イスラーム地域研究5班
研究会報告

比較史研究会

第 3 回研究会「市場経済と資本主義」報告
日時 : 1999年12月23日(水) 12:30-18:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階大会議室
参加者: 37 名

  1. 報告
  2. 質疑および討論の記録
  3. 観戦記

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◎ 各報告の概要と討論の要旨は以下の通りです(質疑討論は研究会幹事の責任でまとめ、敬称は略しました)。

1. 報告(報告要旨および当日のレジュメを掲載します)

1−1 石川 登(京都大学、東南アジア文化人類学)
     「国際ゴム協定(1934年)と密貿易:
       ボルネオ西部国境地帯のゴム市場と焼畑農民」

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_ishikawa.pdf」

1−2 加藤 博(一橋大学、中東社会経済史)
     「再考「『市場社会』としてのイスラム社会」」

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_kato.pdf」

1−3 古田 和子(慶應義塾大学、中国経済史)
     「中国における市場、仲介、情報」    

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_furuta1.pdf」
     レジュメ PDF ファイル「Pf_furuta2.pdf」

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2. 質疑および討論の記録


2-1 石川報告に関して

岡野内正:
 ゴム密売人と土地との関係はどうなっているのか。土地が確保されていれば生存は常に可能なわけだが。またこの地域の人々の長期的な移動戦略はどのようなものか。
答:
 ボルネオでも 1930 年代には、焼畑ができる範囲は使い果たし、土地は余裕がなくなり人口圧は高かった。

春日直樹:
 報告のテーマと問題意識に共感を覚えた。ただし言葉の点でいくつか引っかかるものを感じた。トランスナショナルというのは今の資本主義の趨勢に乗った言葉ではないか。時代的な共犯性を感じる。また周縁の社会史というが地球は丸くてどこでも中心であり得る。なぜ周縁というのか。
答:
 最近のトランスナショナルを巡る議論は歴史性を欠いているので、ナショナルな歴史的状況をはっきりさせるためあえて使ってみた。周縁という言葉は二重の意味で使っている。サラワクの世界の中での周縁性、調査地ルンドゥ地区のサラワクの中での周縁性である。ただし、ご指摘の通りサラワクの辺境もロンドンのアパートの住民も中心といい周縁といい変わりが無い点があるのも事実だ。

原洋之介:
 ・なぜそもそも国境を越えるゴム密貿易が生じたのか。
 ・ 1930 年代の世界恐慌期は国家管理が強まってくる時期とふつう言われているが、砂糖などの他の協定品はどうだったのか。
答:
 国境を挟んでサラワクと蘭領西ボルネオでゴムの価格差があった。また蘭領のサンバス地区は西ボルネオの中心ポンティアナの経済圏から外れ、むしろサラワクに近かった。サンバスではサラワクと違いゴムのクーポン・システムによる生産制限がうまく働かず、価格が低かった。

岩武昭男:
 別の地域特産品だった香料ガハルにもゴムと同じような価格差や国境を越えた密貿易があったか。
答:
 ガハルは樹木に偶然にできる樹脂で、作ろうと思ってできるものではないので、ゴムとは事情が違う。

岩崎葉子:
 ゴムの局所的な取引市場と世界市場との関係はどうだったのか。ゴム生産制限協定以前のローカルなゴム市場はどんな形だったか。
答:
 地方町のバザール経済があり、華人商人の手で最後はシンガポールに運ばれていた。ゴムのローカルな市場は生産協定以前からすでに世界市場とつながっていた。

三浦徹:
 マラッカのような港市国家については盛んに議論がされてきたが、ここで語られたような密貿易と国際貿易との関係をそれと同類の商業ネットワーク類型と考えられないか。
答:
 重要で有効な指摘と思う。


2-2 加藤報告に関して

関本照夫:
 ・イスラム世界は市場経済であると言われるが、いかなる議論への批判としてそう言われるのか。
 ・イスラム経済とは中東イスラム経済と解して良いか。
答:
 ・前近代を市場社会ではないとする西欧中心の近代化論への反論として、イスラムの市場経済性を主張する。
 ・ 私の言うイスラム経済は中東イスラム経済と解してもらって良いが、イスラム的な物の考え方が適用された領域という点では、インド、東南アジアに至るまで同様の性格を見いだすことができると思う。

