1.FORT

 丘陵城砦および城砦内のさまざまな建造物

 ゴールコンダの城砦を本拠とするクトゥブ・シャーヒー勢力は、この王国の最後のスルターンであったアブール・ハサン・タナー・シャー(在位1672-87)をもって終焉を迎えるが、王朝の事実上の首都は、四代スルターンのムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーによって愛妾バーグマティーBhagmatiの名にちなんで造営された「バーグナガルBhagnagar」すなわち現在のハイダラーバードに移されていた。やがて六代スルターンのアブドゥッラー・クトゥブ・シャーと死後のスルターンとなったタナー・シャーの治世に行われた、ムガル六代皇帝アウラングゼーブによる二度のゴールコンダおよびハイダラーバードの征圧によって、ゴールコンダのさしもの強固な旧城砦宮廷も真に衰亡の時代を迎えるのである。
 ゴールコンダの主城砦は、周囲約8キロの城砦都市の北東部の区域に造営されており、現在ではほとんど廃墟となっているが、自然の岩盤を利用した昔日の強固な城砦宮廷の様相は十分うかがうことができる。広い外城壁の北東にはのちの1720年代に付加造営された城壁に囲まれた主城市の約五分の一を超す広さを持つ地域が残っており、一部では「新城砦」と呼ばれている。ゴールコンダ城市の東部に近い小丘陵を利用して造られた主城砦は、その南東部に二重の城壁に囲まれた地域を持っており、今日でもその二重城壁の遺構は見ることができる。
 「バラー・ヒサールBalah Hisar」すなわち「大きな丘」を意味する言葉で呼ばれてきたゴールコンダの主城砦へは、外城壁の東南部に設けられたファテー・ダルワーザFateh Darwazah(「勝利の門」の意味)から入って真っ直ぐな道を東北方へ向かい、主城砦の東の部分に造られたバラー・ヒサール・ダルワーザと呼ばれる正門から城砦内部へ入ることができるようになっている。このアーチ形の堅固なダルワーザは、大きいバトルメントの他に物見やぐらをも備えており、曲がりくねった通路から入ると、前後に大きな木製の扉を持つ通路によって初めて城内に入れるように堅固かつ巧妙に造られている。(荒松雄)

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