その語に込められた特別な意味を問うた。

 コメンテーターの飯塚氏からは、19世紀、20世紀に中東社会内部で起こったIslamic Reformismについての解説があった。ヨーロッパの圧倒的な力に直面した当時のムスリム社会には、もはやイスラームなど時代遅れと考え、そこから脱却しようとするSecular Nationalism、本来のイスラームは理性と科学の精神を重んずると信じて、それを復興しようとするModernism、西洋かぶれを批判してイスラームの原点に立ち返ろうとするFundamentalismの三つの立場が存在したという。飯塚氏はアミーンの内部でSecular NationalismとModernismの思想が混同して存在していることを指摘したうえで、アミーンの師匠であり、当時の偉大な知識人であったムハンマド・アブドゥによる「真の西洋近代文明はイスラームと矛盾しない」という考えが、一部の弟子へと伝播するうちに「真のイスラームは西洋近代文明と矛盾しない」というものに書き換えられてしまった過去を示した。

 コメントではまた、アミーンの著作に関するアハメドの曲解が指摘され、本著の解釈の幅が提示された。飯塚氏によると、本著におけるアミーン本人の執筆個所を同定するのは極めて困難であるという。これに関して、後藤絵美氏よりさらなるコメントがあった。後藤氏は、アハメドによってアミーンが、「フランスで教育を受け」た者や「ムスリム社会の本来的後進性を認めている者」として描かれていることに疑問を呈した。とくに後者について、アミーンは本来的にムスリムが劣っているなどとは述べておらず、「現状における」文明・社会のヒエラルキーについて語っていたのではないかと主張した。

 以上の報告およびコメントを受け、オーディエンスの中では、アミーンが自著の中で用いている「ヒジャーブ」、「教育」などの語に関するアハメドの解釈をめぐって議論が展開された。(報告:賀川恵理香 京都大学・院)

14:50-16:10 報告
  • 野中葉氏(慶応義塾大学)「20世紀初頭の蘭領東インドの女性雑誌」
    1. コメント:坂元ひろ子氏(一橋大学名誉教授、中国哲学)

20世紀初頭、オランダの植民地下におかれた蘭領東インド(現インドネシア)で発行された女性向け雑誌「Putri Hindia(東インドの女性)」と「Putri Mardika(独立した女性)」を取り上げ、一部の記事を紹介しながら、当時の言論空間における女性に関する議論を考察します。

 研究会後半では20世紀初頭の蘭領東インド(現インドネシア)の女性雑誌について野中氏に、同時期に中国で刊行された女性雑誌および他のアジア地域との比較から坂元氏よりコメントをいただいた。

 17世紀のオランダ東インド会社創設に端を発し、宗主国オランダの植民地統治下にあった19世紀末の東インド(現インドネシア)は、それまでの経済至上政策から「倫理政策」へ転向を見せはじめた。こうした背景にあって、土着の権威は失墜し白人を頂点に据え置く「植民地の平和」とよばれる秩序がもたらされた。特筆すべきは、男性と同等の権利を追求するヨーロッパでの女性解放運動に比して、東インドでは当時の家族システムの中で制限されてきた社会的活動のさらなる獲得を追求する動きがみられたことである。

 野中氏は東インドで刊行された初の女性雑誌『プトリ・ヒンディア(Putri Hindia:東インドの女性)』(以下PH)(1908-1912)と『プトリ・マルディカ(Putri Mardika:独立した女性)』(以下PM)(1914-1917)を取りあげた。

 「東インドの妻のための新聞と広告」をキャッチコピーに掲げたPHは、現地民男性二人が編集代表を務めたものの、実際に記事の編集に携わっていたのは現地民女性たちだった。内容は、家事についてのハウツウ記事、子育て、夫への忠誠心の強調などに特徴を持ち、総じて既婚女性を対象とした理想的な家庭の構築に主眼が置かれた。

 対照的にPMは東インド初の民族団体の支援の下結成された女性組織「プトリ・マルディカ」の機関誌であり、男性と女性の記者が執筆した。本誌の性格を読み解く上で重要なキーワードは「変化(perubahan)」と「進歩(kemajuan)」であるという。この二点を掲げて従来の東インドにおける慣習の打開が目指された。

 両誌の比較から明らかになったことは、まず、教育の重要性である。PHでは将来の国を担う子どもを育むため女性への教育が重要視されたが、PMにおいて教育は女性自身の社会進出の手段とみなされていた。男女関係についていえば、PHは家父長的であり、女性を、夫を支えるべき存在に定置したのに対してPMはあくまで男女間の平等を強調し女性の社会進出や一夫多妻の否定など革新的な主張をした。ヨーロッパの国々を手本とすることに対して、PHでは一貫して宗主国オランダを称賛し「西欧化」を高らかに謳いあげたが、PMは日本やトルコも視野に入れた「近代化」を論じた。