原洋之介:
 ・歴史というのは循環するものだろうか。
 ・ ヨーロッパの重商主義経済とイスラム経済を比較すると、ヨーロッパでは国家が取引費用を引き下げる努力をしたの対して、イスラムはそれを社会がやっていて国がしなかったので、ヨーロッパ重商主義に負けたと言えるだろうか。
 ・ 経済学の分野で歴史制度分析の手法をとる、グライフ Greif は、11 世紀のマグリビーと呼ばれる地中海のユダヤ商人の代理人契約を分析し、商人間の結託が契約を保証していたことを示し、公権力によらない取引の保証のあり方があることを提起した。
 ・ 岸本美緒さんが契約研究会のまとめでも示唆しているが、中東の市場経済と中国の市場経済の(取引保証のあり方の)違いは何だろう。
答:
 ・ブローデルの長期持続論の影響で歴史学者が循環と言うことを真剣に考えていないという反省を持って発言している。イスラム研究は、アンチ、アンチで、アンチであるところにレゾン・デートルを見いだしている弱みがあると思うが。
 ・ヨーロッパ重商主義に負けた理由は原さんの言うとおりだと思う。
 ・ 中国の市場経済は、私にはイスラム市場経済とすごく良く似ているような気がする。また、イタリアの公証人による保証のやり方は、中東イスラムと似ていないだろうか。契約の有効性の担保の仕方について、比較研究をやる必要がある。

佐藤次高:
 「自由なイスラム経済」というのは嘘であり、国家に秩序・安全を守られて市場経済も存在しうる。ファーティマ朝が軍艦で商船を守っていた例やサラディンが通商路にある紅海を守っていたように、国家と経済には、もっと微妙な関係がある。
答:
 国家権力が市場にまったく関与しなかったというのではなく、権力が貨幣発行レベルにとどまっている時期も、国家独占まで踏み込む時期もあったが、国家もマーケットを通して資金を調達しており、市場に振り回されていた。イブン・ハルドゥーンの所論は君主論として捉えるべきだとの指摘を佐藤さんからうけているが、全体として経済が政治より優位な社会と思う。
佐藤次高:
 政治が優位な社会、経済が優位な社会という区別はそもそも存在しないと思う。両者の微妙な関係を問題にすべきである。

玉木俊明:
 加藤氏は資本主義をどう規定しているか。
答:
 資本主義=近代産業資本主義と考える。イスラム経済研究から資本主義論は出てこない。


2-3 古田報告に関して

岡野内正:
 ヨーロッパではマーチャント・バンカーが国境を越えて活動したが、今の報告の中国商人の金融活動に関して、こうしたヨーロッパとの類推で捉えられるとおっしゃるのか。なお、岩井克人の商人資本主義論は誤ったものと私は考えている。黒田さんの議論はどういうものか。
答:
 黒田明伸さんは、市場経済を均衡型(16 世紀以降の世界システム)と非均衡型(中華帝国)とにわけたうえで、後者が前者にいかにとけ込んだか、溶解したかを問題としている。非均衡型の中華帝国経済は、現地通貨と地域間通過の兌換性を制限している点で特徴的である。

春日直樹:
 リスク回避をめぐる中国的固有性は何だったのだろうか。
答:
 取引の反復・継続で評判や信用が合理的に形成されてくる。一回限りの取引ではなく繰り返しを考えれば、裏切ってはいけない、そうするのは非合理だという判断が成立する範囲、つまり世界が存在している。

吉田浤一:
 ・寺田・岸本説は繰り返しにも関わらず信用は生まれないと言うことではなかったか。とすれば、直接取引したほうがよいわけだが、仲介人の役割は、危険負担させることではないか。
 ・膨大な仲介人の存在は近代の資本主義から見れば不合理ではないか。
 ・ 中国では、生産システム全体が、組織として前近代にはうまく成立していないのではないか。個人商人ではなく大会社の場合はどうなるのだろうか。
三浦徹:
 イスラムの証人は形式的存在にすぎず、取引について何も情報を持っていない。これと情報を持ちリスクを分有する中国の中人とは違うのではないか。
答:中人はコストを肥大化させるだけの存在ではない。取引に存在する不確実性は仲介者に転嫁され逓減されたという認識がある。
吉田浤一:
 二者間関係論では組織を生まない。合股も組織ではない。結局足立啓二氏が言うようなペシミズム論になるのではないか。
岸本美緒:
 個々人の関係からはたしかに組織はできないが、それを乗り越えるために盟約のような疑似家族的結合をつくる。バラバラのものまで、さまざまに幅があるのが中国の現実だ。

