BIDAR
 

 

 第9代バフマン朝君主アーマッド・シャーは1422年にグルバルガからビーダルへと遷都した。遷都以前のビーダルはバフマン朝下の一地方都市にすぎなかった。彼は遷都後、各地へ遠征を行うとともに、ペルシアからシャー・ニーマット・ウッラーの孫シャー・ハリール・ウッラーを招き、ビーダルに宗教的にも政治的な繁栄をもたらした。彼は、首都ビーダルの都市基盤を築くとともに、城砦にペルシア風の宮殿建築を建立した。
 1436年に彼の息子で後継者となった第10代バフマン朝君主アラー・アッディーンは、父の墓廟をビーダルの東郊外のアシュトゥール村に建立し、ビーダルとアシュトゥールとの間に聖者シャー・ハリール・ウッラーの墓廟を建設した。現存しない建造物としては、ビーダルの大病院の建設、ニマットアーバードに庭園建築を建設したことが知られている。1458年までの20年を超える期間、文化を好んだ為政者であったが政治を蔑ろにしたとの評もある。
 第11代バフマン朝君主フマユーンは、わずか3年の統治期間の後、21才で没している。彼は存命中にわずか8才の息子ニザムを王位継承者として、ペルシア人宰相マフムード・ガーワーンとジャハン・トゥルク、ニザムの母を摂政に指名した。
 1461年に第12代君主となったニザム・シャーの時代に、マルワーの君主マフムード・ハルジーがビーダルへと行軍を行ったので、グジャラートの君主マフムード・シャー・ベガルハに助けを求め、ビーダルを奪還したが、1463年に急没する。
 第11代フマユーンの息子が第13代君主ムハンマド・シャー3世として即位する。彼は宰相マフムード・ガーワーンの力を借り、バフマン朝最後の盛期を導いた。バフマン朝を従来の4つの州から8州へと分割統治し、領土を拡大した。しかしながら、マフムード・ガーワーンは1481年にデカン出身宰相グループの陰謀により無罪のまま処刑され、真実を知り心を痛めながら翌年ムハンマド・シャーも没している。
 1482年に即位した第14代君主マフムード・シャーの時代には、宰相たちが争い、地方王朝が独立し、バフマン朝は傀儡の政権となる。ビーダルはカージム・バリードが権力を握り、アハマドナガルでマリク・アーマッド・バフリー・ニザム・ウルムルクが、ベラールではファトゥフ・ウッラー・イマード・ウルムルクが、ビジャプールではユーズフ・アーディル・ハーンがそれぞれ権力を握る。
 1518年以後はマフムード・シャーの息子や孫達が相次いで短い期間即位するが、1525年第18代カリーム・ウッラーの時代にバフマン朝支配は終わり、バリード家がビーダルの支配権を握る。
 カージム・バリードはグルジア出身のトルコ人で、少年期にデカンへつれてこられバフマン朝第13代君主に仕えたが、第14代君主マフムード・シャーに独立を宣言しバフマン朝最高指令者としての地位を得た。(深見奈緒子)

 

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