 これら女性雑誌が刊行されたのはオランダ支配下の多様な言語文化を結びつけたムラユ語の言語空間においてであり、その根底には男性のイニシアチブや支援があった。

 続いてコメンテーターの坂元氏は中国最初期の女性雑誌およびベトナムとインドネシアでのジェンダーに関わる状況について報告した。19世紀末、日清戦争の敗北を機に清朝では政治革命運動が起こった。運動そのものは短期に終わったものの、その影響は雑誌メディアの普及に大きく貢献した。 

 この時期に刊行された雑誌をいくつか辿ると、その初めには『女学報』(1898)がある。本誌は改革派の妻や娘たちが中心になって出版され、女子教育の要求を中心に変法運動の宣伝や女性の地位の向上などが示された。背景には国家の富強化を志向した、改革派の男性たちの思想があった。加えて『女子世界』(1904)はほとんど男性が執筆したが、ここでは女性を「国民の母」に定置、強壮な身体をもつ国民を生産するため女性の纏足を否定した。20世紀になると、『女報』(1899改め『女学報』)以来女性の側からも声があがりはじめた。とりわけ注目に値するのが、女性が女性のために出版した雑誌『天義』『中国新女界』『中国女報』が1907年に同時に出版されたことである。清朝の最末期になると『図画日報』(1909-1910)が出版され、特に纏足を解くことが「進化」の流れの中に位置づけられた。1912年中華民国の建国後、女性雑誌として最長の『婦女雑誌』(1915-1931)が出版されたが、ここには「語る男性」と「語られる女性」の乖離がみられた。一連の女性雑誌で共通して取りあげられたのは、女性の教育と纏足の廃止に関する議論である。

 中国と東インドと比較してみると、どちらも女性を「国民の母」に位置づけたにもかかわらず、前者では「家」を存続させる存在として「母」の地位が高かったのに比べ、後者では「母」そのものの地位は重んじられなかった。

 以上の報告より展開された議論は次の通りである。

 まず、中国での纏足の議論とイスラーム世界のヴェールに関する議論がパラレルの関係にある点である。纏足は実際に生身の肉体に加工するため単純にヴェールと同一視することはできないものの、ヴェールにせよ纏足にせよ、それをする・しないの議論は初め男性からなされるが、のちに女性自身が議論を展開するようになる。20世紀、社会的なダーウィニズムの隆盛が纏足など女性の身体の解放に影響している可能性も示唆された。

 また、東インドと中国で共通して議論された女性に対する教育の議論においては、それが「国民の母」に結びつけられたとき、「教育」ではなく「徳育」とよばれた点に注目し、ナショナルな問題と女性に対する教育が明確に区別されていたことがうかがえる。

 最後に本報告とこれまでの研究会での議論とをあわせて考察し、西洋列強の植民地支配下に置かれたエジプトおよびインドネシア(東インド)と、完全な植民地化がなされなかった中国との比較も有効ではないかとの指摘が挙がった。近代以降、非西洋世界が「近代化」にとりこまれていく時期の、西洋との「距離」に注目した新たな視点が提案された。

(報告:木原悠 お茶の水女子大学・院)

16:20-17:00 ミニ報告
  • 松尾有里子氏(東京大学)「オスマン帝国近代の女性雑誌―投稿欄に見る読者層の変遷―」

アブデュルハミト2世時代(1876 - 1909)に出版されたいくつかの女性誌の投稿欄を紹介し、その内容から読者層を分析し彼女たちがどのような目的でこの欄を利用していたのかを考えます。

 読書会はいよいよ近代の部分を迎え佳境に入った。また報告を含め、植民地支配の問題や女性身体の「解放」の問題が論点の一つとなり、25人ほどの参加者とともに議論は大いに盛り上った。次回はいよいよアハメド本の読書会最終回である。「100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのか」という答えは見えてくるのだろうか。次回も楽しみである。(報告まとめ:後藤絵美)

※ミニ報告 松尾有里子氏(東京大学)「オスマン帝国近代の女性雑誌―投稿欄に見る読者層の変遷―」は次回に順延させていただきました。第7回にご報告いただく予定です。

   

第5回

  • 日時: 2017年10月8日(日) 13:00 - 17:00 (開場12:30)
  • 場所:東京大学 東洋文化研究所 3階 大会議室

【プログラム/開催報告】

 
13:00-14:30 読書会
ライラ・アハメド著、林正雄・岡真理他訳『イスラームにおける女性とジェンダー――近代論争の歴史的根源』法政大学出版局, 2000(Leila Ahmed, Women and Gender in Islam: Historical Roots of a Modern Debate, Yale University Press, 1992)。
  • 第2部「基礎となる言説」
  • 第5章 入念な言説構築、第6章 中世イスラーム
    1. レジュメ担当:木原悠(お茶の水女子大学・院)
      コメント:澤井真(学振特別研究員PD・京都大学)

 第5章「入念な言説構築」は、イスラーム法にアッバース朝期の女性蔑視の見方が大きく反映されていることを指摘するものであった。それはクルアーンを解釈することでイスラーム法が成立してきたからであるという。ここから解釈が重要な役割を果たしたことがわかる。第6章「中世イスラーム」は15~19世紀初めのエジプト、トルコ、シリアにみる女性の経済との関わりおよび女性の生活について検討するものであった。  木原は、クルアーンの解釈にアッバース朝の支配的なイデオロギーが大きく反映された点を挙げ、イスラーム法においてはどこまでクルアーンの影響力を考慮したらよいのかと疑問を投げかけた。

