1.JAMA MASJID

 

 広大な城壁や大城砦とともに、このモスクもかつてのヒンドゥー王権のもとで造られたヒンドゥー神殿をモスクに改変したものと推定していいであろう。そのことは、南北に長く造られたこのモスク全体の構造からも推察されるが、明らかにヒンドゥー神殿のものと推定される多数の柱の基部や柱頭部の造り、さらには天井の内側の部分をみればほぼ明らかである。とくに、南北に長い柱列の間の端から室内を通して見るときには、今でもなおモスクよりもヒンドゥー神殿のなかにいるのではないかと錯覚してしまうほどである。モスク自体は南北に長い柱列の礼拝室を持つ建造物で、その中央の間の上にはデリーのトゥグルク朝時代の建造物によくある形の持ち送り式ドームが掲げられている。中央礼拝室の左右にはアーチ形の入口を開く四角い建造物(壁体)が造られている。
 このモスクは、広い前庭の東側中央にドームを頂きアーチ形の入口を開く四角平面の門を構えているが、これもおそらくはヒンドゥー神殿からモスクに転化されてのちに付け加えられた建造物とみていいであろう。なお、このモスクの中央礼拝室の西側中央部に造られているミフラーブのなかにはヒンドゥー女神の偶像が置かれていたが、この事実は、かつてのヒンドゥー神殿がムスリム支配期にモスク、それも重要なジャーマ・マスジドに改変され、さらに今日では再びヒンドゥー神殿として用いられていることを示しており、かつてのデーオギリ、ドーラターバードの歴史をまさしく象徴しているかの如き建造物である。このモスクの創建は1318年のことと推定されており、デカンにおけるムスリム建造物としては初期の遺跡として重要である。

 

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