FATHEPUR SIKRI

 

 アグラの南西40キロの地にムガル朝皇帝アクバルによって創設された。1565年にアグラ城建設を始めたムガル朝第三代皇帝アクバルは、1569年には新都ファテープル・シクリの建設に着手した。周囲11kmに及ぶほぼ長方形の都市域は、北西辺を人造湖とし残る3辺を市壁とする。アグラからの王道に連続して市壁の中央部を北東から南西に走る台地上に、東西南北軸を設定して大モスクと王宮を雁行形に配する。遷都の切欠は、長年長子に恵まれなかったアクバルがチシュティー派のシェイフ・サリームの恩恵により後のジャハンギール,すなわちサリーム皇子を授かったことによる。シェイフ・サリームが没した1571年には大モスクが完成し、1574年からわずか10年間ではあったがアクバルの居城となった。1584年のラホールに遷都により、その後放置される。勝利の都を意味する命名の所以ともなった1573年のグジャラート征服によって、首都へと齎された工人や技法により、ヒンドゥー建築様式との混交が色濃い。なかでも、5層の吹放し建築であるパンチ・マハルやアクバルのディーン・イラーヒに基づく統治を象徴するという私的謁見室は名高い。(深見奈緒子)

 
→町の風景



1.FATHEPUR SIKRI 宮殿域

2.JAMA MASJID 近傍 (1571)

3.BAOLI ELEPHANT GATE前方) (1569-1584)

4.BAOLI FORT南方) (1569-1584)

5.AGRA - FATHEPUR SIKRI 間の小村


1.FATHEPUR SIKRI 宮殿域

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2.JAMA MASJID 近傍

拡大してみる ムガル朝第3代アクバル帝の時代に入ると、ムガル朝様式はインド的要素を積極的に受け入れるようになる。アーチ構造を装飾的には用いているものの、梁や柱の構造を主流とし、赤砂岩を材料とし、浮彫り、象眼、ジャリ、彩色等の装飾をもつようになる。この力強い様式には、アクバルのグジャラート制服や彼の新宗教ディーン・イラーヒが影響しているとも言われる。アクバル様式とも呼ばれる特異な折衷様式は、宮殿を中心とした建設活動が行われる。新都ファテプル・シクリに建設された巨大なジャーミ(外辺157m×132m)は中央中庭と周廊および西側礼拝室から構成される。ブーランド・ダルワザと呼ばれるモニュメンタルな南門はモスク外壁より突出した半八角形平面をもち、礼拝室中央イーワーンと同様な大アーチを開口している。(深見奈緒子)
→詳しい説明
→平面図
▲南門全景  

 


3.BAOLI ELEPHANT GATE前方)

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4.BAOLI FORT南方)

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5.AGRA - FATHEPUR SIKRI 間の小村

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