 コメンテーターの澤井氏は「クルアーンの解釈」と「スーフィー」の観点からコメントを述べた。前者については、神聖視されているクルアーンそのものも解釈行為の賜物であるという見解があることを指摘した。ネルデケ(Theodor Noldeke, 1836-1930)以来「クルアーン研究」としてコーランそれ自体が研究対象にあるという。「クルアーン研究」はクルアーンが聖典として成立した過程を追う研究だが、これについてはムスリム側からの批判が挙がるという現状もある。後者については、アッタール(Farid al-Din Muhammad ‘Attar, 1140頃-1221頃)の史料をひきつつ、スーフィーの思想では男と女の区別さえも超越し、男女の同権ではなく同一性に注目する見方があることを説示した。このスーフィーの「知」が、当時の支配的なイデオロギーに対峙することを支えたのであるという。

 加えて、三浦氏がイスラーム法の構造と、奴隷と結婚、経済的地位の視点からイスラーム社会と女性の関わりについて解説を行った。本書でアハメドはスンナ派四大法学派の共通点や差異の存在を述べているが、むしろここでは「義務(wajib)」と「禁止(haram)」の間にある「推奨」「禁止すべき」「どちらでもない」の三段階の存在がもたらす曖昧さを指摘するべきであるという。イスラーム法では、法と人間の行動のどちらにも柔軟性があるため、規範と実態に大きな差異が生じている。また、イスラーム法における結婚(婚姻)は有償契約で、男性が女性を扶養する対価として、女性は男性に性交渉を提供するシステムである。(この点は、アハメドは不明瞭な記述をしている。)女性は慣例的に公共の場での労働から遠ざけられる傾向にあり、それが女性の専門的なサービス労働に結びついているとみる。ただし、単純に女性の就労の場の乏しさを批判するのではなく、時代背景を含めて慎重に議論しなければならない。女性に関する史資料は皆無ではないものの、総じてイスラム法廷文書など行政記録での記載がほとんどである。三浦氏は最後に、イスラーム社会を分析するにあたり東アジアのような身分制を敷かなかった社会との比較が有用なのではと提言した。

 以上の報告およびコメントを受け、特に活発な議論がなされたのはクルアーンの解釈に関する問題である。そもそも「イスラーム研究」は「クルアーンを信仰する世界」を対象に行われるので、従来の「クルアーン研究」とは全く視点が異なる。本書内でのアハメドの議論には「イスラーム研究」と「クルアーン研究」との混同がみられるが、両者は明確に区別すべきではないか。さもなければ、「イスラーム研究」の前提が揺らぐことにつながるだろうという指摘が聞かれた。

 本書では、今後、本来イスラームは男女平等を説いているにも関わらず、各時代の社会的な解釈によりそれが歪められてきたのだ、と議論が展開していくと予想される。しかし、果たしてアハメドの主張は本書を通じて一貫しているのだろうか。本読書会の展望として、通読後に総括して検討すべきとの提案が挙がった。(報告:木原悠 お茶の水女子大学・院)

14:50-16:10 報告
  • 『マリアの洞窟』をめぐって
    1. コメント:岡真理(京都大学)

 研究会後半では、パレスチナの女性監督であるブサイナ・ホーリー氏のドキュメンタリー作品『マリアの洞窟』(2007年、アラビア語音声・英語字幕、52分)を鑑賞し、女性の身に起こる名誉殺人の問題について考察・議論した。

 映画鑑賞の導入として、岡真理氏がブサイナ・ホーリー監督の他の作品や、名誉殺人を扱った映画作品や書籍の概要について紹介した。

 『マリアの洞窟』はパレスチナの名誉殺人を巡る4つの事例が交錯する構成で、占領下でのパレスチナにおいて、ジェンダーの問題を通しながら解放闘争も描いているという。岡氏はブサイナ・ホーリー氏の『Women in Struggle』(2004年)やミシェル・クレイフィ(パレスチナ人映画監督)の作品を例示しながら、パレスチナの民族解放運動は女性の解放なしになされるべきではないとの見解を述べた。

 続く議論では、様々な地域の事例についての話題が提供された。まずトルコについて、近年、同性愛者の男性に対する名誉殺人が初めて公になったことが紹介された。またケマル・アタチュルクの女性養子が空爆作戦に向かう際にアタチュルクに投げかけられた言葉が紹介され、女性が民族の名誉として形象化されていたという見解が述べられた。これに対し岡氏からは家族の名誉もかなり比重が大きいのではないか、とのコメントがあった。  イランについては、女性雑誌で名誉殺人が扱われていた事案や小説の中に出てくる例が紹介された。また、イランのメンタリティにおいては、名誉殺人よりも被害に遭った人の身内による復讐のほうが多いのではないのかとの意見も述べられた。

 またチュニジアについて、アラブの春の政変後、イスラーム主義が到来したために名誉殺人やセックスジハードの文化がもたらされたという偏った文脈の報道がなされ、話題になったことも指摘された。