岩崎葉子:
 ・ご報告の中国市場論は中国のいつの時代についてのものか。
 ・ イランの例では、仲介人・売人の緊密な関係=固い癒着が市場経済の拡大を抑えている。中国ではどうか。
答:
 ・19 世紀末から 20 世紀前半を念頭に置いてお話しした。
 ・ 癒着は存在するが、癒着した場合には、独立した主体ではなくなる。中国の場合には、二者間関係を前提とする取引主体の独立性が前提となっている。
 ・ (三浦質問に対して)イスラム世界のような中立的な仲介人のプールは中国に存在しない。それゆえに、仲介人たりうるために情報が重要である。


2-4 総合討論

青木敦:
 自分が研究している宋代では、明・清期にくらべ国家がもっと強力に取引費用を提供している。これまでの議論は、中東/明清中国/西欧を並べた比較ではないか。

岸本美緒:
 宋代では法に支えられた体制があるといっても、なぜ人が法を信用するか。明清との違いは、相対的な程度の問題だ。

岩武昭男:
 中東や中央アジアからすれば、遠隔地交易といった特別な考え方やルールは存在しない。石川さんはボルネオにおける香料ガハルの取引について若干ふれられたが、これはイスラム世界で一般的な商品である。ボルネオは1920 年代までイスラム商人によるイスラム商業圏であり、それがゴムを扱う中国人商人が取って代わったと言えようか。

石川登:
 イスラム商人から中国商人への交代は確かに起こっている。

加藤博:
 遠隔地交易というのはヨーロッパが生んだ概念で、ヨーロッパが端にあったから遠隔地ということになるのだ。交易は海上だけでは無く陸上を次々に商品が伝わっていくことを考えれば、遠隔地交易という概念自体が意味を成さない。

岩武昭男:
 ボルネオでイスラム商人が中国商人に負けたのはなぜか。

石川登:
 直接の答ではないが、東南アジアはヨーロッパだけではなく中国人にも搾取されてきたという感が強い。

加藤博:
 ヨーロッパはフローからストックへのギアチェンジに成功した。イスラム世界ではなぜそうならなかったのか考える必要がある。ブローデルはイスラム商人の家系に継続性がないことを指摘しているが、べつにひとつの家系が何代も同じことを繰り返す必要はないのではないか。商人の子が学者になってもなんら不思議はないし、繰り返しはつまらない人生にすぎない。そのような、mobility の高さや資本投資機会の高さが原因ではないか。

佐藤次高:
 11 世紀のバクダードの伝記集を見ても商人は仮の姿で、学者への志向が見られる。

岸本美緒:
 その点は中国でも同じだ。

関本照夫:
 加藤さんは「イスラム世界はヨーロッパに負けたのだ」と過去のこととしてイスラム経済を語られるが、今日の中東の民衆にとってはイスラムが勝ったか負けたかとはさして関係のない日常生活があろう。そうしたところでイスラム経済の仕組みは働いているのかいないのか。

加藤博:
 歴史家としては歴史に忠実であらねばならないから、すでに一度イスラムはヨーロッパに負けたと考えている。私のイスラム経済論は過去の話で、現代の中東の政治経済はまた別の話だ。

岡野内正:
 昔スターリン主義の時代に流通論的偏向という言葉があったが、それはまだ一定の意味を持っている。市場はネットワークであってヒエラルキーが見えない。自由・平等・友愛といった面のみが表面に表れやすく、その裏が見えない。市場と言うからには労働の問題、自由な労働力と奴隷といった問題からも重要なことが見えてくるはずだ。

三浦徹:
  ・契約研究会の高見澤さんの報告で、個人間の権利関係が契約によって結ばれるという点では中国も契約社会であるが、契約をすることの経済的意味を考慮しないと、現実には意味をもたない、という提起があった。今日の研究会でも、取引費用の問題が焦点のひとつになったが、所有・契約・市場を結ぶテーマとして、それぞれの地域・社会が、取引をどのようなシステムで保証したのか、という問題設定はどうか。そこに、公権力や国家の役割も取り込むことができるのではないか。
・ 保証の仕方は、市場の大きさや質(取扱商品))によっても違ってくることを考慮すべきだろう。
・ 3 回の研究会を通じて、中東イスラムと中国の社会的共通性が指摘された。加藤さんの発言に「イスラム的な物の考え方」は中国や東南アジアにも共通するという言葉があったが、イスラム世界とは、単にイスラムの宗教や法に規定された社会という意味ではなく考えているように受け取れる。とすれば、中国、東南アジア、中東という区分を考え直す必要があるし、その共通性をイスラムとよぶべきかどうか、も問題になる。そこで、文化と地域分けの問題が浮上することになるだろう。

(文責:関本 照夫)


2-5 雑感     関本 照夫(東京大学、東南アジア文化人類学)

