イスラーム地域研究5班

招聘者の横顔

 アブドゥル・ラヒーム博士は、1941年にスーダン北部のナイル渓谷にあるアラブ人の村で生まれた。偶然にも、この村は、千葉大学の栗田助教授がかつて調査対象にした村である。博士はスーダンのハルトゥーム大学を卒業後、イギリスのエディンバラ大学で、故モンゴメリー・ワット教授のもとで学び、初期イスラーム思想史の分野で博士号を取得した。その後、初期アラブ文学・初期イスラーム思想史の分野で活躍している。博士は帰国後、母校ハルトゥーム大学で教鞭を取るかたわら、エディンバラ大学、マレーシア大学などで客員教授を勤める。その後、国際アフリカ大学の前身であるアフリカ研究所の副所長となり、1991年の同大学設立後は、同大学副学長の任についている。なお、大学学長はスーダンの大統領であり、副学長職は、わが国でいえば学長職である。

国際アフリカ大学の素描

 国際アフリカ大学は、スーダンの首都ハルトゥームの郊外にある。スーダンには、ハルトゥーム大学をはじめ、各州に一つづつ国立大学があるが、国際アフリカ大学は国立ではなく、国際的に組織されている経営委員会のもとにあって、法的には国家からは自立している。資金的には、スーダン政府が最大のスポンサーであるが、経営委員会の議長は現在マレーシア人で、国際的な資金援助を受けている。

 学部としては現在、法学部、文学部、教育学部、工学部があり、医学部が準備中で、他に、アフリカ研究センターも準備中である。教育用語はアラビア語と英語であるが、現実にはアラビア語が中心である。学生は、主としてアラビア語を母語としていないアフリカの国々からの留学生で、インドネシア・マレーシアなどの東南アジア諸国、旧ソ連圏、さらには日本などからの留学生もいる。アラビア語を母語としない学生にアラビア語で教育する大学、と性格づけることができる。

 キャンパスは広大で、学生のための寄宿舎は完備し、奨学金の制度も整っている。しかし、スーダン全体がそうであるように、通信設備は貧弱で、電話、ファックス、インターネットなどによる通信はかなりの困難をともなう。また、図書・その他の設備も充実しているとは言い難く、これらの面での援助が必要とされている。

 

招聘の目的と成果

 招聘の目的は、なによりも博士に、日本でのイスラーム世界研究の現状を理解し、把握してもらい、将来のアフリカ国際大学と日本の研究者との協力関係を樹立することであった。また、本プロジェクトとしても、黒人アフリカ社会に大きな影響力を持つ国際アフリカ大学との協力関係の樹立は、必要不可欠のことと判断された。

 博士は来日後下記の二つの研究会で、発表を行い、出席したわが国の研究者と意見交換を行った。

   

1: テーマ:「アフリカにおけるイスラーム、特にスーダンを中心に」

  日 時:1997年 9月5日 15:00〜17:00

  場 所:国立民族学博物館4階演習室

 博士はここで、預言者ムハンマドの時代からアフリカにイスラームが伝わったことから始まり、現代のアフリカのムスリムの状況まで幅広い説明を行った。アフリカのムスリムは4億人を超えていて、アフリカを無視してイスラーム研究がありえないことを強調した。

 博士の発表の後、盛んな議論が行われたが、博士にとって日本の研究者のレベルが予想を超えて高く、発表が一般的すぎたことを反省した。博士は改めて、日本の研究者との交流の必要性を認識し、日本の研究者がスーダンに来たさいには最大限の便宜を供与することを約束した。

 

2: テーマ:「現代イスラーム社会における近代化の影響」

  日 時:1997年 9月11日 14:00〜17:00

  場 所:東京大学東洋文化研究所3階会議室

 この日はたまたま、東京大学創立120周年記念のテレビ番組撮影が行われ、博士のインタビューも録画した。博士はそのあとで、前回を反省して専門家としての見解を発表した。近代化の定義から始め、近代化の影響を広範に論じたが、議論のなかで多くの反論がだされて、全体として盛り上がって研究会となった。近代化の問題は多くの側面があるため、特段の結論はでるはずもないが、ここでの議論は有益であった。博士は改めて、日本という近代化に成功したのかもしれない国の研究者の意見を、それなりに受け止めていたようであった。

 

 上記の研究会の他、博士は、東京大学総長との会見など、多くの人々との意見交換を行い、日本の状況を観察していった。本プロジェクトと博士を代表者とする国際アフリカ大学との今後の協力が期待される。

(後藤 明)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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