 このように多地域の事例を挙げていく中で、名誉殺人は移動がある場所で起こりやすいという性質が指摘された。それは農村部の伝統的価値観を持ったまま都市部に移動し、慣習をそのままにしていたために起きる事例が多く、国内の都市部に移動した人々や、移民の人々の身に起こるというのである。

 また、アラブ地域では名誉殺人が必ずしも顕著でないという特徴が挙げられ、その中でパレスチナが一番多く、多妻制や家父長制が色濃く残っているという指摘も聞かれた。これはイスラエルによる占領やそれに対する民族解放運動という事態により、保守的な制度が持続しているからであるという。この問題は女性だけでなく、男性の在り方の問題にも波及している、とも指摘された。これに関連して、アルジェリアもまた、フランスに対する解放闘争の中で女性についての価値観に関して保守的になっているという共通点が確認された。

 また「名誉殺人」を「フェミサイド」という言葉遣いに変えようとしている動きがあり、この話題に関して、周囲の一定の理解や同情を得ることができる点で「名誉殺人」は日本における「一家心中」のようなニュアンスがあることが議論された。

 この映画鑑賞から多くの議論がわき起こったが、パレスチナに於いては民族解放闘争と名誉殺人が複雑に絡み合っており、土着の規範は政府には簡単に変えられないという現実が確認された。また、イスラーム法ではニイヤ主義という意図や目的を優先するという原則があること、殺人と名誉どちらが目的なのかを判断することが困難だという宗教的背景についても共有された。(報告:木下実紀 大阪大学・院)

16:20-17:00 ミニ報告
  • 「補足イラン最初期の婦人雑誌」 山﨑和美(横浜市立大学)

 前回の報告に引き続き、山﨑氏がイランの初期婦人雑誌について情報を提供してくださった。今回は前回の補足情報として婦人雑誌『ダーネシュ』と『ショクーフェ』の価格、創刊目的、内容の三つの観点からの報告であった。

 まず価格の観点からは、テヘラン、他の州、そして外国における年間購読料を比較し、当時の仏フランや日本円での価値が明らかになった。

 次に創刊目的の観点からは、立憲革命時代において様々な人々が意見を表明していた背景の中で二つの雑誌が共に家庭に関する知識を共有し、女子教育を推進するためのものであったという共通点や連続性が見出された。  内容に関しては、先に刊行された『ダーネシュ』は、特に近代的科学に基づき、保健衛生や育児の面から良き母・良き妻としてどのように振る舞うべきかに焦点が当てられていた。そして後に刊行された『ショクーフェ』は同じく女性教育の推進という目的が当初挙げられていたが、年々女性の権利に関する論調が強くなり、また政治色も強くなっていったという傾向があることが明らかになった。また、山﨑氏によるとこの『ショクーフェ』の発行者は女子学校の創設者であることも関係し、当時のテヘランにあった女子学校と政府との仲介役を果たしていたという役割が大きかったという指摘がなされた。

 本報告では『ダーネシュ』と『ショクーフェ』の二つの婦人雑誌についての詳細が明らかになったが、特に価格についての疑問が残った。すなわち当時の価格は現在の価格で換算するとどの程度になるのかというものである。当時の公定価格に対する信憑性なども踏まえて、今後の研究に期待がかかる。(報告:木下実紀)

 今回も、20人ほどの参加者とともにさまざまな議論が交わされた。「イスラーム研究」と「クルアーン研究」の重なりとずれについて、スーフィズムからの女性の捉え方について、「名誉殺人」と呼ばれる現象のバリエーションと特徴について、そして、モノとしての雑誌の広がりや受容について。いずれも、広い視野からの深い議論が行われ、密度の濃い時間を過ごすことができた。次回以降の展開がますます楽しみである。(報告まとめ:後藤絵美 東京大学)  
 

第4回

 
13:00-14:30 読書会
ライラ・アハメド著、林正雄・岡真理他訳『イスラームにおける女性とジェンダー――近代論争の歴史的根源』法政大学出版局, 2000(Leila Ahmed, Women and Gender in Islam: Historical Roots of a Modern Debate, Yale University Press, 1992)。
  • 第2部「基礎となる言説」
  • 第3章 女性とイスラームの勃興、第4章 過渡期
    1. レジュメ担当:保井啓志(東京大学・院、学振特別研究員DC)
      コメント:亀谷学(弘前大学)

前回に引き続き、ライラ・アハメド著『イスラームにおける女性とジェンダー』(2000年出版の邦訳版)の読書会を行なった。

今回は第2部「基礎となる言説」第3章 女性とイスラームの勃興、第4章 過渡期を対象とし、レジュメ作成、コメントをそれぞれ保井氏と亀谷氏にご担当いただいた。

保井氏によると、第3章、第4章においてはそれぞれ、イスラーム化する以前(ジャーヒリーヤ時代)から、社会がイスラーム化してゆく過程で、女性の地位や結婚制度にどのような変化が起こったか、そしてイスラーム定着から100年が経過した社会、特にアッバース朝のヘゲモニーに至るまでに、社会のジェンダー秩序がどのように変化したかが述べられている。

