イスラーム地域研究5班
研究会報告

比較史研究会

第 2 回研究会「契約:神・共同体・個人」報告
日時 : 1999年10月17日(日) 12:30-18:00
場所 : 東京大学東洋文化研究所・大会議室
参加者: 28名

  1. 報告
  2. 質疑および討論の記録
  3. 観戦記

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◎ 各報告の概要と討論の要旨は以下の通りです(質疑討論は研究会幹事の責任でまとめ、敬称は略しました)。

1. 報告(報告要旨および当日のレジュメを掲載します)

1−1 高見澤 磨(東京大学東洋文化研究所、中国法)
     「中国において典型的な契約とはいかなるものか
       −近現代法導入の局面において」(報告要旨・レジュメを参照)

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_takamizawa.pdf」
     レジュメ PDF ファイル「Pf_takamizawa2.pdf」

1−2 西尾 寛治(サバ・マレーシア大学、マレー史)
     「ムラユ世界における君臣間の「誓約」:
       “スジャラ・ムラユ”などムラユ語文献の分析から」(報告要旨・レジュメを参照)

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_nishio.pdf」
     レジュメ PDF ファイル「Pf_nishio2.pdf」

1−3 岩武 昭男(関西学院大学文学部、イラン史)
     「イスラーム世界における契約の理論と実態」(報告要旨・レジュメを参照)

     報告要旨 PDF ファイル「Pf_iwatake.pdf」
     レジュメ PDF ファイル「Pf_iwatake2.pdf」

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2. 質疑および討論の記録

※ 私のメモによりまとめてみましたが、かなり誤りがあるかもしれません。文責は岸本にあります。お気づきの点はご叱正ください。なお敬称は省略しました。(岸本美緒)


2-1 高見澤報告に関して

柳橋博之:
・リース契約が導入されるとき、中国の法体系における合法性・整合性をチェックする機能はあったのか。
・紛争が起こったときに、裁判所にいく前に仲裁するような機構はあったのか。

答:
・外資導入の可否に関する政策的な議論はあったが、技術的な意味におけるチェックはなされなかった。
・国際的な契約に関しては「仲裁条項」があり、ニューヨーク・ロンドンなどにある国際的仲裁機関を指定して仲裁を受けることとなる。中国当局としては中国の仲裁機関による解決を期待しており、工商行政管理局の仲裁委員会で仲裁を行い、もしだめなら国際的な仲裁へ、という形を望んでいるようである。当初は仲裁が不満なら裁判所に行ける、ということになっていたが、規定が改正され、最初から裁判所か仲裁かどちらかを選ぶということになった。

岸本美緒:
租・賃をどう定義するか。伝統的用法と現在の語感との関係は如何。

答:
租と賃とのわけ方は難しい。上海などで車を借りる場合、短期間なら租といい、中期・長期なら賃という、という話もある。今、法学者が租賃といえば、賃貸借・リースの類。今の庶民も、レンタル・リースという意味で考える。とくに自動車を貸す場合など。1950〜70 年代にかけてレンタル・リースの観念が不必要であったため、租賃概念の空白が生じ、清・民国の用法と今日の用法との間には断絶が存在する。

岡元司:
中国の前近代が契約社会でないというイメージをもたれてきたのはなぜか。

答:
近代の人間の目がくもっているから、としか言いようがない。19 世紀の欧米商人の対中国人取引も、既存の制度で対応できていた。租界の土地売買なども、法的には禁止されていたが、貸借の形で実質的には行われていた。

後藤明:
イスラーム社会は契約社会であるが、垂直レベルの契約−−国家と個人の契約など−−がない。

岸本:
カリフやスルタンの権威を承認する儀式としての「バイア」は、商取引成立の際の慣行から来ているというが。

後藤:
バイアは個人と個人との関係であり、国家と個人との契約ではない。

白川部達夫:
・この問題は、個人と中間団体との関係にも関わる。中国における契約社会と中間団体の成熟との関わりはどのようなものか。
・ 契約文書のなかに「自願」という文言があるのはなぜか。日本では、証文を書く以上は「自願」は自明の前提になっているようである。担保文言との関係は如何。

答:
・中国の中間団体としては、同業団体・商会などが重要である。商会などを基軸とした近代化については、蒋介石政権の1930年代半ばころまでは、その可能性があった。
・ 中国の契約文書でも、縁者や近隣の妨害に関わる担保文言がある。なぜ「自願」をことさらに言うのか、よくわからないが、裁判での「遵依結状」にみられるように、本人の同意・納得が重視される。現在の裁判でも、強制執行の前に説得をする。国家権力なのだから、ゴリ押しすればよいと思うのだが。

