イスラーム地域研究5班

5b「アイデンティティとエスニシティ」研究会

5b班「イスラームの歴史と文化」第2グループ「アイデンティティとエスニシティ」は、1999年2月20日(土)、東京大学東洋文化研究所第1会議室で研究会を開催した。オスマン帝国の海運に関連する諸問題について、3本の報告が行われた。その内容は次のとおりである。報告1には堀井優氏(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)、報告2には松井透氏(川村学園女子大学)、報告2には小風秀雅(お茶の水女子大学)から詳細なコメントがあり、それを受けて活発な討論が行われた。

報告1

報告者:松井真子(東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程)

テーマ:オスマン帝国における商人の分類と通行許可証

報告内容:報告者の研究対象としている19世紀前半のオスマン帝国においては、ギリシア独立戦争などバルカンにおける民族運動は存在したものの、中央政府の側の臣民掌握に民族性やエスニシティといった概念をあてはめることは難しい。本報告では、オスマン政府の宗教別の商人分類を紹介するとともに、当時カピテュラシオンによってヨーロッパ商人に認められていた諸特権を、上納金と引換に非ムスリム、ムスリム臣民の商人にも認可する「ヨーロッパ商人Avrupa tuccari」「恩恵商人Hayriye tuccari」導入の過程をおった。また、やはり同時期に帝国内の人の移動に義務づけられた「通行許可証murur tezkiresi」を、在イスタンブル総理府オスマン文書局の資料などをもとに紹介し、タンズィマート改革にいたるオスマン帝国の中央集権化改革の流れの中に位置づけようとした。報告に対して、コメンテーターや参加者の方から、従来普遍的とされてきたヨーロッパのルールの「地域性」や、オスマン帝国内の非ムスリム商人やヨーロッパ商人との競合関係などについての意見や質問が出され議論が行われた。

報告2

報告者:大石高志 (日本学術振興会特別研究員PD)

テーマ:イギリス植民地支配とムスリム商人資本-メッカ巡礼の諸権益を焦点にして-

報告内容:報告者は、「イスラーム地域研究」第5班で「南アジアにおけるパン・イスラーム主義発揚の社会経済史的分析」という研究課題を掲げている。当日は、この研究課題に関する分析作業の一部として、インドからメッカへの巡礼、特に巡礼者の海上輸送の権益に関わる在来のムスリム商人とイギリス植民地当局や西欧資本との間の確執を取り上げた。まず、19世紀半ばにおける巡礼者の増加がそこに関わる権益規模の拡大や、西欧資本の介入を招いた経緯をたどり、さらに、19世紀後半から20世紀初めに、在来資本系の汽船会社がどのように権益を保持していこうとしたかについて過渡的な分析報告を行った。また、こうした確執への対応の1つとしてオスマン朝との連携の可能性があり、実際にそうした試みが行われようとしていたことにも言及した。

報告3

報告者:小松香織(筑波大学 歴史・人類学系)

テーマ:オスマン海運の自立をめぐる諸問題-カピチュレーションとカボタージュ権-

報告内容:19世紀後半から20世紀初頭、汽船海運時代の到来に呼応してオスマン帝国においても海運の近代化と対外自立をめざし様々な動きが見られた。しかし、同時に進行したオスマン帝国の経済的植民地化はこうした試みをかならずしも成功したとは言い難いものとした。特にカピチュレーションと不平等条約は大きな障害となって立ちふさがった。本報告ではこうした環境の中で、オスマン帝国沿岸のカボタージュ権をめぐる外国勢力とオスマン政府との摩擦を、英国との具体的事例を取り上げながら検討した。まず、オスマン帝国末期の海運を概観し、官営汽船、民間船会社、外国汽船の活動領域と競合の実態を把握した。次に、カボタージュ権をめぐる英土対立の具体的な事例3件(ボスフォラス海峡、マルマラ海、イズミル港湾)を紹介し、両国の主張、カボタージュ・内国水域の定義、国家主権と国際条約のかねあいといった問題点を抽出した。その結果、列強のカボタージュ権侵害問題にはカピチュレーションや条約といった法解釈上の問題以上に、圧倒的な資本力・技術力を背景とした運航実績によって、カボタージュへの参入を既成事実として認めさせていった列強と、長期的な海運政策を欠き、官営汽船の独占体制で国内海運の自発的発展に失敗したオスマン政府の姿が浮き彫りとなった。

 最後に、コメンテーターをお願いした小風秀雅氏(お茶の水女子大学)から、日本史研究者の立場から、同様の問題に直面しながらも列強の圧力をはねかえし自国海運の育成に成功した明治政府との比較においていくつかの興味深い指摘をいただいた。 

5jimu@culture.ioc.u-tokyo.ac.jp