各章の要約を行ったあと、保井氏は、アハメドが「女性の主体性の存在があったかどうか」という点をもって社会の女性に対する寛容性を判断していることを指摘し、「イスラームが女性差別的であるか」という宗教そのものを論じるのではない、当時の女性の生き様に着目してイスラームを論じるその姿勢に賛同する旨を述べた。

しかし同時に保井氏は、セクシュアリティを専門とする立場から、本書に通底している異性愛主義に異議を唱え、従来の中東研究における男性中心主義的な歴史記述に不満を覚えるアハメドですらも、その記述においては一貫して同性愛女性が不可視化されていることを指摘した。この論点を受け、オーディエンスのなかでイスラーム研究における同性愛の扱いに関する議論が沸き起こった。

コメンテーターの亀谷氏からは、初期イスラーム時代史におけるジェンダーについての歴史学的分析についての解説があった。イスラームの勃興が女性の地位に与えたインパクトについては、肯定的、否定的、無影響という三つの見方があり、アハメドはこれらを並列的に描きながらも、アッバース朝期の女性の地位の変化に関しては、ペルシア的伝統の影響として、一貫して否定的な見方を示しているという。

これに対して亀谷氏は、サーサーン朝期における女性の為政者の存在を示す資料から、アッバース朝期における女性を取り巻く状況の悪化の原因を一枚岩的にペルシア的伝統とすることに異議を唱えた。

コメントではまた、アハメドが初期イスラーム時代の女性について議論する際、言説構築に関する議論と歴史的事実に関する議論の区別が曖昧となっていることが指摘された。亀谷氏によると、初期イスラーム時代史の研究においては、言説構築の分析が主流となっていく一方、実態の方がブラックボックス化されていく傾向があるという。

以上の議論を踏まえて最後に、当時の女性の状況についての「事実」を議論するうえで、アラビア語文書資料が手がかりを与えうるかもしれないという示唆がなされた。

(報告:賀川恵理香 京都大学・院)

 
14:50-16:10 報告
  • 山﨑和美(横浜市立大学)「イラン最初期の婦人雑誌:1910~20年代における女性教育との関わりから」
    1. コメント:山口みどり(大東文化大学)

本報告およびコメントでは、前回行われたエジプトと日本における女性雑誌の比較に引き続き、20世紀初頭のイランと19世紀イギリスを対象に当時の女性雑誌とその社会的な役割を紹介していただいた。

報告者の山﨑氏によれば19世紀後半から「近代化」の波をうけたイランでは、20世紀初頭に女性教育推進の機運が高まっていた。それを担ったのは「エリート女性」であり、具体的には「女性知識人」「女性教育家」「女性活動家」「フェミニスト」だった。彼女たちの活動は女性団体の設立および婦人雑誌の創刊、私立女性学校の設立と連動して行われ、それらが教育推進と慈善活動と結びついていったことに特徴がある。

「エリート女性」たちは女子教育の必要性を主張するため、次の三点の議論を展開し戦略とした。まず、イスラームおよび道徳的見地からの合理化を主張し、保守層からの反発を回避した。また、欧米由来の近代的な衛生学・家政学を養成し、イランの進歩・発展に関心をもつエリート層の支持を集めた。さらに、母・妻の役割を祖国の進歩・発展と結び付けることでナショナリズムに訴え、広範な支持を集めたのである。こうして「近代的」な理想的女性像を掲げ、彼女たちは女子教育の必要性を訴えていった。時代の潮流に乗って、イラン国内では婦人雑誌の刊行が増加していったことが確認された。

コメンテーターの山口氏からは19世紀になって飛躍的に向上した識字率を背景に出版された女性雑誌・少女雑誌についてコメントをいただいた。なかでも、女性雑誌English Woman’s Journal (1858-64)およびVictoria Magazine (1863-80)、少女雑誌Girl’s Own Paper (1880-1956) およびThe Monthly Packet of Evening Readings for Younger Members of the English Church (1851-1899) を取りあげ、これらの発行部数、値段、内容、頒布数などを確認した。

特に注目すべきは少女雑誌が果たした役割である。保守的な少女雑誌Monthly Packet誌においても、読書案内やエッセイコンテストといった知的刺激によって次第に読者が「覚醒」し、1890年代には誌上で行われた女性参政権をめぐる議論では、議論参加者の大半が参政権に賛成の立場をとった。このように読者が思わぬ方向に育ったことから、少女雑誌が「新しい女性」を生みだす役割を果たしていたといえるだろう。

以上を比較してみると、特に内容面において、識字教育・母乳教育(乳児期の子どもは乳母ではなく母親の母乳で育てるべきであるという思想)の必要性については、時期には違いがある(イギリスでは主に18世紀)が、イランとイギリスの女性雑誌で共通して主張されていることが明らかになった。これらの主張がなされた理由については各々の社会的・文化的な背景を考慮したうえで検討する必要があるだろう。加えて、「婦人雑誌」と「女性雑誌」の語義規定や使いわけについては慎重に検討する必要性を確認した。