三浦徹:
契約社会かどうかという問題だが、契約が結ばれているということと、その保障とは別の問題である。「市場社会」を論ずる場合の重要な点はそこではないか。

答:
企業体の性格という点から考えてみると、家業の永続性という観念に支えられた日本のイエと、短期的な利益の獲得が目的でその目的を達すると解散してしまう傾向のある中国の共同出資団体「合股」とは、性格が異なり、そこに大雑把な対比を行うことができよう。しかし、欧米の企業との比較は難問である。


2-2  西尾報告に関して

関本照夫:
17 世紀以降のイスラームの浸透と誓約論理の進行とが並行しているのはわかるが、それをイスラームの影響で、というのは論証が必要ではないか。ジャワのマタラム王国でも王権への抵抗があったが、同時代のこうした動きをどのように説明すべきか。また、ビジネスにおける契約との関係はどうか。

答:
イスラームと誓約との関係について。バイアと結びつかないかと考えてみたが、バイアという語は出てこない。イクラール ikrar という語があり、これは誓いを伴った強い約束をさす。なお、即位儀礼の規定に出てくる言葉はアラビア起源であり、アッラーに誓うという語は出てくる。商人と誓約との関係については、わからない。

後藤明:
「誓約」にあたるマレー語は何か。

答:
setia, perjanjian, sumpah, waadat 。ikrar という語は、19 世紀の即位儀礼に関して出てくる。

羽田正:
アラビア起源の語にまじってサンスクリット起源などの語も混在しているようだが。これらは、アラビア起源の語に駆逐されたのか。 nama はどこの起源の語か。

答:
ペルシア語のナーメかもしれない。

羽田:
本報告で扱われたような「上下間の契約」は、政治権力と個人との関係であって、契約というよりは、王権の話なのではないか。

答:
本報告では、大きくいうと文化の受容の問題を扱った。これは文化そのものの発展過程といってもよく、受容とはいっても都合のよいものが意味を変容させつつ受容されるのである。aniayaからzalim への変化など。王についても、ラジャといったり、スルタンといったり、ヤンディプルトマン(マレー語)、シャーといったりし、民間の口頭伝承ではあまり語源を気にしていない。

小林寧子:
バイアについて。スーフィー教団で弟子が師に誓うことを意味する語がバイアである。現在インドネシアで、議員が買収されないようにバイアする、などという。ジャワの裁判制度では、大枠ではサンスクリット系の語が使われるが、権利・義務・登録などの法観念はアラビア語から来ている。ムラユ世界とジャワとは違うように思われる。

答:
ムラユ世界では、アラビア語の概念は、ヒンドゥーの大国から自立する方策として利用されたのではないか。


2-3  岩武報告に関して

高見澤磨:
契約書として紙に書くことの意味。文書の形に化態することが重要なのか。また西尾報告に対して、契約と文書との関係につき、説明してほしい。

答:
紙が使われたのは、記録の媒体として便利だからではないか。

三浦:
Goitein によれば、ユダヤ人の間では、ヘブライ文字で書かれることが重要であったという。

江川ひかり:
レジュメ 8 頁にある四至の書き方について。19 世紀のオスマン文書では「一方は、一方は」という表現をする。三方だけの場合もある。

森本一夫:
イスラーム世界では、ヒヤルなどにより、法規定をかいくぐって現実上のさまざまな必要をみたしていた。「最後に」の部分で、「『契約』を守らせるものを『宗教心』『信仰心』にのみ求めることはできない」「『契約』を守らせるものは、『神』の直接の脅威やそれに対する信仰心ではなく、あくまで『法』のなかでの整合性であった」とあるが、法と信仰心とを二律背反的にとらえることができるか。法を破ろうとしないムスリムの信仰心をみてとることはできないか。

答:
ヒヤルも法に則ったものであり、法と信仰心は必ずしも二律背反ではないと思う。

白川部:
公共性の形成について。公共財としてワクフが使われるということだが、個と個との関係を通じて公共性がつくり出されるということをどう考えたらよいか。

答:
国家が公共的なものを作るという制度はない。善行の一環としての公共性。その場合、ワクフ設定には、財産保全のため、或いは自分の墓をつくる、名声を高めるなどの個人的な動機もある。

