イスラーム地域研究5班

イスラームと衣の文化

5aの主催する「イスラームと衣の文化」の研究会が3月23日に行われたので報告いたします。イスラーム地域の衣の文化といえば女性のヴェールとイスラーム主義が表裏関係にあるように想像されがちですが、今回の発表ではその想像があてはまらない事例があげられました。

イエメン・サナアの男女の服装の変化発表者 東京大学大学院総合文化研究科

大坪玲子

発表者は1970年代と1990年代の男女の服装をスライドや実物を交えて比較した。1970年代は、1962年の革命とそれに引き続いた内戦が終了し、今世紀初頭から続いていた鎖国政策も廃止され近代化に向かい始めた時代ではあるが、まだ服装のみならず伝統的な生活様式が残っていた。当時の男性の服装は部族民、宗教学者、ダイーフ(屠殺屋や床屋など)といった社会階層を明確に表わした。それは特に短剣(ジャンビーヤ)と被り物による相違であった。女性の服装は、男性ほど社会階層を示すものではなかったが、サイイドの一部の女性がオスマン帝国の影響で黒い外出着(シャルシャフ)を着るようになった。
一方1990年代は南北イエメンの統合、内戦を経て近代国家として着実に歩み始めた時代である。男性の場合、服装による社会階層の区別は曖昧になり、むしろ出身地を表わすものとなった。それは地方出身者の増加にもよるが、その中でサナア出身者は白いワンピース(ザンナ)にジャケットをはおり、ジャンビーヤをさすという折衷したスタイルが正装として定着している。女性の服装においても、出身地を含意する傾向にある。サナア出身者はほとんどの女性がシャルシャフを着るようになったが、地方出身者はシャルシャフよりもむしろ近隣諸国から採り入れた外出着(バルトー)を好む。シャルシャフの下には覆面のように布(リスマ)で顔を覆い、さらにの上にシャルシャフのヴェールを被ることになるが、バルトーの場合はリスマを用いず、スカーフで髪の毛だけを隠すか、ニカーブあるいはブルクァで顔も覆うことになる。顔を隠すか隠さないかはリスマを着用する習慣があるかどうかによるもので、イスラーム主義との関連ではない。
男女の服装とも、出身地を示す以外に、ある意味で上流志向となっているという特徴がある。なぜなら、男性の場合1970年代にはサイイドしか着用していなかったザンナを1990年代には一般市民が採り入れたこと、女性の場合も一部の階層の物だったシャルシャフが一般市民に採り入れられたからである。
質疑応答で他のイスラーム諸国との名称・形態の違いの多様性が触れられた。イスラーム地域における衣の文化地図の作成は今後の課題にしたい。(文責:大坪玲子)

オマーンの「近代化」におけるヴェール――イスラーム復興の影響はあるのか発表者 

東京都立大学大学院社会科学研究科 大川真由子

1970年の宮廷クーデター以降のオマーンの「近代化」にともなう急激な社会変化のなかで、オマーン人女性のヴェール着用においても変化がみられた。70年代、ごく一部の中流階級以上の女性に限られていたヒジャーブとアバーヤなどのヴェール着用が、80年代には都市部において一般的になったのである。中東において女性のヴェールは、最近になってイスラーム復興やイスラーム主義といった宗教および政治に結びつけられて語られることが多いが、発表者はこのような解釈がオマーンにもあてはまるのかという問題を提起した。まず中東一般にみられるヴェール論を概観した上で、ヒジャーブ着用に至った具体的なオマーンの社会的背景を説明した。そして比較のために、エジプトにおいて1970から80年代にかけて急増したヒジャーブ着用を広い意味での「イスラーム復興現象」ととらえ、それを生みだす政治・経済・社会的諸条件を検討した。その結果、「世俗的」高等教育、植民地経験、社会的不安という、エジプトあたりにみられるイスラーム復興を促進した条件がオマーンには欠如していることから、当地ではヒジャーブ着用を含むイスラーム復興運動を担う層が形成されなかったということが明らかになった。つまりオマーンの女性によるヒジャーブ着用はイスラーム復興現象ではなく、流行やファッションの可能性がある。しかし、現在オマーンではイスラーム復興という「近代」の現象は顕在化していないものの、イスラームの客観化をはじめ、草の根レベルでのそれは確実に起こりつつある。この問題に関しては、バハレーンやチュニジアのように、脱ヴェール化という「世俗化」へ向かう可能性もあるのではないかという意見も出された。しかしながら、物質レベルでの急激な「近代化」に対して、価値観のような「文化」的レベルでの変化が追いついていないということは事実である。また、ヴェールという「もの」を分析する難しさについても議論がなされた。いずれにせよ、この先オマーンのヴェール着用を含むイスラーム復興に関する問題は興味深い。(文責:大川真由子)

なお昨年度の活動について、その他に、国立民族学博物館と野外博物館リトルワールド収蔵物調査を行いました。収集した文献及び衣の資料に関して、今年度何らかの形で報告する予定です。
 

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