(報告:木原悠 お茶の水大学・院)

 
16:20-17:00 ミニ報告
  • 宇野陽子(東京大学)「『男性の世界(Erkekler Dunyasi)』を探してみたら」

本報告は1914年に創刊された女性雑誌『男性の世界 Erkekler Dunyasi』についての概要および研究の展望に関するものである。

報告者の宇野氏によれば、本雑誌はルファト・メヴラーンザーデが編集した女性雑誌で、女性問題を男性の責任とし、当時のトルコでは珍しい男女の恋愛ベースの家庭生活を理想に掲げていたところに特徴があるという。編者メヴラーンザーデの妻はヌリイェ・ウルヴィイェであることから、『女性の世界』(ヌリイェ・ウルヴィイェ編。前回チャーラル氏の発表において取りあげられた)と『男性の世界』は姉妹誌の関係にあたると推察される。しかし、メヴラーンザーデ自身はクルド人自由主義者ゆえに長きにわたり追放生活を送っており、本誌もまた、創刊号のみで終わっている。

この度の報告では『男性の世界』そのものに加えて編者メヴラーンザーデの特異な経歴が明らかになった。彼について注目することで新たな疑問も浮かび上がってきた。すなわち、女性雑誌を刊行するに至るその背景とは何であったのか、彼の人生においてフェミニズムとの出会いはどこだったのか、もし彼が追放生活を送っていなかったならば、本誌に次号は存在したのだろうか、等である。これらの観点もふまえつつ、今後のさらなる考究が待たれる。

(報告:木原悠)

 

今回も岡真理隊長を筆頭に23人ほどの参加者を得られました。今回から参加者の皆さんに報告の執筆をお願いすることにしました。賀川さん、木原さん、ありがとうございました。第四回研究会は、初期イスラーム史の研究状況からイギリスの少女雑誌の内容まで、普段は一つの研究会では決して聞くことがないような幅広い話題について情報を交換したり、議論したりで、本当に楽しい会でした。今後も多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

(報告まとめ:後藤絵美 東京大学)

※共催:科研基盤C「近代イランにおける女性教育の推進:イスラームと西洋近代の相克」(代表:山﨑和美)

 

第3回

  • 日時: 2017年4月22日(土) 13:00-17:00
  • 場所:東京大学 東洋文化研究所 大会議室
13:00-14:30 読書会
ライラ・アハメド著、林正雄・岡真理他訳『イスラームにおける女性とジェンダー――近代論争の歴史的根源』法政大学出版局, 2000(Leila Ahmed, Women and Gender in Islam: Historical Roots of a Modern Debate, Yale University Press, 1992)。
  • 第1部「イスラーム以前の中東」
  • 第1章 メソポタミア、第2章 地中海地域の中東世界
    1. レジュメ担当:木下実紀(大阪大学・院)
      コメント:小泉龍人(東京大学)

 『イスラームにおける女性とジェンダー』の原著は1992年に、邦訳は2000年に出版され、以来、基本書の一つとして広く読まれてきた。今回の読書会の目的は、四半世紀前に出されたこの著作を、その後の研究成果等を採り入れつつ再読し、基礎的な知識を研究会参加者のあいだで共有することにある。

 木下氏によると、同書は「中東における女性についての現代の言説の主要な前提とはどのようなものか」という問いのもとで、「中東アラブの歴史を形成する各時代においての、女性とジェンダーに関する諸言説の検討」を行うものであった。イスラーム以前の中東を扱った第一章(メソポタミア)と第二章(地中海地域の中東世界)の部分の要約を行った後、木下氏は女性に対する態度が、古代の様々な地域において共通点があったこと、女性の抑圧の源流はイスラーム以前の宗教・社会的背景にあったことが読み取れたと述べた。

 コメンテーターの小泉氏からは、メソポタミアの都市文明の誕生とそこでのジェンダーについての考古学的知見についての解説があった。メソポタミア丘陵地帯で農耕牧畜が始まり、その後、平原に人々が下りてくることで生まれた集落や都市、あるいは都市国家では、男女間で役割分担があった可能性が高いという。コメントではまた、地母神像の意味や神官女性の存在が紹介されるとともに、(現代の目から見て)古代法典の内容は男性中心的であるものの、法典編纂の目的は弱者救済にあり、女性の立場も考慮したものであったことなどが指摘された。

 
14:50-16:10 報告
  • 後藤絵美(東京大学)「草創期の女性雑誌を探して――『女学新誌』と『若い娘』」
    1. コメント:松本弘(大東文化大学)

主な報告として、今回は後藤が女性雑誌の比較による「女性たちと100年」へのアプローチを提案した。女性雑誌はメディア研究や近代史研究の中で、各国や各地域単位でさかんに取り上げられてきたものの、歴史的・地理的に広い視野でそれを検討した研究はまだほとんどないようである。