三浦:
文書を使って、イスラーム法がきちんと機能していたことを論じられた。しかし、ワクフの賃貸料は安いのに手数料はかかっている、紙のコストも高いなど、非経済的な面もみられ、どこまで実際に貫徹していたのか、疑問も感じる。また、私有の商店・農地などの賃貸借の記録はない。登録しないですむ場合はしていないのではないか。契約が社会のすみずみまで貫徹していたのか。

答:
ワクフを設定する際に、経営が必要な工場などは対象からはずれている例があり、対象の経済上の性格によって異なる。1970 年代の調査によれば、ワクフ物件の賃貸では常に借りる方が有利な契約が結ばれるが、表に出てくる金とちがう裏金が動いている可能性もある。ワクフは永遠のものといわれるが、管理者の子孫に食いつぶされて消えてしまうこともある。

後藤:
世代を越えて継続される契約は文書化される必要があるが、一時的なものは文書化されなくてもよい、ということで、残っていない場合もあるのではないか。イスラーム法上で文書証拠の拒否が見られるのは、当時、ムハンマドやアブーバクルの書き付けといった怪しい文書をもってくる人が多かったからそれを防ぐためであった。

西尾(高見澤氏の質問に対する答):
契約が文書に書かれるようになったのは、18 世紀。政治的な意味での誓約の場合は、紙に書かないかたちもある。たとえば政治的な同盟の場合など。レガリアをささげるなど、即位儀礼や伝承として残される。   


2-4  総括討論

柳橋:
かつて「身分から集団へ」というテーゼがあったが、個人が属している社会集団の性格をどう考えるかという問題がある。日本では社会集団が優先してその間を契約が埋めるという形。イスラームでは、利害関係の調整ということで集団が決まってきて、アメーバのように変化する、という点からいえば、契約が優先するといえるかもしれない。地理的な条件に規定される面もある。イスラームではウンマという概念が重要だが、マレーシアではそうでない、など。個人が属する集団がどのように定義されているかが、重要な問題である。   


2-5 蛇足 岸本

 今回の研究会では、取引契約を扱った高見澤・岩武報告と、君臣契約を扱った西尾報告とが、はっきり分かれていた感があるが、私はむしろ両者の相互関係に関心をもった。まとまらない感想ですが、以下に記します。
 高見澤報告にあるように、中国では少なくとも宋代以来、土地売買や小作契約など、経済関係の主要部分が「自願」の契約によって営まれていた。その点では「契約社会」的性格が強い。しかし一方、所有権を保護する法律、その実効性を保障する司法機構といった、契約を支える制度的なインフラ整備において、中国の国家が無力ないし消極的であったため、中国の市場は不確実性に満ちた弱肉強食的な「自由さ」をもっていた。その不安定性をのりきるために、人々は有力者のパトロネージや任意的同 業団体といった人倫的な絆に頼った。私的な契約が公的(アンシュタルト的)秩序によって支えられる−−我々が一般に考える「契約社会」の姿−−というのでなく、契約を支える秩序自体が私人的・任意的(ネットワーク的・契約的)に形成される傾向をもつという、こうした社会の性格をどのように考えていったらよいのか。
 近年寺田浩明は、明清中国において、秩序そのものの形成とそのなかで結ばれる取引契約とが、ともに「約」という語で表されていたこと、そしてその「約」が「合意か強制か」といった二者択一的問いには馴染まない「斉心(心が一つになる)」状態を意味していたことを論じた。ウェーバーの語でいえば、「身分契約」と「目的契約」との双方をともに視野にいれて根底的に再考する興味深い見解であり、イスラーム社会の「バイア」の問題も(私は全く素人ですが)そのような関心から考えてみられ るのではないかと想像するが、いかがでしょうか。
 近年の中国史研究では、中国の中間団体(ひいては社会秩序)の任意性・私人性(公的・制度的性格の欠如)を強調する見解がかなり強い(足立啓二など)。私見によれば、これらの中国研究者には、ややペシミスティックなトーン(欧米・日本との対比によるいささか欠如論的な論調)で中国の経済秩序の不安定性を強調する人が多い。たしかに、高見澤氏が討論のなかで指摘したような「国家権力すらもごり押しを避けて当事者の合意をとりつけようとする傾向」は、そうした「公的」秩序の強制力の弱さを示しているものかもしれない。
 私も、欧米・日本の社会と中国社会との違いという点をかなり強調してきた方だと思うが、最近では、あまり極端な類型的対比には疑問をもつようになった。足立氏の近作『専制国家史論』に対しては、かなり批判的な書評を書いてしまった。アンシュタルト的な国家、形式合理的な法といえども、その根底には、生身の人々の(暗黙の)合意、実践的な習慣といったものが存在するのであり、そういうソバーな認識をふまえてフェアな比較を試みるべきだと思う。国家の正当性の基礎づけとしての「社会契約論」についても、「国家権力と合意」に関する広い比較史的視野のもとで考えなおしてみたい。
 ちなみに、私は従来、イスラーム社会と中国社会との異質性よりも類似性に関心をもってきた。中国社会とイスラーム社会とは、経済活動における個人間契約の優越という点で共通する性格をもつ−−そうした点で、ヨーロッパや日本の前近代と異なる感触をもつ社会である。イスラーム社会においては秩序自体がネットワーク的だ、ということも仄聞する(たしかラピダスの論文に書いてあった)。その点で、中国社会とイスラーム社会(そして、それぞれの研究者の対象社会に対する関心の持ち方)は、「似ている」気がするのである。しかし、イスラーム社会研究者は、中国研究者と比較して、その秩序の安定性や健全さに懐疑や悲観を抱くことなく、概して強い自信をもっているように見受けられる。それはなぜなのだろうか。実のところ私は、イスラーム社会研究者には、市場・契約を支える秩序に対する一種の素朴な楽観性があり、それが欧米先進論に対する対抗意識と相まって、イスラーム社会の秩序に対するリアル(skeptical )な眼を曇らせているのではないか、と邪推したこともあった。しかし、最近考えるに、どうも私の邪推は当たっていなかったようだ。やはりイスラーム社会には、俗権力を越えて人々の行動を定言命令的に規制する「信仰」と、それに裏付けられた「法」があり、それが秩序に対する根底的な信頼を生み出しているということが実際にあるのかもしれない。特に今回の岩武報告やそれに関わる質疑を通じて、そのように感じた。それは、中国と大きく異なる点であるように思われる。私は今まで、中国社会とイスラーム社会とは「似ている」という点に主に関心をもってきたが、今後は、どこが「違う」のか、ということを、原理的なレベルで考えてみたいと思う。