 石川さんの報告が時代と場所を特定して歴史的出来事を語るものだったのに対し、他のお二人の報告がより抽象度の高い構造を指向していたことが、印象的だった。中国や中東に自生的に構造化した市場社会があるのに対し、東南アジアは土着の小商人と外来の様々な商人たちの、状況ごとに形の違う、繰り返される出会いと出来事の場であった。そこに比較の難しさがある。人類学が「構造離れ」しているのはもうここ10年以上の特徴だが、歴史学には「出来事」から「構造」へと変化の流れがあるのだろうか。私が報告・討論の中に感じた「構造」とは、歴史学の枠内の「長期持続」ではなく、歴史学の社会科学化、超歴史的な分析概念への指向である。人類の普遍ではなくある地域や文明の構造を論ずると、国民性論に似たような、それとして当たっており、言い得てはいるが発展性のない議論に終わる危険がある。理論・概念の面で進んだ経済学のような専門学から精緻な概念を借りてくる方法もあるが、私は同じような時代・状況に直面した時、地域・文明ごとに出てくる対応の差というもっと経験的な面に関心がある。資本主義とローカルな対応という問題を提示したのはそのためだったが、報告・議論は必ずしもその通りには進まなかった。ただし、この研究会は何が出てくるか分からない中で、関心・概念を狭く共有しているサークル内では出てこない予期せぬ設問・発想とぶつかることに面白さがあり、狭く厳密にという方向には進まない方が良いと思う。
 個々に無いものねだりの乱暴な雑感を述べさせていただくなら、石川さんの報告について、土地のゴム「密売人」と華人商業ネットワークとの関係、そしておそらく香木仲買人とアラブ系商人との関係、行政その他ヨーロッパ人との関わりが探れるものなら、それ自体おもしろい比較研究となると感じた。
 加藤さんの、イスラム世界は西欧に負けたのであり、現状はまた別の話だという論の明快さには感銘を受けた。しかしそれを認めた上で歴史の継続性の面を表現する論理が、まだ裏に隠されているのだろうと思うが。
 古田さんが、何人かの質問者からの疑問に対し、評判や信用が現実に生まれてくる過程があるのだと繰り返し主張されていたのに感銘を覚えた。これは、前回の契約研究会後の事後報告で岸本さんが書かれていた「形式合理的な法といえども、その根底には、生身の人々の(暗黙の)合意、実践的な習慣といったものが存在するのであり・・・」という言に通じ、狭い意味の経済学の形式概念よりもはるかに広い慣習的合意の問題が、後ろに控えていると感じた。

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3.観戦記

 論点を豊富化するために、参加者から研究会後にいただいたコメントを掲載します。

  • 「中国前近代史の立場から」  
         青木 敦(岡山大学文学部)

     関本照夫氏が本会の「趣旨」で強調されたことの一つは、もともと、市場・資本主義のグローバルな部分とローカルな部分の関係を見直そうとの提言だ。石川報告はこの提言に比較的正面から向き合った報告だと感じられたが、一方、古田・加藤報告には、方法論的に共通の面が見られたように思う。関本氏の「趣旨」よりもややミクロな方向に向かうが、このことも含め、岡目八目の感想を以下 3 点ほど述べてみたい。

    ( 1 ) 市場が存在した、換言すれば市場が失敗しない条件として近年注目されているのは、取引費用経済学(TCE)で重視される、広義の「制度」だ。古田・加藤両報告は、この視点からの比較の可能性をもっていた。古田氏は「……原子論的市場が持つ機会主義や市場の失敗は、どのような制度によって回避、補填されてきたのか」と問い、また加藤氏は近年の御自身の諸論文の成果を踏まえつつ、法整備、信用確立等の制度がイスラム社会に市場社会としての性格を備えさせていた、と論じる。ともに新制度学派( NIE )のアプローチで伝統社会比較を試みようというものである。そして、すでに加藤−古田間では、強制・監督費用が如何になるシステムで低減されていたか(イスラムの証言・法、中国の仲介)、情報費用低減をどう考えるか、という具体的な側面で、具体的に比較すべき論点が提出されたように思う。ここまでを取りまとめれば、多少陳腐だが、「イスラム−法、中国−人倫」とういことか。さらなる議論の噛み合いと発展が予想される。

    ( 2 ) また、加藤報告の後、原氏から比較制度分析( CIA )の適用可能性が提起された。比較制度分析では、プレイヤー達が相手の出方に関し、如何なる読みを共有するかが(ナッシュ均衡)、異なった経済間・異なった企業文化間で比較される。私がこれを非常に興味深く感じたのは、こうしたゲーム理論による分析が、さらに明清史の主要トピックである地域社会論と重なって行くのではないかと思われたからだ。この特定の安定状態についての研究は、明清地域社会論で注目される「秩序」(=人々が共有する行動様式・観念)論に近い。市場取引を継続的に可能ならしめている秩序とは何か、比較制度分析の経済学に参照すべき地域間比較の成果がすでにあるかもしれない。