「最初の女性雑誌」と呼ばれるものは、誰がどのような意図で発刊し、その中には何が書かれていたのか。こうした疑問から本報告では二つの「最初の女性雑誌」――明治日本で刊行された『女学新誌』(1884-85)とエジプトの『若い娘al-Fataah』(1892-93)に注目し、それぞれの刊行の経緯とその創刊号の内容を明らかにした。二つの雑誌の大きな違いの一つは、『女学新誌』が私立農学校出身の男性知識人によって創刊され、「欧米の長所を採り入れ、古来の婦道の長所を失わないような女性像を提示すること」であったのに対し、『若い娘』はシリアからエジプトに移住した女性知識人が「東洋」におけるに最初の女性雑誌として、「奪われた権利を守り、必要な義務について注意を促す」ことを目指し、刊行したものだということである。コメンテーターの松本氏は、同時代のエジプトで活動した男女知識人をマッピングするとともに、シリアからの移住者らに関する背景についての解説を行った。議論では、エジプトの『若い娘』に掲載された記事が、ヨーロッパ等の雑誌からの翻訳である可能性が指摘され、今後、さらに他の地域の雑誌との比較を行うことで、より具体的な時間的・空間的つながりや断絶が見えてくるのではとの期待が高まった。

 
16:20-17:00 ミニ報告
  • エリフ・チャーラル(日本トルコ文化交流会)「トルコの女性雑誌」
  •  
  • 藤元優子(大阪大学)「現代イランの人名」

 ミニ報告は10分程度で小さな発見や興味をひかれた主題について紹介するコーナーである。今回はミニとは言えない、力のこもった、また興味深い二つの報告をいただいた。

チャーラル氏は、オスマン帝国時代に刊行された四つの「女性雑誌」の紹介をおこなった。1869年創刊の週刊誌『貞女の進歩』は『進歩新聞』の追加の週刊誌として発行され、トルコでの最初の女性誌と目されている。1883年創刊の『花畑』(二週に一度の発行)は独立した雑誌として、女性の手によって発行された最初のもの、1893年から1908年まで刊行された『女性だけの女性のための新聞』も女性の編集長と記者によるものであった。1913年刊行の『女性の世界』はさらに、女性の権利を守り、女性の心情を大切にすべく、女性の文章のみを掲載すると創刊号で宣言した雑誌であった。以上から、ひとえに「女性雑誌」といっても様々なレベルのものがあることが明らかになった。

藤元氏の報告では、まず、イラン人の名前について、1918年の市民登録制度に始まる「近代化」の流れが紹介された。イランでは1925年の市民登録法において、家長は特定の姓を選ぶこと、その妻と、未婚の息子、孫息子、娘、孫娘は、同じ姓を名乗らなければならないことが定められた。報告では、その後みられた姓の選択をめぐるさまざまな具体例が挙げられ、また、既婚女性の旧姓使用が上記法を無視して常態化していたことが指摘された。さらに、近年のイランで人気のある名前や、頻繁に行われている「通称使用」についても報告された。「名前」という今では身近なものに着目し、その扱いや位置づけの変化を知ることで、「女性たちと100年」をめぐって思いがけない側面が見えてきた。

 

以上のように、今回は大変盛沢山かつ、充実した時間となった。今後も参加者の皆さんと協力しつつ、知的刺激たっぷりの研究会を継続していきたいと思った。

(報告:後藤絵美)

 

第2回

  • 日時:2017年2月4日(土) 13:00-17:00
  • 場所:東京大学東洋文化研究所 3階大会議室
  • タイムテーブル
13:00研究会運営について(今後のご提案)
14:00報告(2名、各40分+質疑30分)
松永典子「社会運動としてのフェミニズム批評――フェミニズム理論/運動における「ポスト」をめぐる考察」
鈴木珠里「詠い継がれる魂――パルヴィーン・エーテサーミーとスィーミーン・ベフバハーニー」
17:30閉会

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本研究会は20世紀初頭に女性やジェンダーを論じた人々に注目し、その著作や活動、生き様を知ることで、当時何が問題となっていたのか、その後100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのかを考えることを目指して開催されるものである。第二回は前半で今後の進め方についての話し合いが行われ、(1)今後、関連の基礎文献の読書会を行うこと、(2)ミニ報告(仮称)の機会を設けること、(3)全体を3時間強とすることが提案された(詳細は以下を参照のこと)。

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※今後の進め方

(1)読書会:当面はL.アハメド『イスラームにおける女性とジェンダー―近代論争の歴史的根源』(林正雄他訳, 法政大学出版局, 2000年)を講読、原著が刊行されてから四半世紀が経つ今の視点から読み直し、参加者同志の知見を共有する。

(2)ミニ報告:新しいアイディアや資料報告、途中経過などを参加者が順番に発表する。

例(後藤):エジプトの初期の女性雑誌について調べていたところ、ヒンド・ナウファルという人のal-Fatah (1892-93)が最初の雑誌ということが判明。中身はどこで見られるのか、と図書館等を探していたところ、最近、全号が一冊の本 الفتاه : جريدة علمية تاريخية أدبية فكاهية になっていることがわかった。所蔵している図書館はカナダかシカゴ。しかし出版元のWomen and Memory Forum(在カイロ・モハンデシーン)が全文を公開していることを発見。http://www.wmf.org.eg/en/ 
日本の最初期の女性雑誌『女学新誌』(1884-1885)『日本之女学』(1887-89)との比較が可能?

