MANDU


 
マンドゥーは南にナルマダ川をのぞむ台地の上に築かれた堅固な城砦である。現状では、いくつかの歴史的遺構はジャングルの中に点在し、中心部にわずかな民家ががあるのみである。この自然を巧みに用いた要衝は、8世紀から13世紀にこの地方を統治したヒンドゥー王朝パラマーラ朝のもとでもすでに優れた城砦としての名を残しており、12世紀前半以後はデリー諸王朝のムスリムによって攻撃され争乱の地となり、14世紀末のディラワール・ハーン・ゴーリ(1405没)が北35キロに位置するダールを首都とする独立王朝を築き、マンドゥーにシャーディーアーバード(喜びの町)と名づけお気に入りの避暑地とした。彼の息子ホーシャング・シャー(1405-1432在位)がこの地を首都とした15世紀前半からムガル朝にかけてがマンドゥーが最も栄えた時代であろう。歴史的遺構もそれを物語るかのようにこの時代に集中する。
 マンドゥーは自然の地形をそのままに城砦としたために複雑な形をしている。ダールからの道に設けられた北のデリー門が主門で、ムガル朝期に至るまで繰り返して増築されている。この北門をくぐり、中央に位置する最も大規模な湖サーガル・タラーオの東岸を抜け、南の城砦へと南下する道が現在のマンドゥーのメイン・ロードで、ある。宮殿域は北門部の南西側、ムンジャタラーオとカプールタラーオにはさまれている。宮殿域と北門を繋ぐ位置にいくつかの建築が現存するので、この地域を北門近傍と名付けた。この部分からさらに南下するとジャーマ・マスジドを中心とするコンプレックスがあり、この地域をジャーマ・マスジド近傍と呼ぶ。さらに南下するとサーガル・タラーオ東岸にいくつかの墓建築が点在する。
(深見奈緒子)
→風景写真

T.宮殿域

U.北門近傍

V.ジャーマ・マスジド近傍

W.サーガル・タラーオ東岸

X.南の城砦


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