第1回目の研究会では、11名の研究者にお1人15分間という短い時間ではあったが、建築史の側は各自の素材や手法、そして現状の問題点を指摘し、他分野の側からは建築史研究との接点について発表していただいた。
発表の概要は以下のとおりである。
―南はエチオピアから、北はアルメニア、グルジアに及ぶ東方教会(コプト教会、ネストリウス派、シリア正教会、アルメニア教会など)の修道院遺構を扱っている。これらの遺構にたいし、様式や形式論といったものに即した分析のほかに工法と環境制御との関連に着目している。煉瓦と石という材料の地域性も課題である。
―初期オスマン建築とビザンツ建築の関連を研究している。イスタンブルに建立された最初の大モスクたるエスキ・ファーティヒ・モスクについて、コンヤのセリミイェ・モスクをレプリカとみなし復元作業を進捗中である。今後、オスマン建築について同時代のイスラーム建築との影響関係をも考察したい。
―現地調査と文献を通して、オスマン朝期のバルカン半島を含むアナトリアに展開したエスナフ(職人・商人)を考察している。現地調査では消えゆく伝統的工芸職人の記述および職人街区の調査が大きな課題である。民族の差異による職能の違いや職種による地域の特殊性に注目している。
―都市の中心にあり、人が集まる空間であるということからヨーロッパの都市広場とトルコの商業空間を比較、検討している。建築計画の手法を用い、トルコの商業空間について構成要素および関連要素を抽出し、平面構成の特徴からトルコ商業空間に関する7つの類型を試みた。
―今回はビザンツ帝国における都市とはなにかという問題を提起した。ビザンツ教会建築史における10世紀以後の分類学的断絶を提示し、パライオロゴス朝時代のコンスタンティノポリスに対する都市的要素と田園的要素が混在したという記述等から、6世紀における古代的都市構造が変化していく状況をより深く考察したい。
―イスラーム建築の形に対して、西アジアの古代建築にその起源を求める話題を提供した。西アジアの古代と中世を考える上で、前6世紀から後7世紀の間に「中間期」という概念の必要性を説き、この期には、ギリシア・ローマ系、イラン系、ユダヤ教、キリスト教の建築伝統が存在したことを指摘した。
−環地中海・中東地域の都市や集落を扱い、特にダマスクス旧市街の変容と構成、及びその住宅街と住宅を考察してきた。まず都市全体を把握し、次に単体としての建築、特に住宅を中心に検討するという手法をとっている。今後の課題は、ダマスクスの商業空間と公共施設の検討、都市の比較、および地理情報システムの導入にある。
―イラン中部の伝統的中庭式住宅、とくにカーシャーンにおけるガージャール朝期の事例を扱っている。98年、99年に調査した27件を資料とし、住宅規模の差異による中庭の構成や配置、ビールーニー(公的空間)とアンダールーニー(私的空間)の使い分けに着目している。住宅とマハレのつながりについて考察中である。
−イスラーム美術史の研究には、書や絵画、工芸品、建築史を包括的観点から考察することが必要である。建築要素が工芸品等のモチーフとなる場合、建築様式の伝播が当該建築に用いられた装飾モチーフの類似にも現れる場合、絵画等に建築の描写が現れる場合にわけて建築と美術品との関係を説明した。
−イスラーム文化圏、東南アジア、日本においてヴァナキュラーな建築を中心に調査を進めてきた。対象建築の建立年代は19世紀、20世紀のものが多く、伝統的なるものの中にどこまで歴史を遡れるかという問題点を抱えている。これらの建築からイスラーム性や土着性を読み取ることが必要である。
−狭義の歴史学と建築史学はお互いに無視しあう関係を築いてきた。これを打破するために、歴史の側から建築史に求めることは、建築の背後にある「人・技術・もの」といった側面への言及、人に読みやすく人を引き付ける工夫である。お互いに歩み寄ることによって、研究の新天地が開けるであろう。