はじめに



東洋文化研究所には5点の西域壁画断片が所蔵されている。これらは全て塑壁着色でドイツのル・コック(1860〜1930)隊によって採集された7〜8世紀頃の作品である。

ドイツ人による西域の探検は、西域北道を中心に前後4回の探検隊が組織された。ル・コックは第2回以降の探検隊の中心人物である。第2回(1904〜1905)はトルファン付近の城址、千仏洞の発掘、第3回(1905〜1907)はクチャ・カラシャール・トルファンを中心に、第4回(1913〜1914)はクチャ・マラルバシの踏査を行った。この後程なくして第一次大戦・敗戦、未曾有のインフレに直面し、大型図録の出版刊行費補填のために多くの収集品を手放すことになり、世界中に散逸することになる。

将来品は、東方文化学院東京研究所が購入した時には、トルファン及びホータンのものとされていたが、その表現様式から現在ではホータン地域のものが3点、キジル石窟のものが2点と考えられる。ホータン地域の発掘調査は、英国のオーレル・スタイン(1862〜1943)によって精力的になされ、ル・コックは第3回の帰途12日間という短期のものである。又、キジル石窟のものは第3回・第4回の採集によるものであろう。