イスラーム地域研究 5 班
研究会報告

第 7 回「サライ・アルバム」研究会報告


日時 : 1999 年 12 月 18 日(土)13:00−18:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・3 階大会議室
参加者 :14 名


プログラム
個別研究概要

プログラム

<個別研究発表>

  1. ヤマンラール水野美奈子(東亜大学) : 「第 2 次トプカプ宮殿美術館調査研究報告」
  2. 小柴はるみ(東海大学) : 「サライ・アルバムに描かれた楽器」
  3. 村野浩(東海大学) : 「シナの玉座:イル・ハーン朝絵画に現れる玉座の形にちなんで」( 2 )
  4. ヤマンラール水野美奈子 (東亜大学) : 「太湖石からサズ葉文様への系譜」( 2 )


個別研究概要

  • 「第 2 次トプカプ宮殿美術館調査研究報告」 ヤマンラール水野美奈子(東亜大学)

       今回の調査は、9 月 1 日より 24 日の期間、イスタンブールのトプカプ宮殿美術館にて行われた。調査の目的は、前回の調査に引き続き、アルバム H.2153 のカタログ作成の為のデータ入力であった。8 月 17 日の大地震の被害調査、9 月 2 日に起きたトプカプ宮殿美術館におけるコーランの盗難事件に伴う取り調べなどにより、作業場である図書館が計 6 日間閉館した為、作業目標は達成できなかったが、それでもフォリオ 78 より 112 までの 34 フォリオのデータが入力できた。
     今回の調査報告では、この全 34 フォリオのほぼ全ての画像の紹介を行った。
     アルバム H.2153 のなかでも、今回の調査分のフォリオの中には、ヨーロッパのエッチングの模写と思われる作品が数点含まれていて、アルバム成立の経緯を解明する一つの手がかりとなることが期待される。
  • 「サライ・アルバムに描かれた楽器」 小柴はるみ(東海大学)
  •  発表者の小柴氏は、イスラム世界の楽器の形態及びその演奏方法などに関して、サライ・アルバムに見られる楽器の図像と、文献史料に記述された楽器の名称や、それが使用された場面などの比較考察をおこなった。
     個々の楽器の名称に関しては、'Abd al-Qader ibn Gheibi Maraghi (1360?-1435) の 42 種類の楽器名、Evliya Celebi(1611-1683?)の 81 種類の楽器名を参照して いる。その他、マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも様々な楽器が登場する。しかし、これらの史料では、楽器を指す(Saz)という名称は、旋律を出すものを指し、 太鼓などの音具は含まれていない。鈴や鐘などの音具に関する記述もほとんどなく、名称も不明である場合が多い。
     サライ・アルバムに見られる楽器の図像に関しては、小柴氏は、戦闘場面、音楽の演奏場面、そして宴興場面の三場面に分け、そこに描写されたラッパ、横笛などの管楽器や琵琶、琴やハープなどの弦楽器について、楽器としての図像の正確さやその演奏方法の表現などを中心に検証した。
     次に、動物や鬼、あるいは踊る男女が身につけているスズ・カネ類に焦点を当て、図像上、多種多様な形態、大きさのものが描かれているにもかかわらず、史料には記述が少ないことを指摘した。その理由としては、スズやカネはあまりにも日常的なものであり、楽器として注目されることがなかったからではないか、との説が提起された。
  • 「シナの玉座:イル・ハーン朝絵画に現れる玉座の形にちなんで」( 2 ) 村野浩(東海大学)
  •  発表者の村野氏は、前回の発表に引き続き、サライ・アルバムにみられる玉座の形や装飾の発展を、中国の玉座やインド美術における台座の図像の系譜と比較しながら考察を行った。
     サライ・アルバムに見られる玉座は、その多くが四角形あるいは六角形のものが主流である。その中には、明らかに中国的な装飾が加えられた玉座を描いたものがある。例えば、座床の背面に一枚の板、あるいは三扇三翼の衝立が置かれ、その上部に半円形の飾り板がつけ加えられている。村野氏は、この飾り板の様々な形態と装飾に着目した。一つは、釣り針型の曲線が山型に繰り返されたかたちの飾り板で、これは中国の絵画やレリーフに見られる座った人物の頭上にカーテンが紐でつり上げられた時にできる曲線(たるみ)の輪郭を形取ったものがその図像の起源ではないか、という仮説が提示された。
     また、玉座の背もたれの両側に張り出すように取り付けられた口を上に開けた竜のような怪獣が描かれている例が多く存在し、その図像の起源に関しても議論された。インドではマカラと呼ばれる海獣が、椅子の背もたれの両側の端につけられた例がエローラなどの壁画に見られる。その他にも、1、2 世紀のものとみられるグリフィン型の椅子飾りがアフガニスタンより出土している。以上のことから、半円形、あるいは山型の飾り板は中国から、そして背もたれの両側につけられた海獣はインドのマカラなどの装飾を起源とし、中央アジア及びペルシアに入った後、イスラーム期のモンゴル系の玉座に用いられたのではないか、という説が展開された。
  • 「太湖石からサズ葉文様への系譜」( 2 ) ヤマンラール水野美奈子(東亜大学)
  •  水野氏の発表は、サライ・アルバムに収められた森の光景や動物と岩石、沼地の植物を混合した図が、次第に文様化され、ついには、オスマン帝国 16 世紀に「サズ葉文様」として完成されたプロセスに着目し、「サズ葉文様」の原型が、遠くは中国の太湖石に求められることを明らかにすることを目的としている。
     「サズ葉文様」とは、抑揚のあるしなやかな線で描かれた長い葉の文様を指すが、その葉の間を竜などの動物がくぐり抜けている作例が多く存在する。水野氏の発表は、蓮の葉に孔を開け、そこから竜や他の動植物を通すモティーフがサライ・アルバムのデザイン画に見ることができ、かつその起源は多くの孔があいた中国の太湖石とその周辺に描かれた植物の図であるとする論説を展開した。ここでは、岩にあいた孔から植物がくぐり抜けるという図案が、ペルシアを経由して、「サズ葉文様」としてオスマン朝において完成されるまでの過程が、サライ・アルバムの中の多くのデザイン画によって説明された。さらには、ペルシア、トルコ、中央アジアにおいて、この「孔のあいた岩を通す、あるいはくぐる」という発想が何らかの呪術的な意味をもっていたのではないかと、という説が提唱された。

    (文責:阿部 克彦)


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