KAMAL MAULA MASJID

 

 広い中庭を囲む西側の礼拝室と他の三面の回廊部は、いずれもヒンドゥー様式の柱列をそのまま残していて、ヒンドゥー神殿の素材をそのまま転用していることがわかる。実際、中央に造られたアーチ形のミフラーブの部分をのぞくと、この西側礼拝主室の柱列の間はヒンドゥー神殿ではないかと疑わせるほどである。天井の内側や柱頭の部分も同様で、この中央インドの丘陵地帯の伝統的ヒンドゥーの工匠や技工たちの影響がそのままムスリム建造物のなかで最も重要なモスクに残っていることを示す点でも重要な遺跡といえよう。(荒松雄)

 この前身建築は、パラマーラ朝のラージャ・ボージャ(1010-1055年在位)によって建立された学院、ボージュシャラであった。この学院は地の女神サラスヴァティーを祠リ、当時の遺構とされる井戸が今もモゥラーナー・カマルアッディーンの墓建築の近くに残り、アッカル・クイ(知識の井戸)と呼ばれ、他にもいくつかのサンスクリット碑文が発見されている。イスラム期のものとしては、ディラワール・ハーン・ゴーリーの1392年の日付をもつ碑文がある。また、マフムード・ヒルジーT世は、モゥラーナー・カマルアッディーンを信奉し、モスクへの1457年に大改装を行っている。なお、数年前に、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の抗争がこのモスクで行われ、今日ではモスクとしては使用されておらず、内部へ入ることは難しい。(深見奈緒子)

 

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