WAV OF BAI HARIR

 このワーゥの創建者と思われるバーイー・ハリールなる女性は、地方的には「ダーダー・ハリー」の名でも知られているというが、おそらくは上述の七代スルターンの治世のハレムの重要な女性だったと推定していいであろう。私が撮影した地上の写真からもわかるように、このワーゥはグジャラート地方特有の細長いバーオリーで,1960年の調査時には近傍の住民のための重要な水源地の一つとなっていた。

 グジャラート地方に残っているワーゥの多くは、他の南アジア各地で一般に「バーオリー」の名で知られてきた、地上から見える階段井戸のかたちをとらずに、地下に造られた井戸や水路や階段が地上からは見えないようになっており、その両端の井戸の部分を囲う低い構築物の他は、天井で被われた構造となっている。一部のワーゥは、その天井部にキオスク風の構築物を設けている場合もあり、このワーゥはその一例である。

 地下の部分は、いくつかの層に分かれて細長い構築物が設けられていて、井戸の部分を主として、柱や欄干、あるいは一部の壁面がときには彫刻文様を施されたかたちで立派に造られている。私自身、アフマダーバードに残るこれらのワーゥの地下の部分に初めて降りたとき、あまりの精巧な造りに驚かされたことを思い出す。このワーゥの場合には、立派な刻文が壁面の一部に残っていて、その創建の由来を知ることができるのである。

 この井戸には、創建者が造ったとされるモスクと彼女を葬ったと思われる墓建築とが現存している。モスクの中央ミフラーブにも、同じくスルターン・マフムード・ベガラーの治世の創建を記す刻文が残っていた。モスクの構造と様式とは、ビービー・アチュート・クーキーのモスクのそれに似ているが、東側中央入口の大アーチの両側の太いミーナールは上部が崩壊してしまっている。このモスクの特徴はいかにもグジャラート風のものだが、正面両端の二つのミーナールやモスク正面の左右の壁面を飾る出窓の基部などにみられる彫刻文様はきわめて豊かで、礼拝室内部の中央ミフラーブや中央の部屋の壁面上部一帯を彩る繊細な文様彫刻とともに、グジャラート建築の特徴をあますところなく示しているものといえよう。

 このモスクの東北の側に造られている墓建築は、このワーゥとモスクの造営者であるバーイー・ハリールなる女性を葬ったものと推定されるが、ほぼ半円形の巨大なドームを頂く四角平面の墓建築主室を中心に四つの小ドームを載せる低い回廊が取り囲んでいる。女性を葬った墓建築としては堂々たる構造と様式を備えた建造物である。この墓建築の墓室への入口は南面に造られており、他の三面は窓を設けるだけである。この墓建築の回廊部分の基部や墓建築の下部に設けられた窓の透かし彫りの彫刻は、植物や幾何学文様を素材とした優れたもの、これまたグジャラート芸術の特徴を示した貴重な遺産である。(荒松雄)


MOSQUE & TOMB OF BAI HARIR

 アフマダーバード市の北東の郊外、マーター・バワーニーのワーゥの近傍に残る遺跡で、ワーゥすなわちバーオリー(階段井戸)とともにモスクおよび墓建築が残っている。その特異な気候条件と社会的要請から、この地の支配層は相当数の貯水池やバーオリーを設けた。この階段井戸も、井戸と近傍のモスクに残る歴史刻文の記述によって、七代スルターンのマフムード・ベガラーの治世の906AH年(1500年)に完工されたことがわかるのである。

 このワーゥの創建者と思われるバーイー・ハリールなる女性は、地方的には「ダーダー・ハリー」の名でも知られているというが、おそらくは上述の七代スルターンの治世のハレムの重要な女性だったと推定していいであろう。私が撮影した地上の写真からもわかるように、このワーゥはグジャラート地方特有の細長いバーオリーで、今日でも近傍の住民のための重要な水源地の一つとなっていた。このワーゥについては、のちに水利建造物について紹介するなかの28項において述べることとして、ここではバーイー・ハリールなる女性によって造られたというモスクと墓とについて紹介しておく。

 この井戸には、創建者が造ったとされるモスクと彼女を葬ったと思われる墓建築とが現存している。モスクの中央ミフラーブにも、同じくスルターン・マフムード・ベガラーの治世の創建を記す刻文が残っていた。モスクの構造と様式とは、先に紹介したビービー・アチュート・クーキーのモスクのそれに似ているが、東側中央入口の大アーチの両側の太いミーナールは上部が崩壊してしまっている。このモスクの特徴はいかにもグジャラート風のものだが、正面両端の二つのミーナールやモスク正面の左右の壁面を飾る出窓の基部などにみられる彫刻文様はきわめて豊かで、礼拝室内部の中央ミフラーブや中央の部屋の壁面上部一帯を彩る繊細な文様彫刻とともに、グジャラート建築の特徴をあますところなく示しているものといえよう。

 このモスクの東北の側に造られている墓建築は、このワーゥとモスクの造営者であるバーイー・ハリールなる女性を葬ったものと推定されるが、縁辺にバトゥルメントを並べる平坦な屋根いっぱいに造られたほぼ半円形の巨大なドームを頂く四角平面の墓建築主室を中心に四つの小ドームを載せる回廊が取り囲むという、女性を葬った墓建築としては堂々たる構造と様式を備えた建造物である。この墓建築の入口は南面に造られており、他の三面は出窓を張り出すだけである。この墓建築の回廊部分の基部や墓建築の下部に設けられた窓の透かし彫りの彫刻は、植物や幾何学文様を素材としたに優れたもの、これまたグジャラート芸術の特徴を示した貴重な遺産である。(荒松雄) 

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