ARHAI DIN KA JHOMPRA


 囲壁の周囲には興味深い遺構が残る。東南隅の塔は円形の繰り形を束ねた塔であり、西南隅の塔は角形の繰り形を束ねた塔である。デリーのクトゥブ・ミナールでは最下層に円形と角形の繰り方を相互に使い、それより上層に円形と角形を使い分けている。またアルハーイー・ディン・カ・ジョーンプラー・マスジドのアーチ壁上部のミーナールでは円形繰り形が使われている。この時代の塔に用いられた繰り形の重要さを再認識させる。これらフリンジのついた塔は、イランのキルマーン近傍、アフガニスタンのガズナ近傍に12世紀から13世紀の諸例が分布しておりセルジューク朝文化が南のルートをたどってインドへと到着したことを現す好例といえよう。
 中庭の3方を囲む廻廊部は本来は12本柱式のドームを並列したものであった平面をカニンガムが発表しているが、現状では東の一部のほかは囲壁を除くとほとんどなにも残っていない。
 礼拝室は、廻廊部と同様に12柱式のドームを並列させ、正面をアーチ壁で覆った形態である。アーチ壁は中央の二基一対のミーナールの上部を除けばほぼ完全な形で現存するものの、背後の礼拝室は中央の部分だけが現存する。中央アーチは、デリーのクッワト・アル・イスラーム・モスクとよく似たアラビア語のインスクリプションとさまざまな文様を刻んだ見事な石彫が施されている。アーチ壁の中央部は一段高く構築され、その頂部には一対の塔が配され、ペルシアのセルジューク朝に遡るドゥ・ミーナールが伝播した形跡が見て取れる。またこの中央アーチの間から礼拝室の柱配置が見えているが、その間には矩形の無蓋部分が設けられている。本来ここにジャーリーのような何らかの緩衝装置が設けられていたかどうかは不明ながら、グジャラート地方の吹き抜け空間へと発展する萌芽的形態と見て良いであろう。
 礼拝室の中央部は12柱式のドームどうしを5つ並列させ、西壁を除くその周囲に幅の狭い廊を廻している。このような配置は14世紀後半以後のグジャラートのモスクと比べると、異なる点である。5つのドームはそれぞれ異なった装飾の持ち送り式ドームを頂く。中央ドーム下には大理石製のミフラーブがあり、その五葉形アーチはファサードの多葉形アーチとともにインド的な装飾としてとらえられよう。(深見奈緒子)

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