VARANASI


 南アジアで最も著名なヒンドゥー聖地として知られるバナーラスは、かつてムガル三代皇帝アクバル治世にはムハンマダーバードMuhammadabadと呼ばれていたのであるが、ヒンドゥー聖地の名にかくれてこの地のモスクについてはあまり語られることがなかった。しかし、この地には、ムガル六代皇帝アウラングゼーブの時代に建てられた数件のモスクをはじめ、ムスリム支配初期以来のモスクが残っている。また、その他にも数件の墓建築の遺蹟が残されているが、殆ど放置されているにひとしい。
 アゥラングゼーブの治世に建てられたモスクとしては、ガンガーのパーンチュガンガー・ガートPanchganga Ghatの傍に聳える高く細いミナレットで有名な俗称「チュホター・マスジッドChhota Masjid(小さいモスク)」と、「黄金の寺院Golden Temple」として著名なビシェシュワル・マンディルBisheshwar Mandil(ウィシュウァナート・マンディル)の二つが観光客にも知られているが、ここに紹介するモスクは、南アジアにおけるムスリム支配初期のモスクとして重要なものと思われるにもかかわらず、これまで殆ど言及されることがなかった遺蹟である。(荒松雄)

1.ARHAI KANGRA MASJID

2.TOMB OF LAL KHAN

3.ANONYMOUS TOMB 1

4.ANONYMOUS TOMB 2


 

1.ARHAI KANGRA MASJID
拡大してみる その俗称の意味は「二つ半のドーム」であるが、実際は高いドラムを持つ単一のドームを頂き、堂々たる東側入口を持つ立派なモスクである。12世紀末葉の年次を持つヒンドゥーの刻文があるといわれるが、確認できなかった。礼拝主室の南北に拡がる部屋はいずれもヒンドゥー寺院風の柱を用い、12世紀末か13世紀の建立とみていいかもしれない。今日なお、ムスリムの礼拝に使われている。南アジアにおけるムスリム支配初期のモスクの歴史のなかで、もっと注目されて然るべき遺蹟であるといえよう。バナーラス市内のカーシー鉄道駅の前の広場の南側に残っている。(荒松雄)

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2.TOMB OF LAL KHAN
 バナーラスのガンガーを渡る大鉄橋のバナーラス寄りの近傍に残る墓建築で、「赤いハーン」を意味するその人名を付けた由来も調べなかったが、四角平面のこの墓建築の屋上の四隅に立つキオスクや、この墓建築の壁面の処理などその構造と様式とからみると、おそらくはムガル中期の造営と判断していいと思う。(荒松雄)

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3.ANONYMOUS TOMB 1
 これも大鉄橋の近傍の畑の端に残っていた遺蹟であったが、八角形の高いドラムを持つ堂々たるドームを頂く四角平面の墓建築である。私見では、上のラ−ル・ハーンを称する墓建築よりは古く、ムガル初期の造営とみていいかもしれない。(荒松雄)

 
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4.ANONYMOUS TOMB 2
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