(3)研究会時間配分

      読書会  90分(担当1人=レジュメづくり)
      ミニ報告 40分(担当2人=1人あたり報告10分間、質疑応答10分間)
      研究報告 70分(担当1人=報告40分、質疑応答30分間)
      合計 200分(3時間20分)

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 研究会後半では二つの報告があった。松永典子氏の「社会運動としてのフェミニズム批評――フェミニズム理論/運動における「ポスト」をめぐる考察」は、20世紀から現在までの女性をめぐる状況を時代によって分節化し、個別のものとしてみるのではなく、連続的で接続的、包括的なものとしてみる視点の必要性を指摘するものであった。松永氏によると、そのための鍵となるのが“ポスト”という引用符つきの表現である。ポストフェミニズムと“ポスト”フェミニズムは、前者が、男女平等が達成されたという前提のもとで「自己実現」をめぐっての女性たちが分断や排他に直面している<現状>のことを指すのに対して、後者はフェミニズムのユートピア的状態を永続的に保つための<思想>を指すものだという。英文学を専門とし、またフェミニズム研究における“ポスト”フェミニズムの必要性を提唱する立場から、20世紀初頭のサフラジズム(普通選挙権獲得運動)を扱った作品と(『ブリジット・ジョーンズの日記』に代表されるような)チック・リットと呼ばれる文学ジャンルをあえて並べて考察してみるなど、これまで軽視されたり、接続されてこなかったりした題材をつなぐことで、現在のポストフェミニズムの状況――解放の意味を「自己実現」に求めよ、と女性たちが駆り立てられている現状――を考察することが可能になるのではないかと提議された。

 鈴木珠里氏の「詠い継がれる魂――パルヴィーン・エーテサーミーとスィーミーン・ベフバハーニー」は、20世紀を生きた二人のイラン人女性詩人の人生と作品に光をあてたものであった。高名な文学者の娘パルヴィーン・エーテサーミー(1907-41)が育ったのは、立憲革命期(1905-11)、イランで現代詩の種が撒かれた時期である。彼女の詩は、古典詩の形式にのっとり、また女性の作であることを感じさせない(力強く、雄弁で「男性的な」)ものと言われ、評価されてきた。一方、スィーミーン・ベフバハーニー(1927-2014)は、20世紀後半から21世紀の初頭まで、パフラヴィー王政期からイスラーム政権期まで活躍した詩人である。その詩は古典詩の形式をとりつつも独特な韻律をもち、女性の情感や社会的な視点をバランスよく配したものと言われた。抒情的な主題に加えて政治的な主題も扱い、詩集が発禁処分を受けることもあったが、ノーベル賞候補にあがり、またその死は国を挙げて嘆かれたという。鈴木氏は、エーテサーミーとベフバハーニーの詩の邦訳を紹介し、その内容やそれに対する評価にみられる変化が、イラン現代史/現代詩の流れを映し出していると示唆した。

 二つの報告はいずれも、イギリス/英文学、イラン/ペルシア文学という空間について、女性をキーワードに100年以上の時間の流れを読み解こうとする壮大なものであった。第二回研究会を終えて、異なる地域や言語を専門とし、また異なる方法論や視点をもつ参加者が、一つの関心のもとに集うことで生まれる議論の広がりや深まりに、ますます期待がふくらんだ。(報告:後藤絵美)

 

第1回

  • 日時:11月26日(土) 12:00-14:30
  • 場所:東京大学東洋文化研究所 3階第二会議室
  • 内容:顔合わせと今後の方針や課題について話し合いを行いました。
    地域や言語を問わず、20世紀初頭に女性とジェンダーの問題を論じた人々に関心のある方々が集まりました。
  • 実施報告

 2016年11月26日(土)の午後、東京大学東洋文化研究所で「イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究」公募研究「「砂漠の探究者」を探して―女性たちと百年」の初回研究会が開催された。
 本研究会は20世紀初頭に女性とジェンダーの問題を論じた人々に注目し、その著作や活動、生き様を知ることで、当時何が問題となっていたのか、その後の100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのかを考えることを目指して開催されたものである。
 初回には、代表の岡真理氏の主旨説明に続いて、イラン、トルコ、インドネシア、イギリス、チュニジア、エジプトをはじめ、異なる地域や言語文化を専門とする参加者から、それぞれの問題関心とこれまでの研究、現在の課題が提示された。
 今後の運営についての話し合いでは、定期集会を通して情報交換や関心の共有を行うことや、アンソロジー(著作の紹介と解題)を出版すること、「人」を入口に20世紀初頭と現代とのつながりを考える連続講座を開催することなどが提案された。
 共同研究の中で扱いうるトピックとしては、「教育」「フェミニズム」「活動(スカウト等)」「雑誌」「法」「植民地支配/ナショナリズム/ワタン」「労働」「運動」「身体」「コマーシャリズム」「芸能」「姫」などが挙げられた。
 これからの議論の広まりと深まりが大いに期待される濃密な3時間となった。(報告者:後藤絵美)