イスラーム地域研究5班
研究会報告

aグループ「知識と社会」第2回研究会報告


日時:10月30日(土)14:30〜
場所:東京大学東洋文化研究所・3階第1会議室


 10月30日、「知識と社会」研究会では、阿久津正幸氏(慶応義塾大学・院)を迎えて第2回研究会を開催した。発表のタイトルは「知識の伝達とイスラーム諸学間 の相対的関係:アレッポのマドラサを舞台にして」であった。

 阿久津発表は、教育施設マドラサに関する先行研究の批判的検討から出発し、それら先行研究と自らの見解を対置する中で、知識と社会との関係の考察に至ることを志向するものである。その際の氏の最大の関心はマドラサの普及とスンナ派体制の確立(氏によると「政治・社会的再統合」)という2つの過程の間にみられる共時性であり、従来の諸研究はこの両過程の関連づけに関して問題点をはらむとされる。すなわち、Makdisiの研究のように、そもそも「政治・社会的なイデオロギー性」は受け入れられないとする研究が存在する一方で、マドラサをシーア派に対抗するためのスンナ派施設と位置づけるTalasらの諸研究(すなわちマドラサの「イデオロギー性」を直接的な意味で認める諸研究)もまた、ではなぜマドラサが「イデオロギー性」を持ちえたのかという問いに、マドラサの一義的な機能であるはずの教育の内容にそくした回答を与えていないとされるのである。
 氏はまた、ザンギー朝下アレッポでの宗派抗争にも注目する。その理由は、先行研究において、権力闘争と深く絡み合ったこの宗派闘争の構図の理解が不十分であったのみならず、抗争がマドラサ建設によって惹起されたのにもかかわらず、知識や教育という観点からそれを考察する態度がみられなかったからであると説明される。こうして、氏の議論は、教育施設マドラサと政治・社会との関係を、教育内容から考察する段に入る。

 氏による教育内容分析は、マドラサという場で学んだ人物群が、どのような学問をどのような様式で学んだかを分析する「カリキュラム的考察」による。氏はまずアレッポの3つのマドラサ(いずれも12世紀創設)の初代教授の教育遍歴を概観し、彼らがコーラン学、ハディース学、法学、アダブなどの多様な学問を、ひとつの学問分野についてさえも繰り返し複数の師について学ぶという人物本位で体系性を欠いた様式で習得していたとする。そして、この分析に基づき、マドラサでの教育が法学に特 化していたとするMakdisi説、そのような特化を前提とし、エジプトでのマドラサ建設の目的を社会のイスラーム化と述べたLeiser説を批判する。すなわち、教育の方法・科目はマドラサ出現以降も、それ以前となんら変わることはなかったのであって、「イデオロギー性」は教育内容自体には求められないというのがここでの論旨であろう。この論の傍証として氏は、Ibn Khallikanがマドラサの学生でありながらマドラサ外でも学問を修めた事実や、マドラサ出現以前からの多数の著作を含むマドラサ蔵書群の現存状況や、アレッポのマドラサの有力教授でもあったal-Kasaniが法学理論に大きな貢献をなしていないことなど(Y. Meronを典拠とする)を挙げている。
 また氏は視点を転じ、そもそもの学問分類に関し知見を述べる。すなわち氏は、イブン・ハルドゥーンの学問分類を紹介しながら、「現代的意味の科目分類のある種無意味さ」を指摘し、そもそも「法学=コーラン学・ハディース学」という等式も成り立ちうるとし、ここで再び「理論的特徴で現実面を説明しようとしたMakdisi」を批判する。

 では氏は、「イデオロギー性」とマドラサの関連の解明という当初の課題にどのように答えるのだろうか。以上のような議論を踏まえ、氏はマドラサという枠、あるいは殻の手前に踏みとどまり、その次元で分析することの不毛を説き、分析の視点を個々のウラマー、あるいはウラマー家系に据えなければならないとする。つまり、教育から現世利益をえることを忌避する伝統的思想にもかかわらず「妥協的心性」によってマドラサでの教授職などを志向するようになった「家系の生存戦略」こそが「イデ オロギー性」の源泉であったとし、結論とした。

 以上のような発表に対し、当日多数を数えた出席者から活発な質問やコメントが出された。スペースの問題からそのいちいちに触れることはできないが、中でもウラマーに関するラカブの使用の開始とマドラサの普及の間に何らかの関連があるのではないかという指摘などは、マドラサの「イデオロギー性」の別の重要な側面を示唆する意味からも重要だったと思われる。

 今回の研究会では、マドラサという、伝統的なイスラーム社会における「知識と社会」の重要な接合点に関する、意欲的な発表を得ることができた。あえて発表者と研究会が共有すべき課題を述べるならば、討論でも触れられていたように、マドラサでの教育で実際に用いられていた各種のテクストの内容に踏み込んだ比較分析を行うことによって「知識と社会」の微妙なせめぎあいに関する理解をさらに深めることが可能となると思われる。発表後すぐにシリアへ調査に旅立った阿久津氏には、労を謝するとともに、さらなる成果の研究会への還元をお願いする次第である。

(文責:森本 一夫)


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