ALLAHABAD


 南下するガンジス川と東進するジャムナ川が合流する地点にあたる。二つの大河が出会うこの地点で沐浴することは、敬虔なヒンドゥー教徒にとって魂の浄化を意味するという。アラハバード城砦は、
1584年にアクバル皇帝によつて二つの川の合流地点を見下ろす位置に築かれた。この城砦の西側5kmにフスロゥ・バーグが位置している。アクバル治世末期、後にジャハンギールとして即位したサリム王子がこの城砦に住んでいた.(深見奈緒子)

KHOSROW BAGH

拡大してみる  アラハーバードの鉄道駅の南側にフスロゥ・バーグの名で知られる公園があるが、そこにはムガル4代皇帝ジャハーンギールの長子であったプリンス・フスロゥとその一族の墓が残っており、公園(バーグ)の名もそこから出ている。(荒松雄)
▲南東より撮影  
1.TOMB OF PRINCE KHUSRAU (1622)

2.TOMB OF SHAH BEGAM(1624/5)

3.TOMB OF NITHAR BEGAM (17世紀前半

4.TOMB OF TAMBLAN BEGAM(17世紀前半)

5.BASEMENT AND HAUZ

 


1.TOMB OF PRINCE KHUSRAU

拡大してみる  フスロゥ・バーグの公園に残存する墓建築群の東端に位置する。各壁面に10個のアーチ形のがんをもつ二層で四角平面の墓建築である。この建築は三基の墓建築が並ぶ基壇上の東端にあり、西側には泉があり、他の墓建築が並ぶ。このプリンス・フスロゥの墓の墓室内部の壁面は、多くのペルシア語の詩文で飾られており、さらに樹木や花々の絵で彩られていたが、それらのほどんど剥落してしまっていた。墓室の床面には基壇の上に大理石作りの皇子フスロゥを葬る墓石が設けられているが、刻文は何も残されていない。この威厳ある墓石の左右に位置する二つの墓石は、いずれも皇子フスロゥの息子を葬るものであるといわれている。「悲劇のプリンス」といわれ、皇位継承をめぐって1606年に父帝ジャハーンギールに反乱を企て、のちに五代皇帝シャー・ジャハーンとなる弟の皇子フッラムkhurramのもとにあずけられ、1622年に死んだあとこの地に葬られたという。(荒松雄)
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 ▲南より撮影  

 

2.TOMB OF SHAH BEGAM

拡大してみる フスロゥ・バーグの基壇に載る三つの墓建築のうちの真ん中に位置するドームを頂く四角平面の墓で、屋上の四隅にキオスクを持つムガル墓建築によくあるタイプのものである。皇子フスロゥの姉シャー・ベーガム(1624/5年没)を葬った墓所とされている。(荒松雄)
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 ▲南より撮影  

 

3.TOMB OF NITHAR BEGAM

拡大してみる フスロゥ・バーグに残る四つの墓建築の中で東から三番目、基壇上で最も西よりの墓が皇子フスラゥの母で父帝ジャハーンギールの妃(ヒンドゥー教徒)であったニトゥハル・ベーガム(1605年没)を葬ったものとされている。東から三つの墓建築に共通する広い基壇の上にさらに高い基壇を設け、その上に方形の建造物を設け、最上階はピラミッド形の屋根を形作る。全体的に簡素な感じを与える建造物で、ムガル時代の墓建築としては珍しい構造と様式とを備えたものといえそうである。(荒松雄)
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▲南より撮影  

 

4.TOMB OF TAMBLAN BEGAM

拡大してみる  フスロゥ・バーグの墓建築のうち、最も西寄りに位置する。八角形の基壇の上に八角形の上層建築が載る。メルクリンガーは17世紀の初期の建築とする。(荒松雄)
 ▲南より撮影  

 

5.BASEMENT AND HAUZ

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