    ( 3 ) 最後に、論点が少しズレるが、どうしても気になるのが「中国」という枠の妥当性だ。これは市場の比較に限ったことではないが、「中国社会」といっても、それはある程度多様であり得た可能性がある。例えば「仲介」「中人」と言ったときに意味される実態も、(そこまで微細に見ることは史料的に難しいが、現実には)常に一様であったとは限らないかもしれない。また広域の生産物市場に目を向けるとき、「華人」ネットワークのメンバーには、中国文化に基づいた規範が共有されているかもしれないが、彼らの地元の社会秩序は、全く違ったものだった可能性もある(例えば上海と台湾)。どこまでを「中国」と言っていいのか(漢族?大陸社会?)、私自身の今後の課題でもある。

    ※青木敦先生のホームページもご参照下さい。
    http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/toyoshi/aoki/index.html

  • 市場の広がり(範囲)と重層性
         松井真子(日本学術振興会特別研究員、国際関係論)

     関本氏の問題提起にあるように、非西欧の諸社会がヨーロッパ資本主義経済 に一方的に取り込まれ、その影響を受動的に受け入れる、といった見方を批判的に再検討するためには、非西欧地域のそれぞれについての更なる実証的解明と、それに基づいた比較が行われる必要があろう。
     今回の研究会での三氏の報告は、異なる地域の「市場」を三様の視点から扱ったもので、それぞれ非常に興味深く拝聴した。しかし、三氏が各々レベルの異なる「市場」に重点をおいていた点で、相互比較に関しては論点の整理が必要であったのではないかと感じた。関本氏の問題提起で「市場経済」によって想起されるものの多様性が指摘され、石川報告でも複数の「市場(s)」の重層性が示された。関本氏は、複数の「市場経済」の類型として、ローカルな自給的市場、遠隔地交易、グローバルな市場経済の三者を、この類型の有効性に対する批判も含めて提示した(加藤氏はこの類型については否定的であった)。石川報告は、複数の市場の例として特定産物に着目し、ゴム市場とそこからはじき出されることで形成された局所的な自給的市場を挙げた。また古田報告は、都市のネットワークを中心とした、上海ネットワークと黄海交易圏を示した。総合討論の際に三浦氏が指摘した通り、ある市場の広がり(大きさ)によって、その市場を成立させている保証や信用の有り方は異なってくると考えられる。例えば古田報告の前半では、中国における「中人」などを介した局所的市場における信用の枠組みが示された。しかし、この取引の保証・信用のシステムは、古田氏が報告の後半で提示した、政治的境界線を超えた経済秩序としての、「境域」における信用の有り方とは異なるのではないか。とすれば、重層的 な構造をもつ複数の市場のうち、どの程度の広がりを持つ市場を想定するかで、比較の仕方も異なってくると考えられる。異なる地域における、局所的な市場からグローバルな市場までのそれぞれの市場の重なりあい方(相互連関)を比較するという方法もあるであろう。
     また三浦氏は、これまでの3回の研究会によって中東と中国の社会的共通性が指摘された、と述べている。しかし、今回の研究会の論点に即して言えば、国家権力の市場介入の度合いや、社会における保証のシステムをめぐっては、むしろ相互に異なる点を重視し、その違いを生み出す要因を検討すべきではないかと思われる。(前者の点に関しては、質疑応答の際にどの時代の中国を対象とするのかで異なってくる、との指摘があった。)また前述した市場の範囲という問題と関連させれば、地中海交易圏のような「境域」を考えた場合、中東は、東アジアや東南アジアとは異なり、ヨーロッパと歴史的に同一の市場を共有してきた。その際、加藤報告で紹介されたマスターズの研究のように、産業資本主義 時代以前のヨーロッパとイスラムの経済秩序の差が前者の経済的優位を引き起こしたのか、といった論点も生じてくる。
     以上、あまりまとまらない形となってしまったが、市場ないし地域の範囲の選択や比較の基準について整理の余地があるにせよ、異なる地域の研究者が集まることで、地域毎の共通点や相違点を従前より詳細な次元で議論しあう土台ができた。来年度には扱う地域をさらに多様化し、「公正」をキーワードとして議論の深化・統合を図るということなので、この新たな比較史の試みが一層進展していくことが予測され、今から非常に楽しみにしている。

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