(以上 文責:岸本 美緒、三浦 徹)

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3.観戦記

 論点を豊富化するために、参加者から研究会後にいただいたコメントを掲載します。

  • 比較史研究会第2回−契約:神・共同体・個人−に参加して
         白川部 達夫(金沢経済大学、日本近世史)

     今回の契約をめぐる三つの報告は、それぞれに専門の分野へ深く切り込んだもので、興味深くうかがいました。三浦さんの問題提起をふくめて、契約社会の意外な広がりにとまどっているというのが、率直なところです。
     日本近世史の立場からいうと、契約の主体としての個人、あるいは小家族の家が、大家族(本家・分家)や村共同体から、どの程度自立しているかが問題の前提になります。この過程が契約社会の成立過程として、論理的に設定され、それにそって歴史の展開(近代化といってもよいでしょうか)の度合いが計られるというのが、まず一般的な了解ではなかろうかと思います。どちらかといえば地縁的な社会的結合を重視する社会が解体していくという発想ですが、三報告はいずれも、こうした社会関係やその歴史展開を前提にしない社会を問題にしているといえます。この点で欧米型の近代化像を前提としがちな日本近世史の通俗的枠組みではとらえきれないものがあります。
     近年、社会的結合・ネットワーク論、中間団体論などの新しい枠組みをめざした動きもありますが、契約社会論もその一つとなりうるものなのではないかと期待しています。その場合、個人主義、契約から社会がいかに構成されうるのか、その多様性も含めて問うという姿勢が大事なのではないでしょうか。また個人・自由・契約といった従来の文脈以外に、契約における自己責任と安定性・信用創出、国家をふくめた諸社会権力の関与といった近代世界システム論的な文脈がより重視されるのかもしれません。とすると民衆社会にとって、近代的契約とは、生活過程から疎外された形式での人と人との意思の一致にほかならないということになるのでしょうか。いささか雑ぱくで、かみ合わせにくい論点で恐縮ですが、多くの刺激を受けた勉強会でした。

  • 「契約」ってなんだ?
         小島 毅 (東京大学大学院人文社会系研究科、中国思想史)

