イスラーム地域研究5班
研究会報告

第5回「サライ・アルバム」研究会報告

日時:平成11年5月1日(土)13:00−18:00
会場:東京大学東洋文化研究所大会議室
参加者:16名

第5回研究会は以下の課題で行われた。
1)トルコ出張報告
2)個別研究(5):「観音扉式玉座像の系譜」ヤマンラール・水野美奈子

各課題の概要は以下のとおりである。

1)トルコ出張に関しての報告

a)H.2153とH.2160のカタログ作成のための打ち合わせ
トプカプ宮殿美術館長フィリズ・チャーマンをはじめとするトルコ人スタッフと日本人スタッフが参加して行われた。

結果:

  1. カタログ作成はトルコと日本の共同製作とする。
  2. カタログはデジタル化せず、通常の書物形式で出版する。
  3. カタログはトルコ語・英語でトルコで出版する。日本語版も出版可能、ただしその場合出版は日本サイドで行う。

b)ワークショップの打ち合わせ


結果:

  1. カタログ出版と共に研究書出版も行うが、それに先ちシンポジウムを2−3回行う。研究書出版とシンポジウムに関しては、トプカプ宮殿美術館、ハ ーヴァード大学、日本の三者で行う。
  2. 第1回シンポジウムは2000年夏を目処とするが、詳細は本年8月にトプカプ宮殿美術館で三者が打ち合わせを行い、決定する。
    ※予定ではワークショップの予定であったが、ハーヴァード大学が参加することになったのでシンポジウムに変更。

c)トプカプ宮殿美術館調査・作業の報告
1999年2月−3月のトプカプ宮殿美術館における調査の報告が、調査の際入力された画像の紹介と共に行われた。絵画資料の解説を含め、総括的な報告はヤマンラール・水野美奈子氏、撮影・入力に関する技術的な報告は小林一枝・阿部克彦両氏、個々の書の資料の解説は関喜房氏が行い、小柴はるみ・杉村棟両氏がその都度解説補足した。当調査の一般報告については、第5班ホームページ4月22日付けのセミナー・リポート欄をご参照いただきたい。
調査されたアルバムは通常の写本とは違い、制作された時代と地域、また、材質や技術が異なる個別の作品が貼付けられて一つの冊子にまとめられているという特殊な状態にある。そのため、実物を子細に観察することによって初めて明らかにされた点が多々あった。以下は今回の研究会で報告された新たな発見や問題点を列挙したものである。
まず、アルバム台紙への書・絵画作品の貼付けの状態が述べられた。かなり薄手の台紙に切り取られた個々の作品が貼付けられ、台紙が露出しないように作品と作品の間の余白にはテープ状の紙が貼られていた。多くの作品には更に枠取り(ジェトゥヴェル)が施されていたが、枠取りはアルバム全体を通して金・紺・黒の色調が守られており、作品本来に施されていたのではなく、アルバム貼付け時とは限定できないまでも、後世施されたものであることが明らかにされた。デザイン見本として使用されたと思われる作品には、無数の折り痕があったり、デザインを写し取るために施された針痕があって、これらの作品の本来の用途や使用形態を考慮する際のヒントとなる。両面に絵画が施されていた作品のうち、台紙への糊付けのために見えなくなってしまった片面の図柄が針痕のために復元できるものもあった。
数カ所に糊のかたまりが付着している部分があり、イラン製の黄色がかった糊とは違って白い色彩を呈していた。布に描かれた絵画は全て接写を行い、それぞれの布目を画像で記録した。平織りが多かったものの、多様な織りの布が絵画に使用されていたことがわかった。

布の素材に関しては今後研究を要する。一般にシヤー・カラムに帰されている絵画作品に使用されている紙は、それ以外の作品の紙とは明らかに区別される灰色がかった紙であった。これら糊・布・紙の種類は、作品制作地域ないしはアルバム作成地域を今後特定していく上で重要な手がかりになるであろう。また、調査されたアルバムHazine 2153は、白羊朝君主ヤアクーブの時代(1478−90)に編纂された可能性が高いと考えられているが、さらに時代が下ったルスタムの治世(1493−97)に活躍した書家の署名が残された作品も含まれていることが、関氏によって指摘された。

d)コンピュータ入力に関しての報告
小林氏よりコンピュータに入力されたデータ及び画像について以下のような説明があった。今回入力された画像は1GB近いファイルとなるが、CD-ROMに収めることができる。入力したデータはカタログ作成のための基礎資料であり、公開するかどうかは、版権の問題があるため未定である。もし部分的に公開することになった場合は、プリントアウトに際し、電子透かしが入る手法をとることで版権への対処を行うことは可能である。個々の画像へアクセスするためのファイル名の付け方に問題が生じたが、訂正の方向に向かっている。更にこれまで書かれたサライ・アルバム関連の論文をアーカイブ化していく用意がある。

2)個別研究(5)

「観音扉形式の玉座の系譜:H. 2153 fol. 148bのモンゴル宮廷玉座像」


(ヤマンラール・水野美奈子)


サライ・アルバムに収められた、14世紀初期の絵画と思われるモンゴル宮廷図の1枚には、君主と后が玉座に座っている様子が描かれている。この玉座は三扇屏風とよく似た形で、左右側面の翼と背面が蝶番で繋がれた、いわゆる観音扉形式になっている。赤く塗られた縁取りは恐らく朱塗の枠を表しており、つなぎ目は金、上部は布張りのようである。このような玉座はイル・ハーン朝以前のイスラーム絵画には見られない反面、唐以来の中国絵画には類似した表現が見られる。
このモンゴル宮廷図に描かれた玉座においては、それまでのイスラームの玉座とは異なった座の概念が認められる。すなわち、三方を囲むことで特別な空間をつくるという考え方である。この種の三折れ屏風のプロトタイプとして、宋代画家、劉松年の「羅漢図」が挙げられる。この概念はモンゴルによって東方からイランに伝えられた。イル・ハーン朝の玉座には龍の彫刻、蓮華をあしらったパネル装飾、雲形の上部構造、背面の頂点に設置された宝珠文といった非常に中国的な装飾要素が見られ、中国の影響が明らかである。
ところが、時代が下ってティームール朝の絵画になると、玉座の表現は様式化し、玉座の左右の翼は開かれたまま描かれるようになった。ここでは特別な空間をつくるという考えは無視されている。恐らくこの時点では実物としての観音扉形式の玉座は既に失われたが、絵画の中だけの慣習的な表現として残ったため、イル・ハーン朝絵画に見られるようなより具体的な表現は不可能となったのであろう。

以上の水野氏の発表に対して、村野浩氏が中国絵画史の立場からコメントした。
中国では座具としては「牀」いわゆるベッドと「椅」いわゆる椅子の二つの語があり、古代には混同して用いられた。衝立てとしては「屏」があり、これはいわゆる目隠し、風避けを指す。中国絵画にはベッドの中に屏風を立てている様子がよく描かれている。2〜3世紀以降の仏教美術には背もたれのある椅子が描かれているが、背もたれの上部は半円を連続させて尖った突起をつくり出す懸垂曲線で構成されている。これは本来幕を張っていたのが様式化した表現である。敦煌や雲崗では椅子に絨毯や布をかけた表現が見られ、中央アジアの影響がうかがわれる。

(文責:桝屋友子、ヤマンラール・水野美奈子) 


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