TOMB OF ALI BARID

 

 バフマン朝にとって変わったバリード朝の三代スルターンたるアリー・バリードの墓は、その墓建築自体は規模が小さいにもかかわらず、その墓廟全体の構成や、建造物の細部の造りや装飾文様その他の点で、バリード・シャーヒーの数ある墓建築のなかでも最も注目して然るべき遺跡といえよう。
 この墓所の墓建築そのものは他の同時代のものに比べて特別大規模な建造物ではない。ドラムの上に乗る下部がややせばまるドームは高く大きく、四角平面の墓建築自体に比べて均衡を失しているという批判もある。しかし、そのドーム自体の基部に施された植物文様やその下方の多数の小アーチを並べた帯、さらにはアーチ形にディスクや他の文様を配したその外壁の装飾といい、壁面上部の五段をなす帯状の装飾帯といい、私自身はこの墓建築の壁面の造りとしてはかなり調和がとれていると考えている。さらに、墓室の内部の装飾も、とくにドームを支えるスクインチや交差アーチの部分などに他に見られないすぐれたセンスがうかがわれる。
 このスルターンを葬った墓建築の規模に比べて、本来広い囲壁に囲まれていたと思われるこの墓域には、南側の堂々たる門をはじめ他の三方にも簡単な門が造られている。私が初めて訪ねた1960年には北のものはすでに消滅していた。南門はバトゥルメントを頂く二層の堂々たる建造物で、三重のアーチ形の中央の入口の左右の上下にヒンドゥー建築の影響をも示す柱の様式を備える広いアーチはこの正門を格式あるものとしている。とくに中央入口の上部のアーチの三つのアーチ形の装飾は珍しい手法といえようか。なお、本廟の広い基壇の南西隅の部分をはじめ広い墓域の随所にこのスルターンの一族郎党のものと思われる墓石が多数置かれているのも、またこの墓所の一つの特徴といえようか。
 この三代スルターンの墓所の境内には墓建築の本廟のほかに、そのほぼ西北に当たるところにモスクが建てられており、さらにその西南、本廟のほぼ真西に当たる場所に五間の長方形の建造物が残っている。モスクはドームのない平坦な屋根を頂き、3つのアーチ入口を備えている。アーチそのものをはじめその上方にはそれぞれ華麗な文様とディスクとをあしらい、さらに上方の庇やその上の欄間や透かし彫り風の屋根の欄干とあいまって、これまた本廟に並ぶ華麗な雰囲気をつくり出している。礼拝室の内部も同様で、ミフラーブをはじめ複雑な交差アーチなどの造りや装飾も見事である。このモスクの東側正面には、その南北両端に細い塔が設けられているが、西側裏面の両端にはそれがなく、代わりに裏面の中央は正面のミーナールよりはやや太めに突出させ、そ頂部に小ドームを頂く。本廟の西側に造られた矩形の建造物も、その五つの部屋の装飾には同じような工夫が凝らされている。いずれにせよ、バリード・シャーヒーの実力者であったこのスルターン・アリー・バリードの墓は、デリーの同時代の建造物の粋を示すものとして最も貴重な遺跡の一つである。(荒松雄)

 

BIDARのページに戻る