DELHI


 1192年のゴール朝支配以来、デリースルタナットの6王朝を経てムガル朝に至るまで、トルコ人アフガン人イスラーム勢力侵入の拠点として、デリーには、いくつかの都城が構築された。ラールコット(奴隷王朝1206-1290)、シリー(ハルジー朝1290-1320)、トゥグラカバプラナキラー(ムガル朝およびスール朝1526-1556)、シャージャハナバード(ムガル朝1526-1858)の7つが顕著である。それぞれの都城は堅固な城塞に囲まれ、大規模な金曜モスク(ジャーマ・マスジド)と王宮を中心に住宅や諸施設を満載したヒンドューの海に浮かぶ島のような存在であった。礼拝堂としての小モスク・墓廟・集落も増え続け、今なおのこる多くの史跡によってデリーを舞台としたインド・イスラーム建築興亡の歴史を目のあたりにできる


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デリーに関しては、「デリー第1巻遺構総目録」に採録された385件の他に、採録されなかった遺構をあわせると、500件を超える遺構の写真がある。今回この検索ページでは、4×5サイズで撮影された2190枚の写真を検索することが可能です。ご利用下さい。


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