イスラーム地域研究5班
研究会報告

第 6 回「サライ・アルバム」研究会



日時:平成 11 年 7 月 17 日(土)13:00−18:00
場所:東京大学東洋文化研究所・大会議室
参加者:9 名


プログラム
個別研究概要

プログラム

・個別研究発表

  1. 小林一枝(早稲田大学)「サライ・アルバム H.2153 に見られる顔面石及び合成獣とその系譜」
  2. 村野浩(東海大学)「シナの玉座:イル・ハーン朝絵画に現れる玉座のかたちにちなんで」
  3. 杉村棟(龍谷大学)「サライ・アルバムの花鳥画」
・次回調査打ち合わせ


個別研究概要

  • 「サライ・アルバム H.2153 に見られる顔面石及び合成獣とその系譜」 小林一枝(早稲田大学)

     発表者の小林氏は、ペルシャ絵画の風景描写に見られる "Rock face" あるいは「顔面岩」と、 "Composite animal" あるいは「合成獣」の系譜について発表した。
     人物や動物などを複数組み合わせて、人体像や動物像を形作る図像は、日本においても幕末に、国芳が「寄せ絵」あるいは「遊び絵」として描いたが、その起源としては 16 世紀後半のイタリア人画家のジュゼッペ・アルチンボルドが挙げられている。しかしそのアルチンボルド自身も 16 世紀のムガール朝下に流行した「合成獣」絵画に影響を受けているとする説も存在する。
     そのムガール朝の「合成獣」の起源に関しては、逆にアルチンボルドが先とする説、あるいはムガールの宮廷で実際に行われていたあそびを描写したという説、そしてペルシア絵画の風景描写に見られる「顔面岩」が起源であるという説が存在する。ペルシアにおける「顔面岩」の最古の作例は、 14 世紀後半のジャライール朝下で製作された「カリラとディムナ」とされているが、現在調査中のトプカプのサライ・アルバムのなかには、「合成獣」の作例があり、特に H.2153 の F62a には、様々な動物によって合成された「竜」が描かれた一葉がある。この「竜」は、いわばプリミティブな「合成獣」としての位置づけが可能であるが、この他にも、F71b の作品には、ある枠組みの中に、竜や人面などがはめこまれているという、いわゆる「入れ子」構造になっている作例がある。この、ある形の中に様々なデザインをはめこんでいくという発想がここで生まれ、その後ムガール絵画へと受け継がれたのではないか。つまり、ラクダや馬などの「合成獣」の直接の起源は「顔面岩」ではなく、2 つの図像的系譜が平行して存在し、サライ・アルバムのなかにその萌芽が認められるのではないか、という説を提出した。
     以上の小林氏の発表に対して、村野氏が日本にも 7 世紀前半の法隆寺の「玉虫厨子」にも類似した作例があるが、中国にはその祖型となる類例が確認されていないとのコメントがあった。水野氏からは、「顔面岩」が生まれた背景には、岩に対する何らかのイメージ、石がもっているパワーや恐怖感などを強く感じる文化的伝統があったのではないか、というコメントがあった。最後に、桝屋氏からは、奥付がある写本を整理してゆくことで、 2 つの系譜について時代と場所のある傾向がつかめるのではないか、という質問に対しては、小林氏は、ジャライール朝からサファヴィー朝まで広く分布しているとの回答があった。
  • 「シナの玉座:イル・ハーン朝絵画に現れる玉座のかたちにちなんで」 村野浩(東海大学)
  •  発表者の村野氏は、サライ・アルバムにみられる玉座に対応する、中国における玉座の系譜を、遺物あるいは絵画表現にみられるかたちから分析する方法を提案した。日本では、中国の家具について系統だった研究がなく、中国でも1975, 6 年以後になるまで本格的な研究が発表されていない。家具研究には、文献考証も欠かせないが、中国では家具に関する名称が豊富であるため、絵画表現にあらわされたときの同定が困難である。
     一般的に、家具と建築は密接な関連があり、中国においては、木造宮殿建築が建築では主要な役割を果たしている。それは同時に木工技術の向上を招いた。また、木造建築は、構造主体の建築であり、直線的な形体を持っている。そこでは組み合わせ可能な調度が発達し、そこに施される装飾も、基本構造を変えずにわずかな装飾要素を取り替えるだけで、好みに合わせて新調できるという利点がある。
     玉座を含む座具は、それを作り出した人々の生活習慣と結びついている。中国では、古来より土間の建築であり、地面に腰を下ろして「座る」習慣であった。その後中国に椅子が導入され、「腰掛ける」生活へと転換したのは五代から宋にかけてのことであったとされる。それ以前には、戦国時代(前 3 世紀頃)の発掘品には、「床」と呼ばれる縦 220 センチx横 140 センチx高さ 60 センチぐらいの壇があり、寝床として使われていた。その後、その「床」の上に座るようになり、「座床」という名称も使用されるようになる。その後、「胡座」という折り畳み式の椅子が、民族的な交渉によって北方から入ってきたと考えられている。仏教とともにインドから入ってきた背もたれのある椅子は、その後中国に根付き、宋末から元にかけての絵画には、椅子に腰掛けているが一般的となる。
     以上の村野氏の発表に関して、桝屋氏からは、「胡床」の「胡」とは、ペルシャを含む西方のことを指しているか、という質問があり、村野氏は、かならずしもそうではなく、他から入ってきたものに区別なく「胡」と呼んだ可能性もある、という回答があった。
  • 「サライ・アルバムの花鳥画」 杉村棟(龍谷大学)

     サライ・アルバムには、中国的意匠をもった絵画が多数残存し、その中には中国の「花鳥画」も含まれている。絹地に描かれたこれら「花鳥画」には、枇杷と一対の鳥が描かれたいわゆる「折枝花」があり、その一枚には「ウスタード・アリー」という名の画家のサインがはいったものもあり、朱で落款が押された作例もあり、中国人画家による作品も含まれていることが確認されている。しかし、中国画の模倣やオリジナルの構図を変更して、ペルシア的趣向に適合させた作例もあり、中国から導入された意匠が、どのような過程を経て変容していったかという課題にとって有効な研究対象であることが発表された。
  • (文責:阿部 克彦)


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