     思想を研究している者の性癖なのでしょうか、(それとも私の個人的な偏癖なのか、)こうしたある概念をテーマとする研究報告を聴くと、どうしても概念それ自体について問い質したい衝動に駆られます。私の場合、刺激を受けてからそれを言語化するまでに時間がかかるので、当日は質問できませんでしたが、帰宅してからも何かが喉につかえているような感覚にとらわれています。お三方の報告はそれぞれに内容の濃いもので、具体的な事象の次元では大変勉強になりました。でも、何かひっかかるのは、おそらく「契約とはそもそも何か」という問題があまり議論されなかったからのような気がします。
     それぞれの報告者ははじめに「ここで扱う契約とは、これこれこういうものである」と明示してくださり、その線に沿って話を聞いている分には得心がいきました。高見沢報告は中国現代法学上の契約、西尾報告はムラユの政治的支配にかかわる契約、岩武報告はイスラーム法によるイランの文書契約というように。ですが、そうした確固とした枠組みがあるだけに、「契約」概念そのものに揺らぎを与えるような議論には発展しなかったのかもしれません。
     三浦さんが趣旨説明で言及されているValerie Hansenの研究(Negotiating Daily Life in Traditional China: How Ordinary People Used Contracts 600-1400)への書評として以前書いたことの繰り返しになりますが(『東洋史研究』56 巻 4 号、1998 年 3 月)、お三方とも何かわからないものとして「契約」に対するというよりは、「契約」というものをとりあえず定義してその上で議論しようという戦略に立たれていたように思います。
     この戦略による報告は個々にはおもしろかったのですが、相互にあまりかみ合わなかったのは、単に場所と時代が異なるからというだけでなく、それぞれの報告が扱う「契約」が、あらかじめ守備範囲を決められていたことにもよるのではないでしょうか。
     自分でもわからないことを勝手に書き連ねました。失礼の段、おゆるしください。今後も時間の許すかぎり参加させていただきます。

  • イスラームでは本当に個人は共同体に埋没しないのか?
         森本 一夫(東京大学東洋文化研究所、イラン史)

     今回の研究会の 3 発表は、個別発表としては大変おもしろいものが揃ったと思う。なかでも西尾発表は、興味深い(少々逸話的な)事柄の説明も楽しく、制限時間が恨めしいほどだった。しかし、比較史研究会の趣旨である「原理的レヴェル」からの問い直しが「契約」を対象に行われたかという点については、懐疑的にならざるをえない。
     いま、レジュメを見返してみると高見澤報告の結論部に「個人主義・自由主義を軸に契約社会か否かを論じることは極めて限定的な条件のもとで成立するテーマである」と書いてある。これに比して、三浦氏の趣旨説明においては、「個人を起点に社会を再構成する試みとして、契約に関心を持っている」とあるし、岩武氏も「イスラーム社会は確立した個人が法によって関係を結んでいる社会であったといえる」とある。たとえば、この、少なくとも字面の上では相矛盾する言明を手がかりに、研究会の三位一体的副題「神・共同体・個人」の後二者、共同体と個人の、契約をめぐる位相について議論をすることはできなかっただろうか。その際私が興味を惹かれるのはイスラーム世界でのそれである。
     イスラームにおいては、個人が契約の主体であり、社会がそれら個人の結ぶ諸関係で構成されるという命題は、法規定の次元では正しいのかもしれないが、たとえば会場で配布された三浦氏の論文「カーディーと公証人」を読むと、実際にはその「個人」が、証人という形で、地縁的な(時には血縁的である場合もあったろう)共同体の承認を受けなければ全く無力な「主体」であったことが了解される。そうだとすれば、個人が契約の主体であることをもって、社会をそれらの契約の総計であるかのように捉える見方は、そう簡単には成立しないだろう。ことは個人と共同体(岩武氏の想定するウンマ次元のものではなく、「周りの人々」レベル)との関係や、共同体に分けもたれる契約の観念(これに関しても、確か中国では、共同出資を行っても一度の資本回収で「もういいや」と思ってしまう傾向があり、それが制度としての株式会社をうみだした西欧とは違うのではないか、といった発言があったように思い興味深く感じた)に立ち返って論じられねばならず、前者は卵と鶏の関係に陥る可能性が大であるし、後者にいたっては私にはどのような議論が可能であるか想像もつかないが、それゆえにこそ、このような議論を研究会できかせていただきたかったところである。

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